20年目の手紙 その一 |
しかし一人が本格的な弁当を作りだすと競争心からか、色々美味しい弁当に変わってきました。私の好物であるサンマだったり、実家から送ってきたおばあちゃんの漬物や柿が添えて有ったりするようになりました。
ある部員が弁当と一緒に手紙を書いてくれました。お母さんの手助けで一生懸命作りました。味付けや配色に苦労したとの内容でした。それに私がお礼と感想の返事を書きました。他の部員に見せたのでしょう。それからは弁当に必ず手紙が添えられる様になりました。私も必ず返事を書き続けその素晴らしい伝統が40年間絶える事無く続いています。そして私には素晴らしい副産物を得ました。手紙や今書いているブログが苦にならないのです。知らず知らずに書く訓練になっていたのだと思います。
10月28日(土)に埼玉大合気道部、OB,OG会が私の古希のお祝いをしてくれました。古希の祝賀会で幹事が呼びかけで各代の弁当を作ってくれた人達15名から手紙を頂きました。全部載せられませんが、何名かのを匿名で掲載したいと思います。
埼玉大合気道部OG 21期 A
埼玉大通りの欅並木も秋の訪れと共に色づく頃となりました。
先生はいかがお過ごしでいらっしゃいますか?この度は古希を迎えられたとのこと、まことにおめでとうございます。還暦のお祝いの時にも現役時代とお変わりにならない先生とお話したことを覚えています。あれから十年とははやいものですね。 中略
幹部の3年、小林先生の稽古日には、今はないあのプレハブの古くて狭く埃っぽい部室を掃除してお迎えしたことを思い出します。
女子部員が交代で、手作りのお弁当をご用意させていただいていましたね。当時の私達は精一杯つくらせていただいていました。お手紙を添えておくと必ずお返事を書き添えて下さり感激したものです。
同期の女子とその思い出を話していたら「私、先生がお返事を書いて下さった当時のお手紙、まだ持っているよ」という人がいたのです。本日来られず彼女は本当に残念がっていました。先生からのお手紙によって、時を遡り青春時代に戻ったような想いでした。
今も手づくりのお弁当の習慣が受け継がれていると聞きました。私も主婦となった今では、もう少し上手なお弁当を作れると思います。けれども、学生時代の下手だけれど一生懸命なお弁当はもう作れないと思うのです。
小林先生、現役の皆さんの精一杯の心のこもったお弁当をめしあがり、これからもずうっと学生達に稽古をつけてくださいね。
後 略
済玉大学合気道部OG 21期 B
小林先生
ご無沙汰しております。今年は古希をむかえられたとのこと、おめでとうございます。
私は三年ほど前に稽古を再開しました。全日本演武大会での先生の演武を拝見するたび、懐かしさがこみ上げて、是非、先生の稽古に参加したいと思いましたが、本日は都合が合わず残念です。
私が卒業して二十年近く経ちましたが、下級生の頃、お弁当を作った際、先生に頂いたお返事のお手紙を、実は今でも持っています。当時私は怪我をし、間近に控えた審査を受けられずにいました。そんな私を気遣い、励まし、戒めてくださったお手紙でした。私だけの宝物と、大切にいております。そしてこれからも、合気道で壁にぶつかった時には、この手紙から、気を頂こうと思います。
最後に、先生のこれからの益々のご活躍、合気道小林道場の繁栄を祈っております。
上の写真は私が20年前に書いた手紙のコピーです。