2012年 01月 19日
合気道小林道場の越年稽古は例年通り12月31日23時30分から稽古が開始されました。今回の参加者は男女約25名でした。23時58分に全員道場に正座し服装を正し、道場の照明は消されました。道場は神棚の蝋燭の淡い光に包まれ荘厳な空気が漂いました。午前0時の15秒前から道場の太鼓が打ち鳴らされ、新年を迎えると同時に照明が点灯され、全員「明けましておめでとうございます」の挨拶を行いました。
私は太鼓を叩いていた息子弘明副道場長を呼び、事前の打ち合わせなく指導の交代を告げました。1969年の合気道小林道場開設43年間一度も無かった事なので、弘明副道場長も稽古に参加した人達も怪訝な顔をして私を見つめました。私に指名されたので弘明副道場長が指導を始めました。この瞬間から合気道小林道場が組織的に大きく変わりました。小林保雄道場長から小林弘明道場長に交代したのです。この事は昨年末から指導部員間で話し合いをしていました。道場長交代と、私の名称をどうするか話合いをしました。合気道小林道場国内、海外グループの組織を統括するので「総師範」と呼ぶように決めました。
その交代を合気道小林道場新年会や年賀状で国内外の会員、関係者に伝えるのが普通の考えですし勿論実行しました。しかし私は事前にもう少し何か良い方法が有るのではとしばし考えました。そして越年稽古でのパフォーマンスを思いついたのです。弘明道場長以下、越年稽古に参加した人達が驚いたので私の目的は達成されたと一人満足しています。

新年度を迎え弘明新道場長と指導部の初仕事は1月9日に行われた合気道小林道場の新年会です。昨年までは小林道場の指導部と各道場の責任者や幹部だけの出席者に限定してきました。しかし、今年からは新年会を道場役員だけではなく、20才以上の一般会員も自由に出席できる様に変えました。小平道場で開催されますので収容の人数に制限が有ります。定員120名に限定をし、定員になり次第締め切るようにしました。
先ず定員制は大成功でした。今までも新年会の出欠は取るのですが、提出期限を過ぎても別に構わず受け入れてきましたし、申込しなくても名札を用意していました。今回は定員制のため、ほぼ期限どおりに出欠の確認もでき、欠席者は僅か2名だけでした。
新年会は15時半定刻通りに始まりました。先ず主催者である私の挨拶です。新年会出席に感謝し、先に書きました様に小林道場の道場長役を弘明に譲り、私は合気道小林道場グループの国内外を統括する「総師範」という役に就任する事を報告させて頂きました。次は弘明新道場の今後の責任の重さと、抱負を中国の故事を引用して語り皆さんを感動させました。その後、末松義則衆議院議員が合気道小林道場新体制の益々の発展を願っての激励と東北震災復興の担当として全力を尽くしているとのお話でした。
続いて合気道小林道場関係の推薦昇段者が紹介され、代表として小平道場所属、上野塾塾長の上野耕五段の挨拶が行われました。その後事務連絡が行われ、今回推薦昇段された京都府合気道連盟の山口誠人五段の乾杯の音頭で宴会がはじまりました。一年振りに会う人もいます。若い一般会員男女も加わりましたので例年よりも話と酒が弾みました。宴会料理の他に小平道場会員のプロのたこ焼き屋、琵琶氏が焼きたてでアツアツの美味しいたこ焼を出してくれましたので皆さん大喜びで食べていました。
新年会の雰囲気はこちらの写真で見て下さい。途中スペシャルゲストとして突然スウェーデン弥栄道場の会員で、ディズニーランド近くのホテルでマジックショウをしているプロマジシャン、マーティンが来場しました。11月に私が弥栄道場30周年記念講習会に行った時、彼が正月に浦安に来ているとの話を聞き時間が取れたら小林道場の新年会に来るように伝えました。まさか彼が来てくれるとは思いませんでしたが新年会に来てくれました。130kgの巨体、巧みな話術と目の前で見ていても分からぬプロのマジックに皆大拍手でした。小平道場会員の今井さんの娘さんの飛び入りでバイオリンの演奏も有り皆大喜びでした。18時半になり、推薦昇段された遠州浜松合気会の廣本宣久五段の三本締め3時間の新年会もお開きになりました。
指導部員と会員有志による片づけの傍ら、飲み足らない人達は道場の中央にテーブルを集め二次会が始まりました。打ち上げは21時です。一升瓶31本が空になりました。
しかし、今年は一人も酔いつぶれる人もいず、全員が今までにない小林道場の新年会だったと言ってくれました。新年会の楽しかった様子は参加しなかった会員に伝えられますので来年の定員は早い時期に埋まるのではないかと今から心配です。今後とも弘明新道場長、指導部へのご指導、ご協力をお願いします。
なお、このブログは「総師範ブログ」として継続して行きます。愛読多謝。
私は太鼓を叩いていた息子弘明副道場長を呼び、事前の打ち合わせなく指導の交代を告げました。1969年の合気道小林道場開設43年間一度も無かった事なので、弘明副道場長も稽古に参加した人達も怪訝な顔をして私を見つめました。私に指名されたので弘明副道場長が指導を始めました。この瞬間から合気道小林道場が組織的に大きく変わりました。小林保雄道場長から小林弘明道場長に交代したのです。この事は昨年末から指導部員間で話し合いをしていました。道場長交代と、私の名称をどうするか話合いをしました。合気道小林道場国内、海外グループの組織を統括するので「総師範」と呼ぶように決めました。
その交代を合気道小林道場新年会や年賀状で国内外の会員、関係者に伝えるのが普通の考えですし勿論実行しました。しかし私は事前にもう少し何か良い方法が有るのではとしばし考えました。そして越年稽古でのパフォーマンスを思いついたのです。弘明道場長以下、越年稽古に参加した人達が驚いたので私の目的は達成されたと一人満足しています。

先ず定員制は大成功でした。今までも新年会の出欠は取るのですが、提出期限を過ぎても別に構わず受け入れてきましたし、申込しなくても名札を用意していました。今回は定員制のため、ほぼ期限どおりに出欠の確認もでき、欠席者は僅か2名だけでした。
新年会は15時半定刻通りに始まりました。先ず主催者である私の挨拶です。新年会出席に感謝し、先に書きました様に小林道場の道場長役を弘明に譲り、私は合気道小林道場グループの国内外を統括する「総師範」という役に就任する事を報告させて頂きました。次は弘明新道場の今後の責任の重さと、抱負を中国の故事を引用して語り皆さんを感動させました。その後、末松義則衆議院議員が合気道小林道場新体制の益々の発展を願っての激励と東北震災復興の担当として全力を尽くしているとのお話でした。
続いて合気道小林道場関係の推薦昇段者が紹介され、代表として小平道場所属、上野塾塾長の上野耕五段の挨拶が行われました。その後事務連絡が行われ、今回推薦昇段された京都府合気道連盟の山口誠人五段の乾杯の音頭で宴会がはじまりました。一年振りに会う人もいます。若い一般会員男女も加わりましたので例年よりも話と酒が弾みました。宴会料理の他に小平道場会員のプロのたこ焼き屋、琵琶氏が焼きたてでアツアツの美味しいたこ焼を出してくれましたので皆さん大喜びで食べていました。新年会の雰囲気はこちらの写真で見て下さい。途中スペシャルゲストとして突然スウェーデン弥栄道場の会員で、ディズニーランド近くのホテルでマジックショウをしているプロマジシャン、マーティンが来場しました。11月に私が弥栄道場30周年記念講習会に行った時、彼が正月に浦安に来ているとの話を聞き時間が取れたら小林道場の新年会に来るように伝えました。まさか彼が来てくれるとは思いませんでしたが新年会に来てくれました。130kgの巨体、巧みな話術と目の前で見ていても分からぬプロのマジックに皆大拍手でした。小平道場会員の今井さんの娘さんの飛び入りでバイオリンの演奏も有り皆大喜びでした。18時半になり、推薦昇段された遠州浜松合気会の廣本宣久五段の三本締め3時間の新年会もお開きになりました。
指導部員と会員有志による片づけの傍ら、飲み足らない人達は道場の中央にテーブルを集め二次会が始まりました。打ち上げは21時です。一升瓶31本が空になりました。しかし、今年は一人も酔いつぶれる人もいず、全員が今までにない小林道場の新年会だったと言ってくれました。新年会の楽しかった様子は参加しなかった会員に伝えられますので来年の定員は早い時期に埋まるのではないかと今から心配です。今後とも弘明新道場長、指導部へのご指導、ご協力をお願いします。
なお、このブログは「総師範ブログ」として継続して行きます。愛読多謝。
# by shihan_aikido | 2012-01-19 19:00



合気道以外の私の運動と言えば歩く事です。飲む機会が増えると歩く距離も多くなりますので、二日酔いはしたことがありません。毎年12月に入ると各道場の忘年会があります。今年はまずは12月第一木曜日昼恒例の所沢道場婦人クラスから始まりました。15名前後は集まりますが昼で主婦が主なので車の人も多く酒類を飲むのは2,3人です。昼間から私はビールを飲むことにしています。話の賑やかさでは何処にも負けません。食べきれない料理は主婦ですので、がっちり持ち帰りです。14時半ごろ終わり帰宅しますが、一駅手前の久米川駅で下車し50分かけて歩いて小平道場に帰宅です。
翌日4日(日)は18時から田無道場の忘年会です。小平道場を16時半に出発し花小金井駅まで1時間歩きました。田無駅には一駅電車に乗り宴会会場に18時定刻の10分前に到着しました。23時二次会で解散、小平駅から小平道場までフラフラと20分気分よく歩き帰宅しました。7日(水)は小平道場の午前クラス水前会の12時より昼食忘年会でした。これは車で送り迎えでしたので歩くこと無しでした。
19日(月)19時~20時板橋道場の稽古で20時半から駅前居酒屋での忘年会です。
1978年スウェーデン、ストックホルムから金髪で背が高くスリムな18歳から23歳の青年3名が合気道小林道場の内弟子として住み込みました。33年前は東京でも外国人がまだ珍しい時代です。ウルバン、ウルフそして故レンナルトです。稽古と厳しい内弟子生活を満喫しながら帰国しました。その後2回も内弟子生活をし、合気道の技ばかりでなく小林道場の一人でも多くの人に合気道をという経営方針も学びました。
ウルバン、ウルフ両師範の指導能力と人柄で弥栄道場は名前の如く発展を遂げてきました。会員同士が助け合い稽古時間を増やし、毎日朝、昼、夜稽古、子供クラス、ストックホルム市の依頼で身障者、小学校の生徒の指導まで広がり現在では500名の稽古人がいます。スウェーデンでも合気道では一番大きな道場になりました。
弥栄道場30周年講習会には講習会講師として私と五十嵐道場・五十嵐和男師範がいきました。又同行者として上板橋道場の東城信春参段と休暇で旅行に来ていた小平道場の山本英久弐段が飛び入りで参加しました。私と毎年ヨーロッパ各地で指導している五十嵐師範がメインで指導するので、13か国150名が集まってくれました。
講習会は木、金、土、日です。各国の道場責任者や道場生が「先生しばらく」と挨拶してくれます。所沢道場に3ヵ月住み込んで7月に帰国した話題のボイテック氏も来てくれました。生まれて2~3ヵ月の子供をチャイルド、バックに入れて道場の片隅に置き稽古していた若い母親が2人いたのには驚きました。私達の指導を受けようとそのくらい熱心に稽古に打ち込んでいます。最近の若い日本人が忘れている物事にたいする情熱というものを感じました。
次はウルバン師範他2人のおやじバンドです。ここで私は強引に割り込みプレゼントの正面の掛け軸と「むすび基金よる弥栄道場一人の修行者の小林道場への派遣、滞在費の費用の負担」を発表し全員の拍手を受けました。その後は道場はロック会場に変わり耳をつんざく音楽が鳴り響きました。2,3曲の演奏の後小平道場に滞在したことの有るエミリーが私とのダンスを求めてきました。先頭を切って私と2人で踊りました。彼女は今回お母さんと一緒に初段審査を受けましたが彼女は合格、お母さんは不合格でした。彼女はよほど初段合格嬉しかったのでしょう。
道場の広さは40畳、右正面の床の間には合気道創始者植芝盛平翁先生の直筆の書、その横は文化財の障子、欄間は透かし彫りの彫刻が有り、戸を開くと周りには濡れ縁です。道場内から一段低い庭園を見晴らながらの稽古を思うとこんな贅沢な道場はここでしか体験できないと事を実感します。
荒井俊幸師範とは昭和30年(1955年)はじめ 本部道場に入門し植芝盛平翁先生、二代道主植芝吉祥丸先生の指導のもとで一緒に稽古した仲間です。戦後の合気道創成期で皆若くて元気で結構激しい稽古をしました。私は明治大学に、荒井さんは東京芸大に合気道部を結成しました。当時は合気道が急速に広がって行く時代でした。指導不足を補う為、大学生の我々が指導者代理として色々な道場に派遣され今考えると貴重な体験をしました。
合気道小林道場30周年記念行事は荒井師範の協力で群馬県伊香保町で行いました。海外からも大勢が参加し、総勢500名が集まりました。荒井師範のお蔭と感謝しています。又海外指導も一緒に行き20か国以上は行ったとおもいます。私の合気道仲間としては、一番親しい師範です。
今年の2月28日に山徳道場が火事で全焼したという連絡がはいりました。直ぐ駆け付けてお見舞いしたいと思いましたが、3月11日に東北大震災、津波、福島原発事故等で世の中騒然としてしまい時が過ぎて行きました。誠に申し訳なく思っておりました。しかし嬬恋道場10周年記念合宿にお弟子さんと参加指導して頂き、その時に新道場の開設予定を聞き安心しました。
先に書きました様に山徳道場は洞窟観音と日本庭園「徳明園」という観光名所の中に有ります。来年には春の新緑の頃か秋の紅葉の頃合気道小林道場の会員有志を募り新道場の「山徳道場」を借用し荒井師範の指導のもと一汗ながし、稽古後庭園を見ながら一献傾けたいと思います。その節には是非多数参加お願いします。
私が本部道場指導部時代に教えたフランス人のモローさんが、私の指導を気に入り都心の原宿から年何回か小平道場に通ってきます。映像関係の仕事をしているそうです。日本滞在は長いですが、あまり日本語は話せません。9月中ごろ通訳兼秘書の女性を伴って小平道場の19時半の稽古に来ました。地震後、事務所の崩壊やお母さんの病気の看病も兼ねて何か月がフランスに帰国していたとの事です。
私は東京湾の地図をモロー氏に見せ外房では無いので津波が来てもそんな大きな津波は来ないと納得させ、私と東京駅から電車で行くことになりました。しかし彼は、合宿一週間前の日曜日に小平道場に稽古に来て張り切りすぎ、ぎっくり腰になり、本当に残念ながら今年も岩井合宿には来られませんでした。
岩井合宿も今年で46回、指導部は合宿の準備、参加者への部屋割り等は手慣れたもので手順よく、手配してくれています。車に分乗し来る人達、東京駅から電車で到着する主力組に宿泊部屋、稽古スケジュール、稽古コース等北原館の入り口で手渡され総て分かるようになっています。14時半体育館集合、合宿参加への謝意を表した私の挨拶後、副道場長より注意事項が話されます。今年は海外からの参加者が少なかったです。しかし合宿注意事項は国連公用語の英、仏、独、露語、西語、中国語以外にも韓国語、ポルトガル語、スウェーデン語、フインランド語、ノルウェー語等今まで参加者があった国の言葉で用意されています。準備は万端です。
今年は東北復興支援合宿です。特別講師は宮城県仙台市に本部を持つ合氣道神武錬成塾の白川勝敏師範、群馬合気道連盟会長の荒井俊幸師範が特別講師としてお招きしました。白川師範は左心右従の話、例えば神棚に向かって右側が上座、左側が下座ですので、演武の時には正面に向かって取が右、受けが左など・・・、技を交えながら分かりやすく解説してくださいました。荒井師範は言霊・・・言葉に宿る信じられない力がある。これは気の一つであり、合気道の修業はその力を導きだす道と話され、流れるような技捌きで稽古をされました。両師範の講習は受講された方々に非常に好評でした。
翌朝は5時半に起床し5時45分から海岸での体操、そして体力に合わせてランニングやウォーキングで新鮮な空気を吸いながら昨夜飲んだ酒を発散します。今年は曇りでしたが、みな朝の活力を十分吸い取っていました。その後6時半から体育館で私の指導の下に全員参加で初心者にも理解できる技を稽古しました。
普段の稽古とは違った合気道三昧の一泊二日の合宿でした。参加された方々はお金では買えない体験と思い出になった事と思います。合宿中何の事故もなく成功裏に終了しました。今年参加できなかった人は来年是非参加してください。

私達年代になりますとどうしても人の付き合いとして葬式の方が多くなり暗い話になります。しかし結婚式は若い人達の夢と希望そして輝く未来が有りますので本当に楽しいです。この様に私の誕生パーテーが各道場の会員交流と親睦の場、そして婚活の場になっても、楽しみが一つ増えますので大いに歓迎したいです。
今年も愛犬を連れてきてくれた会員の方がいました。一年振りの再会ですが、結構なついてくれますので犬好きな子供や会員はかまって遊んでいました。3時間半のパーテーでしたがそれぞれ、飲み、食べ、談笑し楽しく過ごす事が出来ました。ゴミ、使用した器具等所定の場所に運べば会場の係りの人が全て処理してくれます。我々は手ぶらで行けば好いので何の苦労も有りません。是非来年も多数参加お願いします。




神武錬成塾は宮城県に20ヶ所以上の支部道場をもつ宮城で一番大きな合気道グループです。しかしこの震災で各市の武道館や公民館が避難所になり、稽古ができなくなった場所も多く、会員が半減したと白川塾長が嘆いていました。その沈んだ空気を吹き飛ばすために、利府道場十周年ということで今度の講習会が企画されました。私が講習会講師に選ばれました事を光栄に思います。
利府道場の講習会は土曜日15時から始まり、70畳の道場に参加人員は男女約50名、少し狭い様でしたが、掛り稽古のど臨機応に行いましたので何の不自由も無く稽古が出来ました。講習会参加者は6割が有段者です。皆さん充分に稽古を積まれています。基本技を少し違った観点から有段者には参考にしてもらい、茶帯、白帯の人は積極的に前に出して技をしてもらいました。杖は左右を歩きながら上段返し、下段返し、八双返しを組み合わせた技で稽古しました。
日曜日の二回目の稽古は午前10時から12時まで後技、座技を中心に稽古しました。後技と座技はどの道場でも苦手な人が多く、審査でも一番問題になります。皆さんの参考になればと思い私も受け身を取り、汗をかきながら稽古しました。杖は昨日の復習で昨日参加しなかった人は戸惑っていましたが、号令で教えましたので皆さん覚えることができたと思います。