2010年 09月 13日
札幌の発寒道場と白滝村訪問 |
4年ぶりで北海道札幌市西区の発寒道場を訪ねて稽古してきました。発寒道場の坂下薫6段は以前、東村山錬心館道場で稽古していました。錬心館道場は、小平道場の会員だった歯科医師の高橋誠一氏が昭和53年に自宅の庭に道場を建て、合気道小林道場に提供して下さった道場です。今後もこの様な方が居られますと内弟子養成も楽になるのですが・・・!
そこに北海道庁から代議士の秘書として派遣された坂下氏が約20年間稽古を続け親睦会長として皆のまとめ役をしていました。その後転勤で北海道札幌に帰り、坂下氏の自宅近くの体育館を借りて土・日曜日に稽古している道場です。会員は大人子供合わせて会員26名です。年配者や主婦が多く子供連れで稽古に来ていました。子供達は大人と同時進行で稽古しています。近隣の結構年配の空手の先生や少林寺拳法の先生も稽古に参加していて、「合気道は為になります、坂下先生が我々を受け入れて稽古してくれますので感謝しています」と言っていました。サハリンの道場は発寒道場傘下です。今年5月に坂下薫6段と小林弘明副道場長がサハリンに指導に行き合気道小林道場と繋がりました。坂下6段の心の広さと、人望には感心します。
坂下氏が私にくれました「教える人&習う人」のパンフレットを書きます。
1,おこるな
2,いばるな
3,あせるな
4,くさるな
5,まけるな
人生は楽しく邁進するのみです。
私は土曜日9時半~11時半、日曜日1時半~3時半指導しました。稽古に参加したのは15人~20人でした。後技首締めと杖取り投げ、13杖の合わせ、31の杖など基本技を中心に行いました。子供達は道場の端で子供向きの技を行い、大人の人達が汗を拭いている時に見て楽しい補助体操をして、大人の人の笑いを誘いました。稽古が終われば会員の人達と美味しい料理とビール、お酒で歓待され本当に私も楽しく過ごすことができました。
今後、毎年のように合気道小林道場の指導部員との交流の必要性を感じました。山脇先生の嬬恋道場からご主人の転勤で北海道に引越をした菅原ジュニ初段が熱心に稽古しています。彼女は日本人と結婚したインドネシア人で、何事も積極的で千歳や札幌の色々な合気道の道場を見学しました。坂下氏の指導が一番気に入り千歳飛行場の近くに有る自宅から息子のダッファ君と車で1時間半かけて通っています。なかなかしっかりした性格なので、稽古の人達の中心になり頑張っています。嬬恋道場時代から合気道小林道場の稽古法の雰囲気が好きで、好きでたまらないという感じで私に接してくれました。
発寒道場の皆さん歓待有り難う御座いました。合気道小林道場の皆さん、協力して発寒道場の発展を応援しましょう。観光や出張で札幌に行った時は土、日が稽古日です。是非稽古に参加して下さい。歓迎してくれます。事前の連絡は忘れずにして下さい。

植芝盛平翁ゆかりの地 白滝村旅行
話は前後になりますが、発寒道場で稽古する前の8月26~27日には合気道ゆかりの地、遠軽町白滝村に行ってきました。坂下氏と合気会余市支部長の栗原光朗氏が同行してくれました。札幌から高速を使い3時間半の旅です。栗原光朗氏は北海道に合気道を広めた草分け的な方です。
合気道の歴史を知らない人は「何で合気道が北海道白滝村と関係あるの?」と疑問に思うと思います。1912年に植芝盛平翁先生が団長となり和歌山県田辺市の54戸を率い開墾のため入植したのです。実はこの北海道で植芝盛平先生が大東流柔術の武田惣角師範に出会いました。そして武田惣角師範を白滝村に呼び、家屋を提供し、身の回りの世話をしながら教えを受けた所なのです。この大東流の技を母体に刻苦研鑽、精神的な修業をして、植芝流合気道を創設した重要な修業の時代を過ごした所なのです。合気道の歴史的にみて白滝村は見過ごせない場所なのです。
高速を降りて白滝村に向かう一般道にアルミ製?の階段の様な物が道路脇に延々と有りました。私は見たことが無かったので「あれは何ですか?」と聞きますと「道路の吹雪よけです」と言われました。吹雪くと前が見えなくなるのを防ぐ為に有るのだそうです。内弟子時代植芝盛平翁先生から「白滝村は電柱よりも高く雪が積もる」と聞いた事を思いだしました。本当に山の中の豪雪地帯を実感しました。開墾は想像を絶するような苦労だったと思います。
植芝翁先生と村人達がお金を出し合って建てた神社にまず行きました。回りには何も有りません。裏は熊が出るので行かないように注意されました。植芝翁先生の碑より立派な武田惣角師範の碑が有りました。植芝翁先生は8年しか住んでいません。武田惣角師範は無くなるまで住んでいましたので仕方がありません。手植えの松なども有りました。

白滝村役場は規模が小さいですが素晴らしい近代的な建物で結婚式場や大きな催しが出来る舞台付きのホールも有ります。東京にも無い様な立派な役場の建物でした。役場の広間で白滝村役場の方、白滝村合気道の役員、遠軽合気会、オーホック道場の師範などが集って下さり今後白滝村と合気道をどうPRするか話し合いがもたれました。
私としては、白滝村の道場は100畳の板の間部分と畳100畳敷いてある広い道場を活用する事だと思いました。畳が昔の堅い畳ですので冬はかなり厳く、畳の上にジョイントマットを敷いています。事務室も在り、2階には10人位泊まれる広間もあります。宿泊施設を20名~30名泊まれる様に充実すれば5月の連休から9月頃に掛けては充分合宿もできるようになります。全国の合気道団体に呼びかけ白滝村合宿を計画して貰うよう働き掛けたら良いと思います。合気道小林道場も近い将来白滝村合宿を実施しましょうと思っています。その時は会員の参加をお願いします。


「白滝村 来臨記念の書」を書いてきました。この日の宿泊は車で40分ぐらいの所に有る温泉マウレ山荘です。温泉は昆布ぬめりを肌で感じるような少しぬるぬるした感じの温泉でした。ここにも白滝村合気道の人達、オーホック道場の師範が集まってくださり楽しい宴会を開いて頂きました。自宅の畑で取れたトウモロコシをコックにその場で焼いて貰い食べましたが本当に美味しかったです。白滝村には突然の訪問でしたが白滝村合気道の皆さん、遠軽町の合気道の皆さん大変お世話になりました。心より感謝しています。
またお会いできる日を楽しみにしています。


坂下氏が私にくれました「教える人&習う人」のパンフレットを書きます。
1,おこるな
2,いばるな
3,あせるな
4,くさるな
5,まけるな
人生は楽しく邁進するのみです。

今後、毎年のように合気道小林道場の指導部員との交流の必要性を感じました。山脇先生の嬬恋道場からご主人の転勤で北海道に引越をした菅原ジュニ初段が熱心に稽古しています。彼女は日本人と結婚したインドネシア人で、何事も積極的で千歳や札幌の色々な合気道の道場を見学しました。坂下氏の指導が一番気に入り千歳飛行場の近くに有る自宅から息子のダッファ君と車で1時間半かけて通っています。なかなかしっかりした性格なので、稽古の人達の中心になり頑張っています。嬬恋道場時代から合気道小林道場の稽古法の雰囲気が好きで、好きでたまらないという感じで私に接してくれました。
発寒道場の皆さん歓待有り難う御座いました。合気道小林道場の皆さん、協力して発寒道場の発展を応援しましょう。観光や出張で札幌に行った時は土、日が稽古日です。是非稽古に参加して下さい。歓迎してくれます。事前の連絡は忘れずにして下さい。

植芝盛平翁ゆかりの地 白滝村旅行
話は前後になりますが、発寒道場で稽古する前の8月26~27日には合気道ゆかりの地、遠軽町白滝村に行ってきました。坂下氏と合気会余市支部長の栗原光朗氏が同行してくれました。札幌から高速を使い3時間半の旅です。栗原光朗氏は北海道に合気道を広めた草分け的な方です。

高速を降りて白滝村に向かう一般道にアルミ製?の階段の様な物が道路脇に延々と有りました。私は見たことが無かったので「あれは何ですか?」と聞きますと「道路の吹雪よけです」と言われました。吹雪くと前が見えなくなるのを防ぐ為に有るのだそうです。内弟子時代植芝盛平翁先生から「白滝村は電柱よりも高く雪が積もる」と聞いた事を思いだしました。本当に山の中の豪雪地帯を実感しました。開墾は想像を絶するような苦労だったと思います。

植芝翁先生と村人達がお金を出し合って建てた神社にまず行きました。回りには何も有りません。裏は熊が出るので行かないように注意されました。植芝翁先生の碑より立派な武田惣角師範の碑が有りました。植芝翁先生は8年しか住んでいません。武田惣角師範は無くなるまで住んでいましたので仕方がありません。手植えの松なども有りました。




またお会いできる日を楽しみにしています。

by shihan_aikido
| 2010-09-13 10:06