2010年 12月 31日
学習院大学合気道部創立50周年に思う その2 |
今から50年以上前の事ですが、当時まだ学習院と言えば皇族、華族そして富裕層の子弟が通う学校という感覚がまだあった時代です。なぜその様な人達が多く合気道本部道場に稽古に通って来ていたかは、合気道創始者植芝盛平翁先生が戦前皇室関係者に合気道を指導していた関係だと思います。
学習院大学初代合気道部の監督は小笠原昭氏です。学習院大学卒業後NHKに入社しました。株で大きく儲けて、当時海外旅行が困難な時代にハワイに新婚旅行に行ったと言って皆をうらやましがらせていました。NHKに合気道部を創りました、指導担当が私です。合気道する場所も無く部員2〜3名です。休憩室を借りたりしましたが、うるさいと追い出されて屋上で稽古もしました。雨が降ると階段の踊り場で稽古したこと思い出します。人間、稽古をやろうと思えば狭い処でも稽古出来る事を実感しました。何事もやろうとする意志と情熱です。結果は後から付いてきます。学習院大学合気道部結成の時は初代監督に成られました。
故島田和繁先生は学習院大学合気道部結成に協力してくれ顧問になられた方で、初等科教諭です。極め付きの右翼思想の持ち主です。風貌は優男で、どこから見ても学習院教諭と言う感じですが、稽古や政治思想を語らせれば話は尽きません。今考えると極右の思想を持った人が学習院の先生で有ることが不思議に思えます。まだまだ当時はおおらかな時代だったと思います。
昭和35年(1960年)は春から安保騒動で各大学や国会周辺は連日デモ行進等で日本全体が騒然としていました。各新聞、マスコミは安保反対の風潮で書きたてます。デモ隊を阻止する警察や機動隊は悪の元凶の様に書きたてます。当時のアメリカのアイゼンハワー大統領の訪日がきまり、打ち合わせの為に来日した大統領秘書官ハガテー氏が、デモ隊に襲撃され、米軍ヘリコプターで救出される事件も起こりました。
本部道場の私達内弟子の前で島田教諭曰く「今日、俺は機動隊に対してお前達の行動は正しい、日本の為に頑張れ」と演説してきたら、機動隊員皆涙を流して喜んでくれたと話し「お前達6月19日は暇か、アメリカの大統領が来れば、天皇陛下が羽田にお出迎えに出られる。陛下の御身に何か有ったら申し訳ない、俺はデモ隊に突っ込むからお前達も一緒に参加しろ」と説得されました。
私も22歳で若かったし血気も有りましたので参加する事に決めました。「16日の朝稽古が終ってから道場で待っていれば、俺が車で迎えに来る、身体だけ来れば良い、総てのものは俺が用意する」との話でした。
16日の当日本部道場の6時半~7時半の稽古、8時~9時の稽古が終わりそのまま本部道場で待っていましたが、11時になっても何の連絡も有りません。待ちくたびれていると、昼ごろアメリカの大統領の日本来日の中止報告が入りました。もしもデモ隊に突入したりしたら、怪我したり、警察に逮捕されまた違った人生を歩んだかもしれません。青春の思い出深い1ページでした。
学習院大学初代合気道部の監督は小笠原昭氏です。学習院大学卒業後NHKに入社しました。株で大きく儲けて、当時海外旅行が困難な時代にハワイに新婚旅行に行ったと言って皆をうらやましがらせていました。NHKに合気道部を創りました、指導担当が私です。合気道する場所も無く部員2〜3名です。休憩室を借りたりしましたが、うるさいと追い出されて屋上で稽古もしました。雨が降ると階段の踊り場で稽古したこと思い出します。人間、稽古をやろうと思えば狭い処でも稽古出来る事を実感しました。何事もやろうとする意志と情熱です。結果は後から付いてきます。学習院大学合気道部結成の時は初代監督に成られました。
故島田和繁先生は学習院大学合気道部結成に協力してくれ顧問になられた方で、初等科教諭です。極め付きの右翼思想の持ち主です。風貌は優男で、どこから見ても学習院教諭と言う感じですが、稽古や政治思想を語らせれば話は尽きません。今考えると極右の思想を持った人が学習院の先生で有ることが不思議に思えます。まだまだ当時はおおらかな時代だったと思います。
昭和35年(1960年)は春から安保騒動で各大学や国会周辺は連日デモ行進等で日本全体が騒然としていました。各新聞、マスコミは安保反対の風潮で書きたてます。デモ隊を阻止する警察や機動隊は悪の元凶の様に書きたてます。当時のアメリカのアイゼンハワー大統領の訪日がきまり、打ち合わせの為に来日した大統領秘書官ハガテー氏が、デモ隊に襲撃され、米軍ヘリコプターで救出される事件も起こりました。
本部道場の私達内弟子の前で島田教諭曰く「今日、俺は機動隊に対してお前達の行動は正しい、日本の為に頑張れ」と演説してきたら、機動隊員皆涙を流して喜んでくれたと話し「お前達6月19日は暇か、アメリカの大統領が来れば、天皇陛下が羽田にお出迎えに出られる。陛下の御身に何か有ったら申し訳ない、俺はデモ隊に突っ込むからお前達も一緒に参加しろ」と説得されました。
私も22歳で若かったし血気も有りましたので参加する事に決めました。「16日の朝稽古が終ってから道場で待っていれば、俺が車で迎えに来る、身体だけ来れば良い、総てのものは俺が用意する」との話でした。
16日の当日本部道場の6時半~7時半の稽古、8時~9時の稽古が終わりそのまま本部道場で待っていましたが、11時になっても何の連絡も有りません。待ちくたびれていると、昼ごろアメリカの大統領の日本来日の中止報告が入りました。もしもデモ隊に突入したりしたら、怪我したり、警察に逮捕されまた違った人生を歩んだかもしれません。青春の思い出深い1ページでした。
by shihan_aikido
| 2010-12-31 16:47