2017年 03月 13日
盛平翁先生の書 |
合気道小林道場には合気道創始者植芝盛平翁先生の直筆の書が4枚あります。2度と手に入らない物です。3枚は巻紙の大きさです。これは私が昭和35年(1960年)頃本部道場内弟子時代に昼の休み時間に道場の真ん中で書の練習を一人でしていました。その時に植芝盛平翁先生が道場に見えました。「小林、何を書いている」声を掛けて下さいり、私の置いた筆を取り上げました。私は持っていました巻紙を咄嗟に広げました。翁先生はその巻紙に「正勝」「吾勝」「勝速日」を書かれました。当然、印は押されていません。印が無ければ価値は半減します。内弟子には翁先生の書に印を押す仕事も有ります。その時に「この巻紙の書」を私は懐に入れて持っていき、先生がトイレに行かれた時に私は先の書を懐から出して素早く印をおしました。現在小平道場に額にして飾って有ります。
写真の全紙の「武神」の書は不思議な縁で私の手に入りました。私の実家は靖国神社、大村益次郎の銅像が有る場所の靖国通りを挟んだ向いの、セブンイレブンから2軒目に有ります。昔は靖国通りの裏には料亭、芸者町でした。何故九段に料亭、芸者街が有ったかと云うと、今の武道館の有る場所は昔には近衛師団が有り、市谷の防衛省が有るところは軍の駐屯地でした陸、海軍が多くいた軍人の街です。料亭が有るのが頷けます。私の戦後の子供時代は父が雑貨屋をしていました。特に桐下駄を扱っていました。父の下駄は、はなをが緩まないので履きやすいと評判でした。料亭の女将、中居や芸者達が桐下駄を買いに沢山来ました。なかなか華やかな街でした。私も料亭の子供達の友達が多く居り検番などで良く遊んだものです。
時代が変わり花街はすたれて行きました。私の実家「村田屋」の裏の料亭が廃業する時に女将が店にきました。「村田屋」の息子が合気道を稽古しているのを知っていました。翁先生の書「武神」を父に無償で提供してくれました。それを現在、小林道場が貰い受け表装し大きな行事の時に飾っています。
何故料亭に翁先生の書が有ったかと云うと、私の考えですが、戦前に植芝盛平翁先生は軍人との付き合いが多かったので、息抜きに料亭に来られていたのと思います。その時に翁先生が「武神」を書かれたのを女将が保管しておいてくれたのです。もう2度と手に入らない植芝盛平翁先生の書です。合気道小林道場の大きな行事の時は是非正面に飾り皆さんに披露して行きたいと考えています。
by shihan_aikido
| 2017-03-13 11:08