INマカオ講習会 |
あれから1年半、時が経つのは早い物、マカオ講習会に行ってきました。東大和市合気道会長、吉川五郎師範が主催で10月18日~22日です。私を含めて16名(男子10名、女子6名)です。羽田~香港、ヘリーでマカオ到着18:00 19:30~21:00 ウエルカムパーです。私が22年前にマカオの訪問の時に歓迎を受けた同じ食堂との事です。 マカオの会員達と食べ飲み再会を祝し盛りあがりました。ホテルまでの帰りは夜道を歩きながら 観光して帰りました。ホテルの部屋で一杯と思ってのですが朝5:00起きで羽田に集合したので皆オトナシク寝ました。
翌朝、9:30に道着姿でホテルのロビー集合、歩いて5分の講習会会場ビクトリアスタジアムに。会場には写真の様な大きな掲示がなされ100名近い人々が道着姿で集まっていました。
皆さん不思議に思うのは合気道で使われている私の名前は小林保雄です。写真の掲示では小林康男と成っています。これが私の正式な戸籍の名前です。日本からマカオ、マカオから中国本に入るのは2回も入国審査が有ります。漢字の国ですので保雄、康男と字が違うと入国の時に問題が起きると大変です。以前、実際に台湾で飛行機搭乗の時にパスポートの名前と漢字で書かれた搭乗券の名前が違うので問題に成り、搭乗拒否されたことが有るからです。マカオ合気道の人達はこの事を知らず小林康男としたのです。最近は殆どがローマ字表記ですので同じ発音で問題は一切ないです。
なぜ「康男」を「保雄」に変名したかは「或る人」のすすめです。1975年7月にブラジル、リオデジャネイロに合気道の指導の為に行きました。私の初めての海外指導でした。空港で始めた会った人が、小林師範は「不動明王」(注)のお告げで「康男」を「保雄」と名前を変えれば、今と違った人生を歩けると勧められたからです。女神様の名前が「保子」でしたので「保雄」と「保子」で赤い糸で結ばれたような名前なので私は単純に直ぐ賛同しました。
ある人とはブラジル、サンパウロで合気道を指導していた河合礼慎師範です。河合師範は合気道師範としてサンパウロに道場を持ち合気道を広めながら、鍼灸師としても活躍されていました。「不動明王」を信じて時に霊感を感じる様な個性の強い人でした。私に「小林保雄」と便箋に1万回書き提出するに命じました。名前を1万回書くのが如何に大変かを実感しました。1万回も書くと咄嗟にサインしても間違いません。私は日本に帰国後それを書きブラジルの河合師範に送りました。その時より合気道に関しては「小林保雄」を使うようになりました。確かにその後、この世知辛い世の中で親兄弟、稽古に来ていた人達7名の方が道場の土地や道場を建て合気道発展にと提供して下さいました。その為、数多くの内弟子を養成出来ました。合気道の外国での発展を予感し積極的に海外にも指導員を送ることが出来本当に感謝しています。
参加者はマカオ(オープン)合気道会、香港合気道協会、道友会、北京正心会、広州合気道会、煉心会、深圳武徳館合気会、広州科学技術大学合気道会そして合気道小林道場関係15名、合計約100名です。有段者4割、白帯6割です。私が指導に行くと云うのでマカオ、香港、中国本土の色々な団体が集まってくれました。なかでも大学の合気道員は初心者で白帯、可愛いい女の子が多くいました。殆どのが矢野氏の日本語科の生徒です。日本語が話せるので楽しそうに稽古をしていました。技は四方投げでしたが「1逆半身片手取、2、愛半身片手取、3両手取、4諸手取、5後両手取」を1~5番までを同時に稽古をさせます。この指導法は初めてらしく、初心者、有段者も5番は何でしたかなどと結構楽しんで稽古していました。
半分以上の人が杖、剣を持参していましたので2時間の稽古の後半30分は杖、剣の指導にしました。体術で1時間半も稽古すると話声が大きく成ってきます。暑さと疲れで先輩達が後輩に技の説明をするからです。これ以上は体術を行うのは無理です。杖は私が、剣は吉川師範に指導してもらいました。杖、剣稽古していない道場の人達もいますので、杖は「突上段返右左」そして「八双返」を指導しました。剣も基本素振を中心に吉川師範は場所が狭いなりに工夫して指導していました。体育館は150畳位の広さは有りましたが100名参加では少し狭いですが、暑い中稽古は充分できたと思います。
昼食後少し休んで3:30分から演武会です。
参加各団体が持ち時間10分で演武しました。指導の先生が違う団体ですので、特徴有る演武が続きました。マカオ、オープン合気道も人々も演武しました。その中でメンバー2人は3段の審査技を10分以上の長い演武で演じました。充分に練習して多様で立派な演武でした。2人とも合格点です。東大和、小林道場の皆さんも事前に演武会が有ると云う事を事前に知らされていましたので、皆さん気合の入った演武をしてくれました。私の演武は座技からですが、1時間半近く体を動かさず見ていましたので、冷えたのか少し動きが悪く感じられましたが怪我人も無く演武会は無事終了でした。
夕食後にバスで大陸本土に入る為にイミグレーションに行きました。土曜日夜の為か超近代的な建物で大きくて広いのですが民族大移動と云う感じで人、人、人です。マカオと中国大陸は日本人の感覚では別な国です。矢野氏の話では大陸の人達はマカオに行けるのは2か月に1回だそうです。ビザ代は幾らか知りませんが、大陸の人にとってはかなりの出費になるそうです。我々日本人全員が入国できたのは2時間以上かかりました。
それからバスで30分移動、泉眼温泉宿に着いたのが22:00でした。温泉は湯船が幾つも有り、皆水着姿です。遊園地風に出来ており総て無料、食事も無料で出来たのには驚きでした。大学合気道部の多くの女子部員も来ており、色々な湯船に浸かりながら盛んに日本語で話し掛けてくれ飽きずに過ごせました。
10/20日 朝 9:30 集合 バスで中学校体育館え
11:00~13:00 まで講習会、広い体育館の正面に100畳位のマットが引かれていました。香港の一部のクラブが来なかった代わりにマカオに来られなかった大学の合気道部員が加わり、人数は昨日と同じ100名でした。今回は結構見学者も居ました。この地区では韓国の蹴拳道が盛んで黒帯を締めた有段者が4,5人見学をしていました。
蹴拳道関係の見学者が居ましたので彼らに無い技、合気道の「後首締め」の技を行いました。呼吸投、入身投、一教、二教などです。始めは少し離れた所で見ていましたが、技に興味を持ったのか、段々マットに近づいて来ました。私が一緒に稽古したらと話したら喜んで皆と稽古を始めました。手で叩くと相手が捻るのを止めると教えるまでは、2教で捻られて悲鳴を上げていました。100畳で100人の稽古では狭いので、有段者だけ前に出し連続して稽古をして有段者のストレスを解消さたりしました。結構暑く皆さん汗だくで楽しい稽古は無事終わりました。
稽古が終わると、写真を一緒に写真をとか、道着にサインをして下さいとか、大学の合気道部員が云ってきて結構忙しいです。外に出た学生達はそのサインの字を露店で安い費用で刺繍してもらっていました。サインを刺繍する事は私も初めての経験でした。色々な事を考える物ですね。外に出て、私は当地の先生の車で、皆さんはバスでマカオに帰る為に税関の所に行きました。又民族大移動の様な人、人、人でしたが、思ったより時間がかからず全員通過することが出来ました。
ホテルに帰り、道着を置いて直ぐサヨナラパーテーに行きました。今回の食事はポルトガル風の中華料理でした。子ブタの頭が付いた焼き豚、鳥の頭が乗った料理等今回の旅行で何回か食べた料理とは又一味違った料理でした。マカオのオープン合気道の会員と家族、我々日本からの参加者で稽古、行事も総て済んでいますので皆さん伸び伸びした雰囲気です。ビール、ウイスキー、ワインそして日本酒まで出ましたので宴会は大いに盛り上がりました。21時三本締めで解散です。私、吉川会長はカジノに行き100ドル負けて帰りました。残りの人は歩いてホテルに帰る途中、或るカジノのホテル前で音楽に合わせた噴水のショウ見ること出来たと大喜びでした。今回も私の部屋に何名か集まり夜中の1時近くまで談笑して解散しました。
10/21 朝9時ロビー集合、マカオフェリーターミナルに行き、皆さんは香港空港えと帰途につきました。私は香港在住でイギリス人、ジャステン4段(小林道場傘下会員)の案内で香港市内を観光案内してもらい彼の家に一泊、10/22日に羽田空港駅国無事マカオ指導の旅は終了しました。
(注)「不動明王」とは・・・不動明王は悪魔を降伏させるため恐ろしい姿をされ、総ての障害を打ち砕き、おとなしく仏道従わない者を無理矢理にでも導き救済すると云う役目を持つ。真言宗の教主「大日如来」の従者で姿は目を怒らせ右手に宝剣を持つ
よく