2009年 06月 24日
袴 |
道場に入門して審査を受け、3級や2級になると「早く袴をはきたい」と多くの人が言い出します。文章で決めた訳ではありませんが、小林道場では道場を開いて以来女子、男子とも初段以上が袴をはく習慣になっています。
(写真は植芝翁先生の白袴)
私は本部道場の指導部に18年間在籍していましたが、袴をはくことに関して規則や規約があることを読んだ事も聞いた事もありません。昔から男子は初段になってはく習慣の様でした。国内の他道場では2級や3級から袴をはく道場もあり、海外ではフインランド合気会、スウェーデンの弥栄道場関係の人達は男子も3級から袴を履いています。
むかし本部道場では、女性は入門時から袴をはかせていました。私が入門した昭和30年(1955年)にほとんど女子会員はいませんでしたが、その後当時18才の私の妹(史子)や若い女性が時々入門する様になってきました。
私達内弟子は翁先生のお世話を入門してきた若い女性を拝みたおして協力してもらいました。翁先生は当時70才過ぎたばかりでしたが、若い女性に色々日常の世話や話相手をしてもらいますと機嫌がよくなり、我々内弟子達にも無理難題が少なくなります。内弟子達はその間、他の仕事や稽古ができますし、場合によっては自由時間ができ遊びにも行けましたので良いことずくめです。翁先生は、若い娘が道着姿で大きなお尻をだして受け身するのはよくないと何回もいわれました。翁先生の言葉は「天の声」ですので女性には入門と同時に袴をはかせていました。しかし本部道場も女性入門者が増えてくるとお金も掛かることですので、本人の選択に任せる様になりました。支部道場でも女性入門者もふえてきて入門時からはかせる道場と、初段になってからはく道場にわかれてきました。多くの大学合気道部の女子部員は新入部員時から袴をはかせて現在に至っています。
(写真は昭和35年(1960年)頃の旧本部道場女子は全員袴を履いている。玄関付近で立っているのが私)
私が合気道小林道場を小平に開設したのが昭和44年(1969年)ですが他の道場で稽古していた女性が小林道場に途中入門してくる時がたまにあります。稽古の時に女性が袴をはいていると、袴をはいている女性は受け身や技がかなりできると思います。普通に投げるのですがケガをする人がでる事がありました。その様な事が何回か起きましたので、小林道場では級の人は女子でも袴をはくのを遠慮してもらうようになりました。しかし大学合気道部女子部員が小林道場に稽古に来たときは級の人は袴を着けずに稽古している人もいますし、受け身さえできればはいている人もいます。あくまで本人の意志に任せています。
植芝盛平翁先生は演武や稽古の時、白袴をよくはかれました。二代道主植芝吉祥丸先生は若い時は黒でしたが二代道主を継承してから「ねずみ色」の袴を好んではかれる様になりました。しかし白袴で指導、演武された記憶は私には有りません。されなかったと思います。
(写真は植芝吉祥丸先生の袴の色:ねずみ色)
本部道場の袴の規制は全日本演武会の時だけ通達がきます。一般修行者は黒か紺と3年前から規制するようになりました。これは全日本演武会の時、白と黒のツートンカラーの袴をはく師範や、袴に似たズボンの様な物をはく師範がいたからです。私としてもこれは行き過ぎと感じていましたので賛成です。何でもありでは、神社の巫女さんの様な赤の袴を履く人も出てくるかも知れません。あくまでも武道としての合気道の基本的な習慣、伝統は守ってもらいたいです。
(写真は植芝翁先生の白袴)
私は本部道場の指導部に18年間在籍していましたが、袴をはくことに関して規則や規約があることを読んだ事も聞いた事もありません。昔から男子は初段になってはく習慣の様でした。国内の他道場では2級や3級から袴をはく道場もあり、海外ではフインランド合気会、スウェーデンの弥栄道場関係の人達は男子も3級から袴を履いています。
むかし本部道場では、女性は入門時から袴をはかせていました。私が入門した昭和30年(1955年)にほとんど女子会員はいませんでしたが、その後当時18才の私の妹(史子)や若い女性が時々入門する様になってきました。
私達内弟子は翁先生のお世話を入門してきた若い女性を拝みたおして協力してもらいました。翁先生は当時70才過ぎたばかりでしたが、若い女性に色々日常の世話や話相手をしてもらいますと機嫌がよくなり、我々内弟子達にも無理難題が少なくなります。内弟子達はその間、他の仕事や稽古ができますし、場合によっては自由時間ができ遊びにも行けましたので良いことずくめです。翁先生は、若い娘が道着姿で大きなお尻をだして受け身するのはよくないと何回もいわれました。翁先生の言葉は「天の声」ですので女性には入門と同時に袴をはかせていました。しかし本部道場も女性入門者が増えてくるとお金も掛かることですので、本人の選択に任せる様になりました。支部道場でも女性入門者もふえてきて入門時からはかせる道場と、初段になってからはく道場にわかれてきました。多くの大学合気道部の女子部員は新入部員時から袴をはかせて現在に至っています。
(写真は昭和35年(1960年)頃の旧本部道場女子は全員袴を履いている。玄関付近で立っているのが私)
私が合気道小林道場を小平に開設したのが昭和44年(1969年)ですが他の道場で稽古していた女性が小林道場に途中入門してくる時がたまにあります。稽古の時に女性が袴をはいていると、袴をはいている女性は受け身や技がかなりできると思います。普通に投げるのですがケガをする人がでる事がありました。その様な事が何回か起きましたので、小林道場では級の人は女子でも袴をはくのを遠慮してもらうようになりました。しかし大学合気道部女子部員が小林道場に稽古に来たときは級の人は袴を着けずに稽古している人もいますし、受け身さえできればはいている人もいます。あくまで本人の意志に任せています。
植芝盛平翁先生は演武や稽古の時、白袴をよくはかれました。二代道主植芝吉祥丸先生は若い時は黒でしたが二代道主を継承してから「ねずみ色」の袴を好んではかれる様になりました。しかし白袴で指導、演武された記憶は私には有りません。されなかったと思います。
(写真は植芝吉祥丸先生の袴の色:ねずみ色)
本部道場の袴の規制は全日本演武会の時だけ通達がきます。一般修行者は黒か紺と3年前から規制するようになりました。これは全日本演武会の時、白と黒のツートンカラーの袴をはく師範や、袴に似たズボンの様な物をはく師範がいたからです。私としてもこれは行き過ぎと感じていましたので賛成です。何でもありでは、神社の巫女さんの様な赤の袴を履く人も出てくるかも知れません。あくまでも武道としての合気道の基本的な習慣、伝統は守ってもらいたいです。
by shihan_aikido
| 2009-06-24 16:09