2009年 06月 16日
中華民国98年青年盃合気道日中演武大会 |
今年も台湾に演武大会のために行ってきました。5月30日(土)に小平道場の内野3段と2人で成田空港から乗りましたが、席が埋まっているのは1/3程度でした。不景気とインフレエンザの影響でしょうか?フライトアテンダントが一人一人挨拶にきて「JALをご利用有り難うございました」と、最敬礼されたのは驚きでした。
台北の空港も行く度に近代化され綺麗で便利になっています。昔のように空港に着いただけで台湾独特の雰囲気と匂があり、「台湾に来た」というような感激が薄れています。台北の街中も、あれほどたくさんあった屋台が一掃され綺麗になっています。オートバイの集団はまだ減ってはいませんが・・・。
右は今回のプロラムです。98年とりますが中華民国暦98年の事で西暦とは違います。日本で平成21年といっているのと同じです。中華民国歴は、多分高校の歴史で学んだと思いますが辛亥革命の翌年に中華民国が成立した1912年が民国元年です。今年は中華民国成立から98年ということになります。年号の事は今年私も調べて初めて知りました。
表紙の日の丸の下に演武の絵がありますが、どう見ても私の姿を書いたものと思われます。技で投げる反対の方の手を伸ばす癖を良く書いています。また顔や身体の感じの特長をもよくとらえていて自分でも「ワア・・恥ずかしい」という感じです。この表紙は演武会始まってからずーと使われています。
今年は台北市南港運動中心(運動中心は運動センターと言う意味です)で演武会が行われました。参加者は約500名、33団体です。勿論台北以外の台中、高尾からも参加しています。
プログラムは一団体3分の割り当てで滞り無く行われ、約3時間弱で終わりました。ここまでスムーズに演武が行われる様になるまでには長い年月と私達のたゆまない指導の成果です。
何年か前までは演武会が始まるまでの儀式が結構長くありました。国歌斉唱から始まり、蒋介石総統の写真に対する三鞠躬の礼(写真に向かってお辞儀を三回する)、延々と続く来賓の挨拶、私達日本から来た参加者歓迎の獅子舞、太極拳、爆竹までたかれました。一番驚いたのは途中演武を中断しての「おかまショウ」です。
以前はTV撮影も良くあり、撮影隊が来ると演武の進行状況を一切無視して、プログラム最後の方にある、日本からの参加者や私の演武の撮影を要求します。台湾の合気道関係者もPRの為、要求を呑みますので演武会の雰囲気も台無しになる時もありました。
1990年に中華民国合気道推廣訓練協進会と合気道小林道場共催で台北市国際演武大会と銘打って植芝吉祥丸二代道主の参加をお願いした事がありました。その時も勿論TV撮影があり、合気道小林道場の参加者、植芝吉祥丸二代道主を撮影して帰りました。翌日TVが放送される時間に道主と私達が放送を見ていますと、道主に似た年配の会員の演武が延々と放送され吉祥丸道主が一切出てきません。TV局が道主と体格や雰囲気の似ていた東大和市合気道会の山下氏を間違えて撮影していたのです。
道主は機嫌が悪い時に足を貧乏ゆすりする癖があります。TVを見ながら道主を横目で見ますと足を揺すりだしました。最悪の事態ですが、私はどうすることもできず、素知らぬ振りをするより仕方がありませんでした。変な同情の言葉を掛ければ怒りが私の方に来ると思いましたので・・・。すみません。
悪い事に翌日のスポーツ新聞の記事にも間違えた写真が大きく掲載されていました。私はどう道主をとりなしたか記憶がありませんが、台湾の合気道の人達と一緒に機嫌が直るように平身低頭したと思います。
話は変わりますが、ここ数年で日本人の心を持ち日本語が堪能で合気道に生き甲斐を賭けて下さった台湾合気道界の長老である、呉金龍師範、陳必卿師範が続けて亡くなられました。この2人がいなければ台湾の合気道と合気道小林道場の交流は無かったと思います。我々にとっても恩人でしたし、本当に残念でしかたがありません。台湾で現在75才以上の方は日本の教育を受けていますので日本語を話せます。しかし台湾の合気道関係者も年配の人達がほとんどいなくなっています。稽古や演武会そして宴会などの交流の場で意志の疎通ができにくくなってきました。
幸いな事に小林弘明副道場長は台湾の大学に留学していた経験もあり中国語が堪能です。彼を中心に今後も若い指導部員と若い中華民国合気道推廣訓練協進会との交流に一層の努力をして行きたいと思います。毎年交流は持たれますので皆さんの参加をお願いします。
台北の空港も行く度に近代化され綺麗で便利になっています。昔のように空港に着いただけで台湾独特の雰囲気と匂があり、「台湾に来た」というような感激が薄れています。台北の街中も、あれほどたくさんあった屋台が一掃され綺麗になっています。オートバイの集団はまだ減ってはいませんが・・・。

表紙の日の丸の下に演武の絵がありますが、どう見ても私の姿を書いたものと思われます。技で投げる反対の方の手を伸ばす癖を良く書いています。また顔や身体の感じの特長をもよくとらえていて自分でも「ワア・・恥ずかしい」という感じです。この表紙は演武会始まってからずーと使われています。
今年は台北市南港運動中心(運動中心は運動センターと言う意味です)で演武会が行われました。参加者は約500名、33団体です。勿論台北以外の台中、高尾からも参加しています。
プログラムは一団体3分の割り当てで滞り無く行われ、約3時間弱で終わりました。ここまでスムーズに演武が行われる様になるまでには長い年月と私達のたゆまない指導の成果です。
何年か前までは演武会が始まるまでの儀式が結構長くありました。国歌斉唱から始まり、蒋介石総統の写真に対する三鞠躬の礼(写真に向かってお辞儀を三回する)、延々と続く来賓の挨拶、私達日本から来た参加者歓迎の獅子舞、太極拳、爆竹までたかれました。一番驚いたのは途中演武を中断しての「おかまショウ」です。
以前はTV撮影も良くあり、撮影隊が来ると演武の進行状況を一切無視して、プログラム最後の方にある、日本からの参加者や私の演武の撮影を要求します。台湾の合気道関係者もPRの為、要求を呑みますので演武会の雰囲気も台無しになる時もありました。


悪い事に翌日のスポーツ新聞の記事にも間違えた写真が大きく掲載されていました。私はどう道主をとりなしたか記憶がありませんが、台湾の合気道の人達と一緒に機嫌が直るように平身低頭したと思います。
話は変わりますが、ここ数年で日本人の心を持ち日本語が堪能で合気道に生き甲斐を賭けて下さった台湾合気道界の長老である、呉金龍師範、陳必卿師範が続けて亡くなられました。この2人がいなければ台湾の合気道と合気道小林道場の交流は無かったと思います。我々にとっても恩人でしたし、本当に残念でしかたがありません。台湾で現在75才以上の方は日本の教育を受けていますので日本語を話せます。しかし台湾の合気道関係者も年配の人達がほとんどいなくなっています。稽古や演武会そして宴会などの交流の場で意志の疎通ができにくくなってきました。
幸いな事に小林弘明副道場長は台湾の大学に留学していた経験もあり中国語が堪能です。彼を中心に今後も若い指導部員と若い中華民国合気道推廣訓練協進会との交流に一層の努力をして行きたいと思います。毎年交流は持たれますので皆さんの参加をお願いします。
by shihan_aikido
| 2009-06-16 10:31