2010年 09月 23日
大韓合気道會講習会、審査会 パート2 |
大韓合気道會と合気道小林道場の交流は22年前にさかのぼります。合気道小林道場20周年記念演武会が1988年5月に地元の東京都小平市総合体育館で開催されました。その時に姉妹道場だった台湾台北市の龍山道場 呉金龍師範の紹介でユン師範の道場が参加し演武をしました。
この模様は2007年9月12日のブログで書いています。読んでない人は読んでみて下さい。
2007年9月12日のブログへ
写真:北朝鮮との国境付近
私が今まで韓国に行く時は毎回15名~20名の生徒が一緒に行っていましたので、私もユン師範も色々忙しく、じっくり話をする時間が取れませんでした。今回の参加は3名でしたのでユン師範と奥さんとゆっくり話ができました。特にユン師範の奥さんの日本語が格段に上手になり日常会話には不自由無く話せる様になっていました。そのため、観光やホテルから道場の送り迎え、食事の間にユン師範の合気道普及発展の苦労話や韓国人の武道に対する考え方が日本人とかなり異なる事を知ることができました。
まず韓国のほとんどの武道家は30才を過ぎ体力が落ちてくると、指導は弟子に任せ経営者になるそうです。人集めと段・級の発行で経営に徹していきます。韓国では専門道場を開いた時、一週間、毎日何回も稽古時間を設けなければ稽古に来る人は納得しないと言っていました。日本では武道専門の道場でも毎日何回も稽古時間があるのは、よほど大きな都市の中心に有る道場だけだと思います。東京の郊外の合気道小林道場でも専門道場は週3~4回。一日に一回の稽古をユン師範は韓国では信じられないと言っていました。
写真:ユン師範夫妻とソン指導員
ユン師範の偉さは自分が韓国武道界でそれなりの地位と名誉を築いたのを全て捨てて合気道小林道場の住み込み修業に打ち込んだ事です。なかなか出来る事ではありません。ほんとにゼロからの出発です。合気道小林道場指導部はユン師範を全面的に応援しました。導部員の派遣、ユン師範、弟子達の小林道場住み込み修業の許可、岩井合宿参加の為の経済的援助とできるかぎりの事はしました。
ユン師範は当時、韓国武道の実力者でしたので、何週間か合気道の修業をすれば簡単にある程度の技は修得できると考えていた様です。ユン師範の今まで習った武術では技は勿論ですが、体力、気力、力そしてスピードで相手を翻弄してきました。その考えで合気道の技を行おうとすると、全然、技になりません。合気道の捌きや技は見ていると簡単にできる様に見えます。こんなはずでは無かったと力めば力むほど合気道の技は上手くできません。今まで体験した武道と合気道は異質な物を感じたと言っていました。合気道の技の難しさや技数の多さに頭を抱えこんでしまったそうです。
写真:北朝鮮との国境付近にある日本製の機関車
努力の結果、合気道初段を取得し大韓合気道會の第一歩が踏み出されました。ユン師範が韓国の合気道(ハップキドウ)から日本の合気道に変更したことは前に書きました。ユン師範が組織していた三山武術連合会は崩壊、分裂しました。ほんのわずかな道場が付いてきてくれただけだったそうです。ユン氏の奥さんはそれまで経済的に恵まれた生活をしていましたが、日本の合気道に変更してから、本当に経済的に困り、3年間は前の様に三山武術連合会に戻ってと毎日言い続けました。2人の子供を抱え経済的に追いつめられ、別荘や家を売ってしのいだと話していました。ユン師範の決意が堅かったため、仕方なく自分も合気道の稽古を始めて合気道の良さが分ったそうです。
合気道小林道場が何年も大韓合気會の人々の為に指導員派遣や岩井合宿の参加えの「むすび基金」による経済援助がどんなに大韓合気會の助けになったか分からないとしみじみ言って感謝してくれました。
武道の評価は実力よりも段位で決める事が世間では一般的です。ユン師範は韓国の合気道(ハップキドウ)では6段でしたが日本の合気道では初段からスタートです。韓国の合気道(ハップキドウ)の道場の先生は5段、6段の先生が当たり前です。日本の合気道は違うと言っても初段のユン師範の道場では生徒がなかなか増えませんでした。それでもユン師範の努力で合気道の会員はすこしずつ増え3年、5年経ちユン師範も昇段し日本の合気道が韓国に根付き始めました。
何の世界でも同じですがすぐ真似する人が出てきます。「私は日本で合気道を習いOO段を修得してきた。私の方が実力、技は上手で、本物の合気道だ、ユン師範の合気道は偽物だ」と韓国人の中に言いだす人も出てきました。これに対して合気道小林道場ではユン師範の大韓合気會を合気会の承認団体として認知してもらい、また国際合気道連盟加に韓国の団体として加入し対処しました。
現在ではその様な人達は何処かに消えてしまったそうです。もう一つはネット上の中傷です。これにユン師範が一つ一つ回答、反論して沈静化させました。
ユン師範は自信を持って「現在は大韓合気會には一切心配も問題もありません」「先生、20年掛かりましたが韓国武道界に合気道は日本人の植芝盛平翁先生が創始した武道だと言う事を認知させました。」とはっきり言っていました。
最近では韓国の合気道(ハップキドウ)の道場が大韓合気會の傘下に入りたい」とか「また協力して活動したいと頭を下げてくる」そうですが、慎重に対処している様です。必ず「現在のハップキドウの段を認めろ」とか、「私が会長でユン師範は副会長」などと馬鹿な事を言ってそうですが、それに対して一切妥協せず、今までの苦労を思い自分の意志を貫いていると力強く語っていました。
大韓合気會と合気道小林道場の強い結びつきを今回の訪問で私は感じました。それは、この講習会記念のTシャツに現れています。記念パーテイに全員着てくれました。
このTシャツを見て頂いてこのブログを終わりとします。次回、韓国に私が稽古で行くときには是非皆さん参加して下さい。
この模様は2007年9月12日のブログで書いています。読んでない人は読んでみて下さい。
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写真:北朝鮮との国境付近
私が今まで韓国に行く時は毎回15名~20名の生徒が一緒に行っていましたので、私もユン師範も色々忙しく、じっくり話をする時間が取れませんでした。今回の参加は3名でしたのでユン師範と奥さんとゆっくり話ができました。特にユン師範の奥さんの日本語が格段に上手になり日常会話には不自由無く話せる様になっていました。そのため、観光やホテルから道場の送り迎え、食事の間にユン師範の合気道普及発展の苦労話や韓国人の武道に対する考え方が日本人とかなり異なる事を知ることができました。
まず韓国のほとんどの武道家は30才を過ぎ体力が落ちてくると、指導は弟子に任せ経営者になるそうです。人集めと段・級の発行で経営に徹していきます。韓国では専門道場を開いた時、一週間、毎日何回も稽古時間を設けなければ稽古に来る人は納得しないと言っていました。日本では武道専門の道場でも毎日何回も稽古時間があるのは、よほど大きな都市の中心に有る道場だけだと思います。東京の郊外の合気道小林道場でも専門道場は週3~4回。一日に一回の稽古をユン師範は韓国では信じられないと言っていました。
写真:ユン師範夫妻とソン指導員
ユン師範の偉さは自分が韓国武道界でそれなりの地位と名誉を築いたのを全て捨てて合気道小林道場の住み込み修業に打ち込んだ事です。なかなか出来る事ではありません。ほんとにゼロからの出発です。合気道小林道場指導部はユン師範を全面的に応援しました。導部員の派遣、ユン師範、弟子達の小林道場住み込み修業の許可、岩井合宿参加の為の経済的援助とできるかぎりの事はしました。
ユン師範は当時、韓国武道の実力者でしたので、何週間か合気道の修業をすれば簡単にある程度の技は修得できると考えていた様です。ユン師範の今まで習った武術では技は勿論ですが、体力、気力、力そしてスピードで相手を翻弄してきました。その考えで合気道の技を行おうとすると、全然、技になりません。合気道の捌きや技は見ていると簡単にできる様に見えます。こんなはずでは無かったと力めば力むほど合気道の技は上手くできません。今まで体験した武道と合気道は異質な物を感じたと言っていました。合気道の技の難しさや技数の多さに頭を抱えこんでしまったそうです。
写真:北朝鮮との国境付近にある日本製の機関車
努力の結果、合気道初段を取得し大韓合気道會の第一歩が踏み出されました。ユン師範が韓国の合気道(ハップキドウ)から日本の合気道に変更したことは前に書きました。ユン師範が組織していた三山武術連合会は崩壊、分裂しました。ほんのわずかな道場が付いてきてくれただけだったそうです。ユン氏の奥さんはそれまで経済的に恵まれた生活をしていましたが、日本の合気道に変更してから、本当に経済的に困り、3年間は前の様に三山武術連合会に戻ってと毎日言い続けました。2人の子供を抱え経済的に追いつめられ、別荘や家を売ってしのいだと話していました。ユン師範の決意が堅かったため、仕方なく自分も合気道の稽古を始めて合気道の良さが分ったそうです。
合気道小林道場が何年も大韓合気會の人々の為に指導員派遣や岩井合宿の参加えの「むすび基金」による経済援助がどんなに大韓合気會の助けになったか分からないとしみじみ言って感謝してくれました。
武道の評価は実力よりも段位で決める事が世間では一般的です。ユン師範は韓国の合気道(ハップキドウ)では6段でしたが日本の合気道では初段からスタートです。韓国の合気道(ハップキドウ)の道場の先生は5段、6段の先生が当たり前です。日本の合気道は違うと言っても初段のユン師範の道場では生徒がなかなか増えませんでした。それでもユン師範の努力で合気道の会員はすこしずつ増え3年、5年経ちユン師範も昇段し日本の合気道が韓国に根付き始めました。
何の世界でも同じですがすぐ真似する人が出てきます。「私は日本で合気道を習いOO段を修得してきた。私の方が実力、技は上手で、本物の合気道だ、ユン師範の合気道は偽物だ」と韓国人の中に言いだす人も出てきました。これに対して合気道小林道場ではユン師範の大韓合気會を合気会の承認団体として認知してもらい、また国際合気道連盟加に韓国の団体として加入し対処しました。
現在ではその様な人達は何処かに消えてしまったそうです。もう一つはネット上の中傷です。これにユン師範が一つ一つ回答、反論して沈静化させました。
ユン師範は自信を持って「現在は大韓合気會には一切心配も問題もありません」「先生、20年掛かりましたが韓国武道界に合気道は日本人の植芝盛平翁先生が創始した武道だと言う事を認知させました。」とはっきり言っていました。
最近では韓国の合気道(ハップキドウ)の道場が大韓合気會の傘下に入りたい」とか「また協力して活動したいと頭を下げてくる」そうですが、慎重に対処している様です。必ず「現在のハップキドウの段を認めろ」とか、「私が会長でユン師範は副会長」などと馬鹿な事を言ってそうですが、それに対して一切妥協せず、今までの苦労を思い自分の意志を貫いていると力強く語っていました。
大韓合気會と合気道小林道場の強い結びつきを今回の訪問で私は感じました。それは、この講習会記念のTシャツに現れています。記念パーテイに全員着てくれました。
このTシャツを見て頂いてこのブログを終わりとします。次回、韓国に私が稽古で行くときには是非皆さん参加して下さい。
by shihan_aikido
| 2010-09-23 11:05