2011年 01月 11日
新年を迎えて |
明けましておめでとう御座います
今年も宜しくお願いします。
合気道小林道場は1969年の開設以来、越年稽古を欠かさず行ってきました。小平道場は今年で42回目の稽古になります。しばらくは小平道場のみの稽古でしたが、その後道場が増えると各地区で行う様になりました。今年は小平地区、府中地区、越谷地区、昨年5月に道場開きをして稽古を始めた板橋地区と4か所で行われました。
越年稽古というのは12月31日23時30分~新年12時30分まで年を越して稽古する行事です。寒稽古、夏中稽古は各武道でも以前から行われていましたが越年稽古は合気道本部道場で1960年頃から行われた合気道の独自の行事です。私が本部指導部員時代に故西尾昭二師範が提唱し行われだしました。当時の地方から来ている内弟子達は猛反対をしました。暮れから正月に掛けて故郷に帰るのを楽しみしていたからです。私は東京九段が自宅なので何の支障もなかったので賛成をしました。植芝吉祥丸先生の決断で行われる事になり現在まで続いています。合気道本部道場の越年稽古も50年以上行われています。第一回越年稽古に参加した人は多田宏師範や私で、そのほか現存される方は何人も居ないのではではないかと思います。私は1968年まで継続して本部道場の越年稽古に参加し続けました。
この伝統有る行事を良いものだと思い小林道場開設以来行ってきました。年月の過ぎるのは早いものです。今回で42回目になりました。振り返ってみます越年稽古も色々様変わりをしてきている事が分かります。
道場を開設した第一回越年稽古は小平道場の会員も少なく又その趣旨が理解できなかったので主に明治大学や埼玉大学合気道部員、OBそして私がまだ本部道場指導員でしたので本部関係の指導している人達が新年の挨拶代りに参加してくれました。稽古して初詣後は学生達は電車が無く、また道場に帰ってきて、飲んだり、マージャンをしたりして朝まで居続けました。女神様は元旦早々20人以上の雑煮を作るのに大忙しでした。そんな状態が何年か続きました。
その後支部道場も増え合気道小林道場の会員の参加も増えました。私もまだ40代で、参加者も若い社会人が多くなりました。車で来る人が多くなり、稽古、直会そして近くの熊野宮に初詣後に乗り合わせて千葉の銚子、富士山5合目そして秩父の山などに車で初日の出を見に行くのが流行りだしました。法律的には飲酒運転は禁止されているのですが、正月という事であまりうるさく無く、結構皆さん酒を飲んで運転していました。
そしてバブル期に日本社会が突入し電車も終夜運転になり、高校生も越年稽古に来る様になりました。参加者も多くなり42畳の道場に60名以上の参加者です。立ち技では稽古出来ず、座り技中心の稽古になりました。女子高校生も参加します。稽古後初詣に行き熊野宮で解散ですが、女子ですので男子会員に家の近所まで送らせます。その後元旦の朝5時頃に親から「うちの娘がまだ帰宅してない、直ぐ帰すように」と怒りの電話です。まだ携帯電話の無い時代です。連絡の取りようも有りません。元旦早々私はひたすら親の怒りの電話に謝るだけです。昼ごろに本人から電話が有り、明治神宮に会員達と初詣に行っていたとの話で一安心です。
こんな事も有りました。若い男性会員に車で送る様に指示しましたが、又朝方に親からの怒りの電話です。「男性会員に送らせるとは何事だと」一層怒らせてしまいました。会員に連絡とれて話を聞きましたが確かに家の前で車を下したとの事です。この子も昼まで行く方が分からず往生しました。本人曰く、家の前で降り自宅に帰らず近所の友達の家に遊びに行き親には連絡しなかっただけです。私は全く災難です。ただ頭を下げ親の怒りをなだめるだけです。高校生の越年稽古参加は禁止にしようかと思いました。
この何年かは電車の終夜運転が無くなりました。又飲酒運転も非常に厳しくなりました。どうしても越年稽古に足が遠く成ります。歩くか、自転車そして車で来る人は飲まない覚悟の人か飲めない人です。楽しみは減りますので今年は30名弱の参加です。各地区でも越年稽古をしていて、会員も分散しています。
越年稽古にも一つの伝統行事ですので会員の皆さん参加を宜しくお願いします。
今年も宜しくお願いします。
合気道小林道場は1969年の開設以来、越年稽古を欠かさず行ってきました。小平道場は今年で42回目の稽古になります。しばらくは小平道場のみの稽古でしたが、その後道場が増えると各地区で行う様になりました。今年は小平地区、府中地区、越谷地区、昨年5月に道場開きをして稽古を始めた板橋地区と4か所で行われました。
越年稽古というのは12月31日23時30分~新年12時30分まで年を越して稽古する行事です。寒稽古、夏中稽古は各武道でも以前から行われていましたが越年稽古は合気道本部道場で1960年頃から行われた合気道の独自の行事です。私が本部指導部員時代に故西尾昭二師範が提唱し行われだしました。当時の地方から来ている内弟子達は猛反対をしました。暮れから正月に掛けて故郷に帰るのを楽しみしていたからです。私は東京九段が自宅なので何の支障もなかったので賛成をしました。植芝吉祥丸先生の決断で行われる事になり現在まで続いています。合気道本部道場の越年稽古も50年以上行われています。第一回越年稽古に参加した人は多田宏師範や私で、そのほか現存される方は何人も居ないのではではないかと思います。私は1968年まで継続して本部道場の越年稽古に参加し続けました。
この伝統有る行事を良いものだと思い小林道場開設以来行ってきました。年月の過ぎるのは早いものです。今回で42回目になりました。振り返ってみます越年稽古も色々様変わりをしてきている事が分かります。
道場を開設した第一回越年稽古は小平道場の会員も少なく又その趣旨が理解できなかったので主に明治大学や埼玉大学合気道部員、OBそして私がまだ本部道場指導員でしたので本部関係の指導している人達が新年の挨拶代りに参加してくれました。稽古して初詣後は学生達は電車が無く、また道場に帰ってきて、飲んだり、マージャンをしたりして朝まで居続けました。女神様は元旦早々20人以上の雑煮を作るのに大忙しでした。そんな状態が何年か続きました。
その後支部道場も増え合気道小林道場の会員の参加も増えました。私もまだ40代で、参加者も若い社会人が多くなりました。車で来る人が多くなり、稽古、直会そして近くの熊野宮に初詣後に乗り合わせて千葉の銚子、富士山5合目そして秩父の山などに車で初日の出を見に行くのが流行りだしました。法律的には飲酒運転は禁止されているのですが、正月という事であまりうるさく無く、結構皆さん酒を飲んで運転していました。
そしてバブル期に日本社会が突入し電車も終夜運転になり、高校生も越年稽古に来る様になりました。参加者も多くなり42畳の道場に60名以上の参加者です。立ち技では稽古出来ず、座り技中心の稽古になりました。女子高校生も参加します。稽古後初詣に行き熊野宮で解散ですが、女子ですので男子会員に家の近所まで送らせます。その後元旦の朝5時頃に親から「うちの娘がまだ帰宅してない、直ぐ帰すように」と怒りの電話です。まだ携帯電話の無い時代です。連絡の取りようも有りません。元旦早々私はひたすら親の怒りの電話に謝るだけです。昼ごろに本人から電話が有り、明治神宮に会員達と初詣に行っていたとの話で一安心です。
こんな事も有りました。若い男性会員に車で送る様に指示しましたが、又朝方に親からの怒りの電話です。「男性会員に送らせるとは何事だと」一層怒らせてしまいました。会員に連絡とれて話を聞きましたが確かに家の前で車を下したとの事です。この子も昼まで行く方が分からず往生しました。本人曰く、家の前で降り自宅に帰らず近所の友達の家に遊びに行き親には連絡しなかっただけです。私は全く災難です。ただ頭を下げ親の怒りをなだめるだけです。高校生の越年稽古参加は禁止にしようかと思いました。
この何年かは電車の終夜運転が無くなりました。又飲酒運転も非常に厳しくなりました。どうしても越年稽古に足が遠く成ります。歩くか、自転車そして車で来る人は飲まない覚悟の人か飲めない人です。楽しみは減りますので今年は30名弱の参加です。各地区でも越年稽古をしていて、会員も分散しています。
越年稽古にも一つの伝統行事ですので会員の皆さん参加を宜しくお願いします。
by shihan_aikido
| 2011-01-11 15:09