2011年 02月 18日
チュニジアのアフェフさん近況 |
チュニジアから始まったイスラム圏の民衆蜂起はエジプト、イラン、バーレンそしてリビアと次々と広がっています。発火点となったチュニジュア、チュニスに合気道小林道場が有ります。イランにも関連どうじょうがあり、3年前に私が指導に行きました。今年の4月からは小平道場の鈴木康真6段がJICAシニアボランテイアとしてシリアに2年間指導に行くことになっています。この様に中東各国の合気道と合気道小林道場は結構深く関わっています。

昨年10月初めから2ヵ月の間、チュニジュア人のアフェフさん(写真参照)という52歳の女性が合気道小林道場に内弟子として小平道場に住み込みました。今まで数多く住み込んだ女性内弟子の中で最高齢の人です。帰国して半月も経たないうちにこの騒動が起きましたので心配していました。彼女から連絡が有り、同国の歴史始まって以来の事件に遭遇し、本物の革命の中を今生きていると、興奮気味にメールで連絡してきました。チュニジアでは国中に自由の風が吹き荒れ、自由にものが言える状態になったそうです。ただ、前大統領派の一部の民兵による略奪行為や市民に対する発砲などが続いていて、各地区に住民による自警団を組織して対処していると書いてありました。
アフェフさんの合気道仲間は自分達の街を守る為に率先して自警団に参加しているそうです。日本から帰国したばかりのアフェフさんですが、彼女も自警団参加したかったそうですが、旦那さんに止められたと言っていました。「この街に男がいないわけではない」と御主人に言われたとの事です。仕方がないので、コーヒーとかクッキーの差し入れだけに留めているそうです。アラブの女性で有りながら50歳過ぎて合気道小林道場の内弟子として住み込んだのですから、結構向こうっ気が強い女性です。メールが来た1月中旬頃はまだ秩序も回復してなく、将来も定かではない状態ですが、合気道の稽古は1月19日より再開すると書いてありました。(下の写真は1月19日の稽古)

アフェフさんの仕事はチュニジュアの大きな電力会社の管理職です。女性ですが30年ほど前に大学を卒業していて当時親の反対を押し切り学生結婚をしたそうです。アラビア語以外にもフランス語、英語が堪能で、日本で言うところのキャリアウーマンの見本の様な女性です。合気道の稽古を始めて3年です。仕事場の上司が合気道を稽古していて、勧められ稽古を始めました。会社にも合気道のクラブを結成したぐらい熱心です。合気道の身体の動きや捌きが円で無理がなく、相手と争わない「和の精神」に感動したそうです。日本には以前会社の研修で何カ月か来たことが有るとの事です。
しかし本人は50歳を過ぎて合気道修業の為日本に来て、住み込み修行を受ける決心をするには、よほど合気道に魅力を感じなければ決断しないと思います。アフェフさんの強い意志と熱意で家族と会社、そして道場の仲間を説得し、御主人や娘二人も賛成してくれ会社から休暇を取り、日本にやって来ました。
日本に来た時彼女は、友人である日本チュニジュア協会の女性が付き添いで道場までやって来ました。その時私は、「10日間経ったら逃げ出すのではないか?」と心配しました。当時チュニジュアでの稽古は仕事後の週2回か3回です。小平に住み込むと生活環境が大きく変わり、稽古量の急増で体力的に持たないと私は思いました。52歳過ぎの女性が大学の体育会合気道部の夏合宿にいきなり参加する様なものですから。朝5時まえ起床、一日5時間以上の稽古、一年生並みの雑用です。
写真:チュニジアの朝食
しかし彼女は私の予想に反して、生活習慣の違い、合気道の稽古量を跳ね返しながら弱音を吐かず、道場の掃除、食事作り等雑用をこなしていきました。でも一週間から10日間は本当につらそうでした。全身の筋肉痛には悩まされていました。私は顔を見ると「無理するな、辛かったら稽古を休んでも良い」と声を掛けました。しかし彼女の答えは何時も「大丈夫です」との事です。指導部員や小平道場の会員達も彼女の体のケアーや気分転換の為に、スパやカラオケなどに連れて行き励ましていました。ビートルズの歌など感心するほど上手に歌います。アラブ人の女性がビートルズを歌う姿を私は想像できませんでした。
特に大変だったのは小平道場の大きな桜の木の落ち葉掃きです。掃いても、掃いても落ち葉は駐車場と道場前の道路に積ります。私達も手伝いますが秋に住み込む内弟子の一番大変な仕事です。また、金曜日の全指導員が集まる朝稽古後の朝食にチュニジュア名物クスクスを作ってくれました。指導員も皆この食事は楽しみにしていました。料理が上手な彼女の様な内弟子なら大歓迎です。

今年11月には会員有志とチュニジュアの道場を訪問し、交流稽古を計画していました。現時点では政治的動乱で計画が実行されるかどうかは不明です。勿論来年、再来年でも政治と治安が落ち着けば風光明媚、歴史的な名所ですので是非皆さんを連れてチュニジュアの道場の皆さんとの合同稽古を実行します。皆さん楽しみにして下さい。

昨年10月初めから2ヵ月の間、チュニジュア人のアフェフさん(写真参照)という52歳の女性が合気道小林道場に内弟子として小平道場に住み込みました。今まで数多く住み込んだ女性内弟子の中で最高齢の人です。帰国して半月も経たないうちにこの騒動が起きましたので心配していました。彼女から連絡が有り、同国の歴史始まって以来の事件に遭遇し、本物の革命の中を今生きていると、興奮気味にメールで連絡してきました。チュニジアでは国中に自由の風が吹き荒れ、自由にものが言える状態になったそうです。ただ、前大統領派の一部の民兵による略奪行為や市民に対する発砲などが続いていて、各地区に住民による自警団を組織して対処していると書いてありました。
アフェフさんの合気道仲間は自分達の街を守る為に率先して自警団に参加しているそうです。日本から帰国したばかりのアフェフさんですが、彼女も自警団参加したかったそうですが、旦那さんに止められたと言っていました。「この街に男がいないわけではない」と御主人に言われたとの事です。仕方がないので、コーヒーとかクッキーの差し入れだけに留めているそうです。アラブの女性で有りながら50歳過ぎて合気道小林道場の内弟子として住み込んだのですから、結構向こうっ気が強い女性です。メールが来た1月中旬頃はまだ秩序も回復してなく、将来も定かではない状態ですが、合気道の稽古は1月19日より再開すると書いてありました。(下の写真は1月19日の稽古)

アフェフさんの仕事はチュニジュアの大きな電力会社の管理職です。女性ですが30年ほど前に大学を卒業していて当時親の反対を押し切り学生結婚をしたそうです。アラビア語以外にもフランス語、英語が堪能で、日本で言うところのキャリアウーマンの見本の様な女性です。合気道の稽古を始めて3年です。仕事場の上司が合気道を稽古していて、勧められ稽古を始めました。会社にも合気道のクラブを結成したぐらい熱心です。合気道の身体の動きや捌きが円で無理がなく、相手と争わない「和の精神」に感動したそうです。日本には以前会社の研修で何カ月か来たことが有るとの事です。
しかし本人は50歳を過ぎて合気道修業の為日本に来て、住み込み修行を受ける決心をするには、よほど合気道に魅力を感じなければ決断しないと思います。アフェフさんの強い意志と熱意で家族と会社、そして道場の仲間を説得し、御主人や娘二人も賛成してくれ会社から休暇を取り、日本にやって来ました。
日本に来た時彼女は、友人である日本チュニジュア協会の女性が付き添いで道場までやって来ました。その時私は、「10日間経ったら逃げ出すのではないか?」と心配しました。当時チュニジュアでの稽古は仕事後の週2回か3回です。小平に住み込むと生活環境が大きく変わり、稽古量の急増で体力的に持たないと私は思いました。52歳過ぎの女性が大学の体育会合気道部の夏合宿にいきなり参加する様なものですから。朝5時まえ起床、一日5時間以上の稽古、一年生並みの雑用です。

しかし彼女は私の予想に反して、生活習慣の違い、合気道の稽古量を跳ね返しながら弱音を吐かず、道場の掃除、食事作り等雑用をこなしていきました。でも一週間から10日間は本当につらそうでした。全身の筋肉痛には悩まされていました。私は顔を見ると「無理するな、辛かったら稽古を休んでも良い」と声を掛けました。しかし彼女の答えは何時も「大丈夫です」との事です。指導部員や小平道場の会員達も彼女の体のケアーや気分転換の為に、スパやカラオケなどに連れて行き励ましていました。ビートルズの歌など感心するほど上手に歌います。アラブ人の女性がビートルズを歌う姿を私は想像できませんでした。
特に大変だったのは小平道場の大きな桜の木の落ち葉掃きです。掃いても、掃いても落ち葉は駐車場と道場前の道路に積ります。私達も手伝いますが秋に住み込む内弟子の一番大変な仕事です。また、金曜日の全指導員が集まる朝稽古後の朝食にチュニジュア名物クスクスを作ってくれました。指導員も皆この食事は楽しみにしていました。料理が上手な彼女の様な内弟子なら大歓迎です。

今年11月には会員有志とチュニジュアの道場を訪問し、交流稽古を計画していました。現時点では政治的動乱で計画が実行されるかどうかは不明です。勿論来年、再来年でも政治と治安が落ち着けば風光明媚、歴史的な名所ですので是非皆さんを連れてチュニジュアの道場の皆さんとの合同稽古を実行します。皆さん楽しみにして下さい。
by shihan_aikido
| 2011-02-18 22:13