ハンガリー合気道小林道場協会10周年記講習会、演武会 |
今年は10週記念ということで小林弘明副道場長、増田学指導部師範と私で指導と演武会を行い記念行事を盛り上げました。講習会参加人員も過去最高の250名以上でハンガリー合気道小林道場協会の発展を如実に物語っています。
1989年ベルリンの壁が崩壊し日本の国際協力機構(JICA)が東欧の情報を得るため日本語教師、柔道、合気道からなる5名の男女を青年海外協力隊体験者から選抜し、先遣隊としてポーランドに派遣しました。その合気道隊員に弘明が選ばれました。実は選ばれたと言うよりも希望者がいなくJICAの事務局で困りはてていた時、たまたま協力隊事務所に電話を掛けた彼を説得し説明会に誘い出し、説明会に行くと既に航空券が用意されていました。
ポーランドのワルシャワを活動拠点として合気道を指導しながら6ヶ月滞在しました。
彼がポーランドのに行く少し前に、小林道場傘下の神奈川県津久井道場でハンガリー人が稽古をしていました。彼がハンガリーの仲間に「ハンガリーで我々が学んでいる合気道はおかしい、本当の合気道では無い。今度合気道小林道場の道場長小林保雄師範がポーランドのワルシャワに行くから会って指導をお願いしろ」と手紙を書いたそうです。
私が息子弘明に合いに1991年8月にワルシャワの空港に行きますと見知らぬ青年3名が「歓迎 合気道小林保雄先生」と大きく書いた紙を持って立っていました。レストランで彼等の話を聞きますと「先生に会いたくて8時間かけブタベストから国際列車に乗って来た事、フランスで合気道を習ったコンゴ人の先生から習っているけれど正しい合気道では無い事に気づいたので是非先生に指導をお願いしたい」ということ一気に訴えました。ブタペスト大学の日本語科の学生なので日本語で必死に説得されました。
私は「指導は何時でも出来るけどハンガリーに来る費用、滞在費は」というと、彼等は「全然有りません、稽古する道場は確保しました。現在仲間は10名もいません。私達はただ正しい合気道を学びたいのです。助けて下さい。」と真剣な顔で訴えて来ました。私も戸惑いながら3名の若者の顔を見つめていました。彼等の目を見つめていると真剣で純粋そして必死の願いが感じられました。
立ち会った弘明の助言も有りましたので私はその場で「合気道小林道場として君達を援助しよう。年一回指導員を派遣する。ただし滞在中の宿泊と食事は君たちで持ってくれ」と返事をしました。「それなら我々も努力すれば何とか費用は出せます。」と嬉しそうに答えてくれました。
合気道小林道場の指導部の故田村恒雄師範の派遣でハンガリーとの交流が始まりました。毎年8月に10日~2週間の講習会指導が続きました。合気道の会員、支部道場は順調にブタペスト市を中心に増えていきました。3年経つと航空券の片道のお金を出せるようになりました。5年経つと全額出せます。そして又ホテルに宿泊して下さい。と段々経済的にも余裕が出る様になりました。 有段者も出てきて、経済的余裕がある者は合気道小林道場に内弟子として何ヶ月が住み込む者も出てきました。
名称もハンガリー合気道小林道場協会と変更して今年で10年、ハンガリーのほとんどの県には小林道場協会の道場があるまでに発展しました。会員1,000名を抱える大組織に発展しています。
合気道小林道場とハンガリーの3名の青年が夢と希望を持って始めた合気道の環が私もここまで発展するとは思いませんでした。人生ただの損得だけでは生きてはいけない事を実感しました。
ただ一つ残念なのは合気道小林道場指導部の田村師範がハンガリーの初期の指導を苦労して担当していましたが、急病で道半ばに急折してしまいました。現在の姿を彼に見せてやりたかったです。