2011年 07月 26日
内弟子:ボイテック |
今年4月にスウェーデン、ブルガリア、ポーランドから内弟子修業に5名来る予定でした。3月11日に東日本大震災と福島原発事故が発生しました。地震で道路に亀裂がはいり、人、家、車が津波で押し流され、福島原子力発電所で水素爆発により破壊された衝撃的な映像が各国TVに流されました。それを見た世界中の人達は日本壊滅の印象を持ったと思います。
私や弘明副道場長のもとには各国から「先生、家族の皆さんを連れて直ぐ逃げて来て下さい。我々道場の人達がお世話します」と有難い電話、メールを沢山いただきました。合気道小林道場の事を思ってくれる人達が世界中にたくさん居る事に感謝と心強さを持ちました。
スウェーデンとブルガリアの弟子達からは来日中止の連絡を受けましたたが、ポーランド正勝道場のボイテック氏からは「事前に小林道場のむすび基金で航空券を手配して頂き、仕事の休暇申請もしていたので家族の反対を押し切って行きます。私の住んでいる所はチェルノブイリ原発事故地の近くなので、原発事故は一切気にしていません」とのコメント迄付けてきました。
ポーランドに指導に行っている指導部員は「ボイテックが来るのですか?大酒飲みだし、稽古と日常行動もイイかげんで、金もないし、3カ月の小林道場の内弟子生活が耐えられる訳ないですよ、ポーランドの道場の人達も皆、彼の性格では務まらないといっています。」と、声をかけてきます。私が住み込み許可を出したのは、彼の手紙にボイテック本人の小林道場の内弟子修業に強い希望と願いが感じられました。そしてポーランドの道場長トーマス氏の推薦状が有ったからです。「むすび基金」で航空券まで買ってしまったので今さら取り消す訳にも行きません。
道場に来ましたので合ってみますと2メーター近い大男で、着ているTシャツを見ると左胸に下手な字で大きく「くそ親爺」と書いてあります。道場長の私に挨拶するのに「くそ親爺」のTシャツもないと思いましたが、お土産にウォッカをくれましたのでニッコリ笑って「シッカリ稽古しろよ」と笑顔を返しました。後で会員の人が「乳みせろ」「俺の子供を産んでくれ」と書いたTシャツも持っていると教えてくれました。このTシャツは彼が自分で作ったTシャツです。ポーランドで冗談で言っている言葉をそのまま日本語に訳しています。こんな事を普段言っているような性格です。
海外から来る内弟子は時差ボケなど一切関係なく、来たその日から稽古が始まります。ボイテックが来たのは4月14日(木)の昼です。その日の夜稽古はしました。翌日は金曜日ですので所沢道場に朝6時には全指導員が集まります。6時半から一時間の稽古後朝食、その後のかたづけ、雑用事務、掃除の手伝いと午前中は大忙しです。彼は一番大変な日に道場に住み込んだのです。彼は初めての事なので、要領が分からず戸惑いますが結構手際良く仕事をこなしてくれました。
翌日土曜日は小平道場の朝稽古です。内弟子は6時までに小平道場にきて、道場、駐車場、道場前の道路を掃除しなければなりません。所沢道場から航空公園駅まで5分歩き、電車で4駅12分、小平駅から小平道場まで自転車を使って約10分かかります。小平道場の2階に私の部屋が有りますが4月15日(土)の朝5時半には彼は駐車場を掃除していました。朝4時半には起床、新宿行き一番電車で来たのでしょう。私がボイテックは結構真面目だと、指導部員に言いますと「来たばかりで張り切っているのでしょう。そのうちにボロがでますよ」と冷たい言葉が帰ってきました。
2〜3週間経ち彼の稽古や道場での真面目さは変わりません。用を言いつけると「はい、センセイ」と独特の発音で返事が帰ってきて直ぐ行動します。小林道場の指導部員もこんなに立派に内弟子が務まるなら、ポーランドに居る時もこの様にすれば良いという様になりました。後輩の内弟子20歳のカナダ人が住み込んだので見本に成らなければとより一層張り切っていました。
小平の内野3段に私が月曜日は稽古が無いから彼をどこか観光に連れて行ったらと言いました。翌日、内野さんは「先生、俺、やんなっちゃったです。浅草はどうでも良いから寄生虫の博物館に連れて行けと言うんです。調べたらそんな博物館が目黒に有るのですね。それに彼は鉄道オタクです。飲ませればビール大ジョッキ10杯でやっと少し酔いました」と嘆いていました。この様な点では噂通りです。ボイテックの本領発揮です。また音楽も特別な趣味が有り「フランク ザッパ」マニヤでコレクターだそうです。ザッパの日本語の本、CDも奥さんからお金を送ってもらって買っていました。音楽好きと聞き会員の一人が自宅に招いたところ9時間も居続けて往生したとの噂話も聞かされています。
金曜日の朝食作りはポーランド式か分かりませんが食パンの上にハム、パプリカ等を乗せますので結構カラフルです。3カ月滞在しましたが、毎週金曜日朝飯を作るので会員に教わったり、自分で工夫したりして味噌汁まで作る様になりました。結構美味しく作りました。
帰国2週間ぐらい前に、ホームシックか多少元気が無くなりました。自分から俺の送別会を是非開いてくれと言いだしました。丁度その時に仙台から白川師範の弟子である遠藤初段が週末短期研修生として内弟子修業に来ました。
7月14日(木)に稽古が終わると同時に道場にテーブルを出し飲み会が始まりました。事前の送別会参加申し込みは7,8名でしたが稽古に参加した人達は何となく帰りづらいのか、または冷たいビールの誘惑に負けたか25名以上が22時半まで賑やかに参加してくれました。
本人がポーランド人内弟子のイメージを変えたと自慢するほど確かに良く務めたと思います。しかし色々な話題も残してくれました。その事は他の指導員や会員の人達に聞いて下さい。お土産は100円ショップで沢山買ったと言っていました。ボイテックに両手に持ち切れないほどの荷物なので成田まで直行バスで行ったらと忠告すると「俺は鉄道が好きなのだ、長い時間電車に乗っていたいので各駅停車で成田まで行く」と言って出て行きました。来日の時に二度目の奥さんに子供が産まれたばかりで日本に行くなら離婚すると脅されて出てきたそうです。帰国早々離婚話が伝わらない様に私としては望んでいます。

スウェーデンとブルガリアの弟子達からは来日中止の連絡を受けましたたが、ポーランド正勝道場のボイテック氏からは「事前に小林道場のむすび基金で航空券を手配して頂き、仕事の休暇申請もしていたので家族の反対を押し切って行きます。私の住んでいる所はチェルノブイリ原発事故地の近くなので、原発事故は一切気にしていません」とのコメント迄付けてきました。

道場に来ましたので合ってみますと2メーター近い大男で、着ているTシャツを見ると左胸に下手な字で大きく「くそ親爺」と書いてあります。道場長の私に挨拶するのに「くそ親爺」のTシャツもないと思いましたが、お土産にウォッカをくれましたのでニッコリ笑って「シッカリ稽古しろよ」と笑顔を返しました。後で会員の人が「乳みせろ」「俺の子供を産んでくれ」と書いたTシャツも持っていると教えてくれました。このTシャツは彼が自分で作ったTシャツです。ポーランドで冗談で言っている言葉をそのまま日本語に訳しています。こんな事を普段言っているような性格です。
海外から来る内弟子は時差ボケなど一切関係なく、来たその日から稽古が始まります。ボイテックが来たのは4月14日(木)の昼です。その日の夜稽古はしました。翌日は金曜日ですので所沢道場に朝6時には全指導員が集まります。6時半から一時間の稽古後朝食、その後のかたづけ、雑用事務、掃除の手伝いと午前中は大忙しです。彼は一番大変な日に道場に住み込んだのです。彼は初めての事なので、要領が分からず戸惑いますが結構手際良く仕事をこなしてくれました。

2〜3週間経ち彼の稽古や道場での真面目さは変わりません。用を言いつけると「はい、センセイ」と独特の発音で返事が帰ってきて直ぐ行動します。小林道場の指導部員もこんなに立派に内弟子が務まるなら、ポーランドに居る時もこの様にすれば良いという様になりました。後輩の内弟子20歳のカナダ人が住み込んだので見本に成らなければとより一層張り切っていました。
小平の内野3段に私が月曜日は稽古が無いから彼をどこか観光に連れて行ったらと言いました。翌日、内野さんは「先生、俺、やんなっちゃったです。浅草はどうでも良いから寄生虫の博物館に連れて行けと言うんです。調べたらそんな博物館が目黒に有るのですね。それに彼は鉄道オタクです。飲ませればビール大ジョッキ10杯でやっと少し酔いました」と嘆いていました。この様な点では噂通りです。ボイテックの本領発揮です。また音楽も特別な趣味が有り「フランク ザッパ」マニヤでコレクターだそうです。ザッパの日本語の本、CDも奥さんからお金を送ってもらって買っていました。音楽好きと聞き会員の一人が自宅に招いたところ9時間も居続けて往生したとの噂話も聞かされています。
金曜日の朝食作りはポーランド式か分かりませんが食パンの上にハム、パプリカ等を乗せますので結構カラフルです。3カ月滞在しましたが、毎週金曜日朝飯を作るので会員に教わったり、自分で工夫したりして味噌汁まで作る様になりました。結構美味しく作りました。
帰国2週間ぐらい前に、ホームシックか多少元気が無くなりました。自分から俺の送別会を是非開いてくれと言いだしました。丁度その時に仙台から白川師範の弟子である遠藤初段が週末短期研修生として内弟子修業に来ました。
7月14日(木)に稽古が終わると同時に道場にテーブルを出し飲み会が始まりました。事前の送別会参加申し込みは7,8名でしたが稽古に参加した人達は何となく帰りづらいのか、または冷たいビールの誘惑に負けたか25名以上が22時半まで賑やかに参加してくれました。
本人がポーランド人内弟子のイメージを変えたと自慢するほど確かに良く務めたと思います。しかし色々な話題も残してくれました。その事は他の指導員や会員の人達に聞いて下さい。お土産は100円ショップで沢山買ったと言っていました。ボイテックに両手に持ち切れないほどの荷物なので成田まで直行バスで行ったらと忠告すると「俺は鉄道が好きなのだ、長い時間電車に乗っていたいので各駅停車で成田まで行く」と言って出て行きました。来日の時に二度目の奥さんに子供が産まれたばかりで日本に行くなら離婚すると脅されて出てきたそうです。帰国早々離婚話が伝わらない様に私としては望んでいます。
by shihan_aikido
| 2011-07-26 10:38