2010年 04月 22日
フィンランド気会40周年記念講習会と演武会 |
3月27日(土)に小平道場の花見を行い、3月30日からはフィンランド合気会40周年行事のため首都ヘルシンキに向かいました。今年のヨーロッパは寒いと聞いていた通り、ヘルシンキのバンタ空港からホテルに向かう道にはまだ雪が沢山あり、海は凍っていました。凍った海を見るのは久し振りで、ある種の感動がありました。

フィンランド合気会40周年記念講習会は首都ヘルシンキの中心街から車で30分のVanraa市の大きな体育館で行われました。500畳の畳の上に約250名の男女が参加者しました。この記念講習会での指導担当は私と、本部道場の遠藤征四郎師範です。この時期はヨーロッパでは復活祭で祭日です。 参加者はフィンランドのみならずスウェーデン、ノルウェー、エストニア、ロシア等から来ていました。
本部道場の遠藤師範は学習院大学合気道部出身で、私が指導を担当していたことが有り教え子です。彼が卒業し本部道場の指導部に入ってきた関係で私と学習院大学合気道部の指導を交代しました。遠藤師範は長い本部指導部での経験で私とは全然異なった指導スタイルを身につけています。私の指導法は一切技の説明をしません。私が投げ、相手の受けを取り手本を示すだけです。稽古中会場全体に指導に回り、悪い点や戸惑っている人達にその場で見本を示し、私が受けを取り教えています。通訳は一切つけません。技の名前は日本語ですので話すときは本当に必要最低限の英語です。
遠藤師範は流れるような体捌きで演武する指導法で体捌きが中心の為に理論的に言葉で説明するタイプです。日本語で説明しますので必ず通訳が必要です。私と遠藤師範の演武、指導法が異なる為に長年指導を受けているフィンランド合気会の会員はハッキリ二つに分かれています。私の指導法が好みの人たちは私の指導時間中心に参加します。又遠藤師範の指導が気に入っている人達は彼の時間に指導を受ける傾向になります。講習会だから両方の指導を受ける人も勿論何割かいます。
日本ではあまり一般的ではありませんが、海外では合宿や講習会の度に合気会発行の国際有段者証や各団体発行の登録証に講習会受講の欄が有署名を先生に求めて来ます。年何回かの講習会に出席しないと昇段、昇級審査の受験対象者にならないので皆真剣です。
記念演武会は各地区の有段者代表が三組ずつ出てきて普段の練習の成果を発表していました。テンポが早く観客を飽きない様に構成されていました。招待されたスウェーデンやノルウェーから来た指導者、ウルバン氏、モリコ氏の演武も素晴らしかったです。両氏は私が1977年にヘルシンキの講習会の時スウェーデンから参加し私の受けを取った人達です。彼等の協力でフィンランド合気会の基礎が固まったのです。フィンランド合気会にとっては恩人です。
子供クラスも演武しましたが道着を着た怪獣が出てきてパフォーマンスをやり皆の笑いを誘っていました。最後の日本人師範演武と紹介され遠藤師範が流れるような体捌きで相手を投げ、私は座り技、基本技で対照的な演武だったと思います。会場の皆さんから盛大な拍手を頂きました。
演武会が終了後、祝賀会は19時より会場の2階で行われました。130名の正装した人達が集まりました。普段稽古着しか見てない人達の正装した姿は別人のように感じました。特に女性は「えっ!誰だっけ?」と思わず見返す人が何人もいました。日本大使館公使 岩藤俊行氏もみえて和やかなに歓談が行われました。合気道小林道場からフィンランド合気会40周年のお祝いとして皆様から賛同を頂いています「むすび基金」から一名の住み込み修業者の航空券代を負担する事を伝えました。
合気道小林道場とフィンランド合気会との関係は私が創立から関係し指導していた東洋大学合気道部の初代主将市村俊和氏が卒業後何年かしてヨーロッパに渡りスウェーデンで合気道の指導を始めました。そこで習った一人のフィンランド人の若者がヘルシンキに帰り1970年に明道館という柔道と空手の道場を借用して合気道のクラブを立ち上げました。これがフィンランド合気道の始まりです。
合気道小林道場の開設が1969年です。日本でもこの時には東京郊外の三多摩でさえ合気道小平道場と東大和市にしか合気道の稽古場所が無い時代でした。日本でも合気道はほとんど知られていいなかったのです。私が講習会に呼ばれた1977年夏には、フィンランド全土で道場は6ヶ所、講習会に参加したのは40名位でした。この時がヘルシンキで行われた最初の本格的な演武会と講習会でした。
その1年後に、当時小林道場の内弟子でした五十嵐和男師範を1年近く北欧に派遣すると共に、20才代の若い優秀なフィンランド人男女を道場に住み込ませ、3ヶ月単位で研修させました。この人達の帰国後の活躍によりフィンランドの合気道は年ごとに発展していきました。
現在では全国各都市に70ヶ所近くの合気道のクラブが有り、6段位の指導者も何名か輩出しています。今回の盛大に行われた40周年の祝賀会、講習会に招かれ参加できたことを名誉に思います。
今後ますますのフィンランド合気会の発展を心よりお祈り申し上げます。

フィンランド合気会40周年記念講習会は首都ヘルシンキの中心街から車で30分のVanraa市の大きな体育館で行われました。500畳の畳の上に約250名の男女が参加者しました。この記念講習会での指導担当は私と、本部道場の遠藤征四郎師範です。この時期はヨーロッパでは復活祭で祭日です。 参加者はフィンランドのみならずスウェーデン、ノルウェー、エストニア、ロシア等から来ていました。
本部道場の遠藤師範は学習院大学合気道部出身で、私が指導を担当していたことが有り教え子です。彼が卒業し本部道場の指導部に入ってきた関係で私と学習院大学合気道部の指導を交代しました。遠藤師範は長い本部指導部での経験で私とは全然異なった指導スタイルを身につけています。私の指導法は一切技の説明をしません。私が投げ、相手の受けを取り手本を示すだけです。稽古中会場全体に指導に回り、悪い点や戸惑っている人達にその場で見本を示し、私が受けを取り教えています。通訳は一切つけません。技の名前は日本語ですので話すときは本当に必要最低限の英語です。

日本ではあまり一般的ではありませんが、海外では合宿や講習会の度に合気会発行の国際有段者証や各団体発行の登録証に講習会受講の欄が有署名を先生に求めて来ます。年何回かの講習会に出席しないと昇段、昇級審査の受験対象者にならないので皆真剣です。
記念演武会は各地区の有段者代表が三組ずつ出てきて普段の練習の成果を発表していました。テンポが早く観客を飽きない様に構成されていました。招待されたスウェーデンやノルウェーから来た指導者、ウルバン氏、モリコ氏の演武も素晴らしかったです。両氏は私が1977年にヘルシンキの講習会の時スウェーデンから参加し私の受けを取った人達です。彼等の協力でフィンランド合気会の基礎が固まったのです。フィンランド合気会にとっては恩人です。

演武会が終了後、祝賀会は19時より会場の2階で行われました。130名の正装した人達が集まりました。普段稽古着しか見てない人達の正装した姿は別人のように感じました。特に女性は「えっ!誰だっけ?」と思わず見返す人が何人もいました。日本大使館公使 岩藤俊行氏もみえて和やかなに歓談が行われました。合気道小林道場からフィンランド合気会40周年のお祝いとして皆様から賛同を頂いています「むすび基金」から一名の住み込み修業者の航空券代を負担する事を伝えました。

合気道小林道場の開設が1969年です。日本でもこの時には東京郊外の三多摩でさえ合気道小平道場と東大和市にしか合気道の稽古場所が無い時代でした。日本でも合気道はほとんど知られていいなかったのです。私が講習会に呼ばれた1977年夏には、フィンランド全土で道場は6ヶ所、講習会に参加したのは40名位でした。この時がヘルシンキで行われた最初の本格的な演武会と講習会でした。
その1年後に、当時小林道場の内弟子でした五十嵐和男師範を1年近く北欧に派遣すると共に、20才代の若い優秀なフィンランド人男女を道場に住み込ませ、3ヶ月単位で研修させました。この人達の帰国後の活躍によりフィンランドの合気道は年ごとに発展していきました。
現在では全国各都市に70ヶ所近くの合気道のクラブが有り、6段位の指導者も何名か輩出しています。今回の盛大に行われた40周年の祝賀会、講習会に招かれ参加できたことを名誉に思います。
今後ますますのフィンランド合気会の発展を心よりお祈り申し上げます。
by shihan_aikido
| 2010-04-22 01:09