インドネシアと合気道小林道場道場 |

インドネシアの合気道と小林道場とは深い繋がりがあります。
日本政府はインドネシアに対し戦後賠償として1967年に474名の留学生を受け入れました。その一人マンスール氏が秋田大学在学中に合気道を稽古し帰国後インドネシアの首都ジャカルタで合気道の稽古を始めました。また、同じく日本留学からの帰国者で養神館合気道を稽古していた人などが個人的に稽古していましたが、1986年にそれらの人々が全て協力してインドネシア合気道協会を立ち上げました。
その後、日本船舶振興会の援助などで本部道場の指導部員が巡回指導したりしてインドネシアで少しずつ合気道が根付いてきました。仕事の傍らの指導や年1回の本部からの指導員派遣ではインドネシア合気道のさらなる発展には限界があります。その為、インドネシア合気道の関係者は日本政府の海外援助の為の組織、国際協力機構(JICA)に青年海外協力隊合気道隊員の派遣を要請してきました。
この派遣採用試験に当時大学を卒業したばかりの小林弘明現副道場長が合格しました。小林弘明は1969年4月に開設した合気道小林道場の一番弟子です。一番弟子というと恰好良いです。現在35カ国に指導員を派遣している合気道小林道場も40年前、道場を開いた時には3才の弘明しかいなかったのです。 3才から大学卒業まで合気道を続け当時参段、台湾、アメリカ、カナダにも留学経験が有り語学が堪能なので採用されました。半年間の訓練を終えインドネシアの合気道指導、普及の為首都ジャカルタに派遣されました。
当時ジャカルタで稽古している場所は3ヶ所でした。稽古場所確保の為に奔走しました。当時の会長が外務省の役人だった事もあり、外務省のロビーを借りてしばらく稽古したこともあります。地道な努力の結果、稽古場所と稽古人も少しずつ増えていきました。

(写真:スンバワ島の会員達と)
こんなエピソードがあります。海部俊樹元首相も本部道場で合気道を稽古していた時があります。ジャカルタを訪問した時にジャカルタの日本大使館の職員に合気道を稽古している日本人指導者に会いたいと尋ねました。大使館員が道場に問い合わせた所、中国人が教えているとの返事が返って来たそうです。当時インドネシアで合気道を稽古している人達は経済的な理由で華僑や中華系のインドネシア人が結構多くいました。そのため、中国語の堪能な小林弘明は中国語で会話していたので、中国人と間違えられていたのです。

(写真:横断幕で歓迎)
私も一度インドネシアを訪問しました。首都ジャカルタの他、地方の道場でも稽古しました。スンバワ島という島です。ジャカルタから1時間飛行機に乗ると、観光地で有名なバリ島に着きます。そこからプロペラ機に乗り換えて、ロンボック島を経由して1時間乗るとスンバワ島です。ここにも合気道の道場がありました。島にはまだロバが引く馬車が交通手段として使われていましたが、空港には多くの会員達と警察車両が迎えに出ていました。空港からホテルまではパトカー先導で、さながら優勝パレードの様に凱旋します。道には合気道8段小林保雄師範歓迎の横断幕が張られていました。警察署長の息子が合気道を稽古していましたのでパトカーを出してくれたそうです。それでもこんな田舎の島まで合気道が普及していたのは感激でした。
弘明が帰国後インドネシアとの交流は途絶えていました。しかし、インドネシア合気道普及の礎は小林弘明が築きましたので、以前指導を受けた人達が小林弘明に指導を受けたいと5年位前から交流を求めて来てました。年2回合気道小林道場指導部からの巡回指導を行って、現在傘下道場は50ヶ所以上にのぼっています。会員の皆さんも指導部員の巡回指導の時に是非一緒に行って現地の会員と交流をお願いします。