2010年 01月 02日
謹賀新年 |
明けましておめでとう御座います。
私が合気道小林道場発祥の地である小平市学園東町に引っ越して来たのは46年まえの昭和38年(1963年)東京オリンピックの前年でした。当時中央線に乗ると中野を過ぎると電車の窓から見る風景は見渡すかぎり畑の時代です。冬などは車内の温度が三鷹を過ぎると下がるのがわかりました。それほど回りには住宅が無かったのです。
西武線新宿線小平駅のホームはペンペン草が生えていて、何処からでも乗れた田舎の駅です。駅前は枕木などの材木置き場で、「ルネ小平」の有る場所は都営住宅でした。「新青梅街道」や「あかしや通り」もありませんでした。西武多摩湖線の一橋学園駅前にあったのは、肉屋と八百屋そして床屋の3軒です。左側は盛り土した塀で大きな屋敷が有りました。彫刻家として有名な平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)氏の屋敷でした。 倉天心の弟子で芸大名誉教授、文化勲章も授与されている日本を代表する彫刻家です。小平名誉市民で道場から20分ぐらい歩いた玉川上水の辺りに平櫛田中彫刻美術館があります。彼は長寿で107才まで生きました。彫刻ばかりでなく百才の時そして数々の名言も残しています。
いくつか紹介します。
「七十、八十は鼻たれ小僧、人間ざかりは百から百から。わしらの人生、これからこれから」 小林 保雄はまだ73才これからこれからです。
「いまやらねば、いつできる、わしがやらねば、だれがやる」
「実践、実践また実践 挑戦、挑戦また挑戦 修練、修練また修練 やってやれないことはない やらずにできるわけがない 今やらずしていつできる わしがやらねばだれがやる」
「こだわるな、こだわるな。人間本来、住むところなし。どこに住んでも心は一つ。仕事ができればそれでよい。」
「わからなくても困る。わかりすぎても困る。百を越えても青二才。勉強勉強、人生すべて師なり」
私の今年の抱負
たとえ周りが嫌な顔をしても、
「わしがやらねば、だれがやる」 万歳
私が合気道小林道場発祥の地である小平市学園東町に引っ越して来たのは46年まえの昭和38年(1963年)東京オリンピックの前年でした。当時中央線に乗ると中野を過ぎると電車の窓から見る風景は見渡すかぎり畑の時代です。冬などは車内の温度が三鷹を過ぎると下がるのがわかりました。それほど回りには住宅が無かったのです。
西武線新宿線小平駅のホームはペンペン草が生えていて、何処からでも乗れた田舎の駅です。駅前は枕木などの材木置き場で、「ルネ小平」の有る場所は都営住宅でした。「新青梅街道」や「あかしや通り」もありませんでした。西武多摩湖線の一橋学園駅前にあったのは、肉屋と八百屋そして床屋の3軒です。左側は盛り土した塀で大きな屋敷が有りました。彫刻家として有名な平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)氏の屋敷でした。 倉天心の弟子で芸大名誉教授、文化勲章も授与されている日本を代表する彫刻家です。小平名誉市民で道場から20分ぐらい歩いた玉川上水の辺りに平櫛田中彫刻美術館があります。彼は長寿で107才まで生きました。彫刻ばかりでなく百才の時そして数々の名言も残しています。
いくつか紹介します。
「七十、八十は鼻たれ小僧、人間ざかりは百から百から。わしらの人生、これからこれから」 小林 保雄はまだ73才これからこれからです。
「いまやらねば、いつできる、わしがやらねば、だれがやる」
「実践、実践また実践 挑戦、挑戦また挑戦 修練、修練また修練 やってやれないことはない やらずにできるわけがない 今やらずしていつできる わしがやらねばだれがやる」
「こだわるな、こだわるな。人間本来、住むところなし。どこに住んでも心は一つ。仕事ができればそれでよい。」
「わからなくても困る。わかりすぎても困る。百を越えても青二才。勉強勉強、人生すべて師なり」
私の今年の抱負
たとえ周りが嫌な顔をしても、
「わしがやらねば、だれがやる」 万歳
by shihan_aikido
| 2010-01-02 20:02