2009年 06月 03日
合気道の歴史を伝える必要性 |

女神様が差し入れで、美味しい古代米のおにぎりを今回も提供してくれました。人数が多いので全員に回らないのですが、これを楽しみにしている古い会員も結構多くいます。特に今年は皆を喜ばせたのは会員の琵琶氏が「たこ焼き」を焼いてくれた事です。彼はプロの「たこやき屋さん」です。屋台の車を持ち込み焼きたてのたこ焼きを皆に提供してくれました。
女神様が明大合気道部の2年女子部員と話していた時に明大合気道部は誰が創立したか聞いてみたそうです。女子部員は「えっ・・・、小林先生かな?・・・」と一寸絶句し「分かりません」のひとことだったそうです。女神様も今の現役学生は誰が部を創立したかも知らないと嘆いていました。
しかし考えてみると明大合気道部も創立54年目に入ります。私が大学3年生、昭和32年(1957年)の時に本部道場に稽古に来ていた明大生5名と協力して結成したのです。現在の現役1,2年生とは孫ほど違います。コンパ、合宿では部長、監督、コーチなどと挨拶の役職はいいます。でも何年に創立して部が同好会から体育会へとどの様に合気道部が変遷していったか一度も話した事もありません。知らないのが当然かも知りません。現役学生に語り継がなかった私達部の役員やOB・OGが悪いのです。

演武自体は普段通りに行われ、もちろん合気道小林道場の団体演武、私の個人演武も行われました。最後はいつもの通り、多田宏師範、道主植芝守央先生の参加者、見学者への感謝の言葉、そして演武でした。本部指導部員を受けに合気道の基本の技、捌きを総て演武され観衆を魅了し終了しました。
私は幸いにも第1回の演武会から今回の第47回演武会まで1回も欠かすことなく出場を続けさせて頂いております。合気道の歴史に残る様な総ての先生方の演武を拝見してきました。

二代道主植芝吉祥丸先生は合気道の普及発展に全力を献げられ国内、海外に合気道の発展の礎を築かれました。私も本部道場指導部員の一員として戦後合気道の出発点から協力させて頂きました。植芝吉祥丸先生は演武会の時は必ず合気道創始者植芝盛平翁先生の話と合気道の技、理合いの説明をされました。プログラムの題も総合説明演武となっていました。これは亡くなられる平成10年(1998年)の全日本演武大会まで変わらず続けられました。
現道主植芝守央先生のプログラムには総合演武としか書かれていません。説明するという言葉が有りませんので演武自体には何も問題は有りません。合気道がここまで広まり全日本合気道演武大会で集まる人の9割が合気道経験者ですので技の説明の必要はなくて良いと思います。しかし演武会に参加する人達は年々若返っていますので、たまには合気道の基本的な歴史の話をされてはいかがかと、今回明大合気道部の話と重ねて思いました。皆さんはどう考えますか?
私も戦後合気道の早い時期から稽古を始めました。合気道の発展の歴史を体験しています。今後も機会あるごとにこのブログに書いていますので是非読んで下さい。
by shihan_aikido
| 2009-06-03 11:56