2010年 11月 09日
90才で合気道指導 |
9月に日本経済新聞と読売新聞埼玉版に合気道の事が記事に取り上げられました。日経新聞の記事は、最近合気道小林道場に家族で入門した、小学4年生の子供の持つ親がインタビユーを受けた「4年生の壁」の悩みの事です。また読売新聞埼玉版の記事は、私が指導していました大谷一枝師範が埼玉県比企郡川島町の武道館で90才の現役で合気道を指導していると言う話です。
まず、日経新聞の記事の「4年生の壁」という言葉ですが、私は初めて知りました。学童保育は小学3年生までだそうです。小学4年生になると学童保育という制度はなくなりますので、学校の授業が終わると家に子供達は帰らなければなりません。夫婦共働きの家庭では子供達を世話する事ができません。いわゆる「鍵っ子」になるのです。新聞のインタビューを受けた奥さんは、どうしても子供の世話ができない曜日に合気道を習うことにより、その問題を解決したという体験談を話された事が記事の一部として取り上げられたのでした。
たまたまこの家族が入門したその日に私が指導しました。この道場は普段は小林弘明副道場長が指導担当ですが、海外指導のため私が代わりに指導に行きましたのでこの家族の事はよく憶えていました。日曜日に家族全員で稽古し、駅から近い道場ですので木曜日は子供だけ稽古に参加させます。子供クラスの稽古時間は5時~6時ですので子供を一人で留守番させることがなくなり「4年生の壁」を解決しました。
合気道小林道場は「一人でも多くの人に合気道を」が指導の基本方針です。入門理由が何であれ合気道を稽古したいという人は受け入れ指導します。入門して間もないですが今では家族全員が合気道を好きになり、道場の先輩会員とも仲良くなりました。最近開催された小林道場の行事「道場長の誕生祝いパーティ」そして「岩井合宿」にも家族で参加してくれ熱心に稽古してくれています。是非11月には初めての審査を頑張って欲しいものです。
読売新聞に載った大谷一枝師範は、新聞の記事に有りましたように防衛庁勤務時代の昭和58年(1983年)に合気道を始められました。私はその頃、合気道本部道場指導部の一員で自分自身の稽古の他に本部道場、支部道場、防衛庁、朝霞、立川米軍基地と幾つかの大学合気道部で指導していました。
私は六本木に有りました防衛庁本庁で水曜日の昼休みに合気道を指導にいっていました。その関係で大谷師範が勤務していました市ヶ谷自衛隊にも良く指導にいきました。何年か後に大谷師範が防衛庁を退職し、東京都調布市で合気道会を立ち上げ指導し始めました。この時大谷師範は合気道小林道場の傘下道場に入って下さり一緒に稽古し、審査会にも参加してくれていました。また大谷師範のご子息が、創部以来私が指導していた、東洋大学体育会合気道部に入部してきました。卒業後同期の女子部員と結婚し、私達夫妻が仲人をした仲です。
10年前ぐらいに大谷師範から調布の家に一人で生活するのが困難になり、息子夫妻の住んでいる埼玉県比企郡川島町に引っ越したと連絡がありました。その後何回か本部道場等の会合でお合いしましたが、ここ数年連絡が無かったので心配していました。この新聞で大谷一枝師範が90才で、まだ現役で埼玉県川島町の武道館で指導しているという事を知り安心しました。
私の父も長生きで90才まで現役で商売をしていました。私はいつも父を超すまで頑張ると話していますので、大谷師範は良い目標に成ります。90才までまだ16年有ります。道場の指導部員や会員の人達に好かれる様に稽古、指導に専念し自分自身は楽しく元気で稽古して行きます。
小平道場の近くに在住だった世界的に著名な彫刻家、平櫛田中氏の有名な言葉を肝に銘じてこれからも修行して行きます。
「70、80は鼻たれ小僧、人間ざかりは百から百から。わしらの人生、これから、これから」
「わからなくても困る。わかりすぎても困る。百を超えても青二才。勉強、勉強、人生すべて師なり」
まず、日経新聞の記事の「4年生の壁」という言葉ですが、私は初めて知りました。学童保育は小学3年生までだそうです。小学4年生になると学童保育という制度はなくなりますので、学校の授業が終わると家に子供達は帰らなければなりません。夫婦共働きの家庭では子供達を世話する事ができません。いわゆる「鍵っ子」になるのです。新聞のインタビューを受けた奥さんは、どうしても子供の世話ができない曜日に合気道を習うことにより、その問題を解決したという体験談を話された事が記事の一部として取り上げられたのでした。
たまたまこの家族が入門したその日に私が指導しました。この道場は普段は小林弘明副道場長が指導担当ですが、海外指導のため私が代わりに指導に行きましたのでこの家族の事はよく憶えていました。日曜日に家族全員で稽古し、駅から近い道場ですので木曜日は子供だけ稽古に参加させます。子供クラスの稽古時間は5時~6時ですので子供を一人で留守番させることがなくなり「4年生の壁」を解決しました。
合気道小林道場は「一人でも多くの人に合気道を」が指導の基本方針です。入門理由が何であれ合気道を稽古したいという人は受け入れ指導します。入門して間もないですが今では家族全員が合気道を好きになり、道場の先輩会員とも仲良くなりました。最近開催された小林道場の行事「道場長の誕生祝いパーティ」そして「岩井合宿」にも家族で参加してくれ熱心に稽古してくれています。是非11月には初めての審査を頑張って欲しいものです。
読売新聞に載った大谷一枝師範は、新聞の記事に有りましたように防衛庁勤務時代の昭和58年(1983年)に合気道を始められました。私はその頃、合気道本部道場指導部の一員で自分自身の稽古の他に本部道場、支部道場、防衛庁、朝霞、立川米軍基地と幾つかの大学合気道部で指導していました。
私は六本木に有りました防衛庁本庁で水曜日の昼休みに合気道を指導にいっていました。その関係で大谷師範が勤務していました市ヶ谷自衛隊にも良く指導にいきました。何年か後に大谷師範が防衛庁を退職し、東京都調布市で合気道会を立ち上げ指導し始めました。この時大谷師範は合気道小林道場の傘下道場に入って下さり一緒に稽古し、審査会にも参加してくれていました。また大谷師範のご子息が、創部以来私が指導していた、東洋大学体育会合気道部に入部してきました。卒業後同期の女子部員と結婚し、私達夫妻が仲人をした仲です。
10年前ぐらいに大谷師範から調布の家に一人で生活するのが困難になり、息子夫妻の住んでいる埼玉県比企郡川島町に引っ越したと連絡がありました。その後何回か本部道場等の会合でお合いしましたが、ここ数年連絡が無かったので心配していました。この新聞で大谷一枝師範が90才で、まだ現役で埼玉県川島町の武道館で指導しているという事を知り安心しました。
私の父も長生きで90才まで現役で商売をしていました。私はいつも父を超すまで頑張ると話していますので、大谷師範は良い目標に成ります。90才までまだ16年有ります。道場の指導部員や会員の人達に好かれる様に稽古、指導に専念し自分自身は楽しく元気で稽古して行きます。
小平道場の近くに在住だった世界的に著名な彫刻家、平櫛田中氏の有名な言葉を肝に銘じてこれからも修行して行きます。
「70、80は鼻たれ小僧、人間ざかりは百から百から。わしらの人生、これから、これから」
「わからなくても困る。わかりすぎても困る。百を超えても青二才。勉強、勉強、人生すべて師なり」
by shihan_aikido
| 2010-11-09 18:05