2009年 08月 28日
野球観戦 |
8月8日(土)夕方、埼玉県西武球場に会員30名と野球観戦に行きました。西武本社に勤めている会員が小林道場として3塁側に30席を確保してくれたのです。私が西武球場に野球観戦に行ったのは田淵選手が現役で活躍していた頃ですから20年振り以上になります。
女神様は野球を始め、あらゆるスポーツ観戦が大好きで、シーズン中は毎日のようにTVで野球観戦です。春夏の甲子園の高校野球もしっかりと見ます。私にとって悲劇です。朝8時30分から一日高校野球漬けです。私はどんなスポーツでも見て楽しむという感覚がありません。自分が身体を動かす事以外興味がないのです。つまり非常にワガママな性格です。女神様と一緒に観戦に行っても私はビールを飲み、直ぐに居眠りを始めます。歓声が起こると目が覚めて女神様に、「何?」と毎回聞きますので嫌がってそれ以来一度も連れて行かれた事がありません。今回は私にとって本当に久振りの観戦でした。
当日西武球場で弁当を食べ、ビールを飲み、配られた旗を振り、ラッキーセブンでは風船を飛ばしました。30名の会員の方がいますので何かと話しかけられたり、写真を撮られたりしますので居眠りする暇もなく野球を見ることができました。埼玉西武11点とソフトバンク1点で埼玉西武の快勝でした。球場は暑かったですが楽しい一時を過ごすことができました。私は9回で帰りましたが、最後まで残っていた会員達はファンサービスでグランドに降りること事ができ芝生の上で受け身取ったら気持ちよかったといっていました。
野球観戦にあまり興味はありませんが、野球人とのつながりは結構あり人もうらやむ体験をしています。かつて巨人軍の黄金時代を築いて当時現役だった王、長島、広岡、山内、沼沢などの各選手達と一緒に食事をしたり、行動を共にした事が何度もありました。
それは本部道場指導部員時代に植芝吉祥丸二代道主から「この人は有名な野球選手だから小林、お前が担当でこれから個人稽古をしなさい」と当時巨人軍のコーチの荒川博氏を紹介されて彼と稽古を始めました。小林道場では行っていませんが個人稽古というのは指定された時間に指導員と1対1で稽古する稽古法です。
荒川博氏は王貞治選手を見いだし早稲田実業高校から巨人軍に入団させ世界の王に育てた人です。なぜ合気道を始めたかというと合気道の「自然な円い動き」と「気の原理」を野球に活用できないかと思い立ち本部道場に入門して、たまたま私が個人稽古の担当となったのです。
色々な逸話は私の伝記「我が道 合気道」や合気ニュースの第1回友好演武会のDVDに収録されている、私の説明演武が有ります。最近では、一本足打法誕生秘話などは、2009年7月1日の読売新聞スポーツ欄、そして月刊誌「致知」(致知出版社)2009年6月号に荒川博氏と王貞治氏の対談に収録、掲載されていますのでそちらをご覧下さい。荒川博氏は合気道の「円転の理」や「臍下の一点」そして「呼吸法」などを植芝盛平翁先生の話のなかから導きだし一本足打法を考案し王選手に実行させ世界のホームラン王にしたのです。
野球シーズンがオフの時には荒川コーチは本部道場に長島、王、広岡、沼沢各選手を連れてきました。王、長島各氏は本部道場に来て荒川コーチが合気道の理論や円い自然の動きを私相手に説明演武する姿を興味深く観察していました。実際に道着を着て合気道の稽古をしたのは広岡、沼沢の両氏でした。広岡氏は非常に運動神経が良く、ほとんどの技を5回ぐらいやると直ぐ修得していました。巨人軍の名2塁手といわれたのももっともだと思いました。今まで国内外で多くの人を指導しましたが、彼ほど勘の良い人にはまだ出会いません。
昭和35年頃はまだまだ食料や物が現代の様に豊富ではありませんでした。本部道場の内弟子達は常に腹を空かせていた時代です。寿司など1年に1回でも腹一杯食べられたら死んでもよいと思うような時代です。荒川、広岡氏がお金を出し内弟子達全員に寿司を腹一杯食べさせてくれた事はいまだに忘れません。一番数を食べた私ともう一人の内弟子に賞金1000円くれたのを覚えています。
王選手に本部道場より新宿駅まで車で送ってもらった時、駅で王選手の車だと分かると人々に取り囲まれました。さすが野球に興味無い私でも大変な人だなぁと実感しました。
あれから50年経ちます。道場には王貞治氏と中学生の時同級生だった女性が稽古に来ています。王貞治氏が同窓会に出席した時に合気道の話や私の事を話しましたら王貞治氏は覚えていて色紙を書いてくれました。よい記念品になっています。
また機会がありましたら皆で野球観戦に行きましょう。女神様と2人だけでは居眠りしますので夫婦喧嘩の種になります。

当日西武球場で弁当を食べ、ビールを飲み、配られた旗を振り、ラッキーセブンでは風船を飛ばしました。30名の会員の方がいますので何かと話しかけられたり、写真を撮られたりしますので居眠りする暇もなく野球を見ることができました。埼玉西武11点とソフトバンク1点で埼玉西武の快勝でした。球場は暑かったですが楽しい一時を過ごすことができました。私は9回で帰りましたが、最後まで残っていた会員達はファンサービスでグランドに降りること事ができ芝生の上で受け身取ったら気持ちよかったといっていました。

それは本部道場指導部員時代に植芝吉祥丸二代道主から「この人は有名な野球選手だから小林、お前が担当でこれから個人稽古をしなさい」と当時巨人軍のコーチの荒川博氏を紹介されて彼と稽古を始めました。小林道場では行っていませんが個人稽古というのは指定された時間に指導員と1対1で稽古する稽古法です。
荒川博氏は王貞治選手を見いだし早稲田実業高校から巨人軍に入団させ世界の王に育てた人です。なぜ合気道を始めたかというと合気道の「自然な円い動き」と「気の原理」を野球に活用できないかと思い立ち本部道場に入門して、たまたま私が個人稽古の担当となったのです。
色々な逸話は私の伝記「我が道 合気道」や合気ニュースの第1回友好演武会のDVDに収録されている、私の説明演武が有ります。最近では、一本足打法誕生秘話などは、2009年7月1日の読売新聞スポーツ欄、そして月刊誌「致知」(致知出版社)2009年6月号に荒川博氏と王貞治氏の対談に収録、掲載されていますのでそちらをご覧下さい。荒川博氏は合気道の「円転の理」や「臍下の一点」そして「呼吸法」などを植芝盛平翁先生の話のなかから導きだし一本足打法を考案し王選手に実行させ世界のホームラン王にしたのです。
野球シーズンがオフの時には荒川コーチは本部道場に長島、王、広岡、沼沢各選手を連れてきました。王、長島各氏は本部道場に来て荒川コーチが合気道の理論や円い自然の動きを私相手に説明演武する姿を興味深く観察していました。実際に道着を着て合気道の稽古をしたのは広岡、沼沢の両氏でした。広岡氏は非常に運動神経が良く、ほとんどの技を5回ぐらいやると直ぐ修得していました。巨人軍の名2塁手といわれたのももっともだと思いました。今まで国内外で多くの人を指導しましたが、彼ほど勘の良い人にはまだ出会いません。
昭和35年頃はまだまだ食料や物が現代の様に豊富ではありませんでした。本部道場の内弟子達は常に腹を空かせていた時代です。寿司など1年に1回でも腹一杯食べられたら死んでもよいと思うような時代です。荒川、広岡氏がお金を出し内弟子達全員に寿司を腹一杯食べさせてくれた事はいまだに忘れません。一番数を食べた私ともう一人の内弟子に賞金1000円くれたのを覚えています。
王選手に本部道場より新宿駅まで車で送ってもらった時、駅で王選手の車だと分かると人々に取り囲まれました。さすが野球に興味無い私でも大変な人だなぁと実感しました。

また機会がありましたら皆で野球観戦に行きましょう。女神様と2人だけでは居眠りしますので夫婦喧嘩の種になります。
by shihan_aikido
| 2009-08-28 15:27