2006年 04月 06日
Black Belt 1996年5月号 |

アメリカの武道雑誌 BLACK BELT の見出しです。
Mosquitoes in the Summer and Freezing Cold in the Winter
夏の蚊と凍てつく冬
Young Aikido hopefuls undergo rigorous training for three Year to try win full-time jobs as instructors at the princely Salary of $ 15,00 a month.
内弟子は3年間の厳しい修行時代は一ヶ月の月給は15ドル(当時1$ 360円)
(内容)
合気道指導者を目指す新しい世代の内弟子達が、東京新宿の合気会本部道場に昔ながらのスタイルで内弟子修行を行っている。ヨーロッパやアメリカではもう見られなくなった「内弟子」というシステムは、ここ日本では八十三歳になる植芝盛平によって守られている。
日本において内弟子修行とは、ただ技術の習得のみではなく、指導者として相応しい人格を形成することも重要なポイントである。「内弟子になるということは、新しい家族の一員になるようなものです。先生方が親で、他の先輩・後輩内弟子達は兄弟です。」
面接の後、内弟子として受け入れられた十七、八の若者は、それから三、四年間、道場の畳の上で稽古し、学び、眠る生活を送る事になる。夏は蚊が飛び交い、冬は凍るような寒さの中、朝六時から真夜中まで、ほとんど休む暇無く、食事の時間も僅かという生活である。
これは、植芝盛平の宗教的バックグラウンドによるものだろうか。内弟子達の生活は仏門に入る僧侶達の修行の姿と重なるものがある。

内弟子の一日は六時半の朝稽古から始まる。朝稽古は通常、植芝盛平によって指導される。この時間のほとんどは、植芝翁による非常に難解な宗教・哲学的な話である。内弟子達は植芝翁が話をしている間、座って聞いていなければならない。休憩時間でお互いを合気道の技で投げ飛ばしあい若いエネルギーを発散した後、八時から本格的な合気道の稽古が始まる。この稽古が九時に終わると、さっと朝食を済ませるが、場合によっては指導員の稽古の手伝いでその時間さえ無い事もある。時間のある者は、植芝吉祥丸、またはその他の先輩指導員に、個人的に稽古をつけてもらう事もある。
個人稽古が終わり、他の指導員の稽古を手伝う事も無ければ、僅かだが洗濯したり、手紙を書いたり、休みを取ったりと、自分の時間を持つことができる。
昼になるとまた忙しくなり、各大学等、外へ指導をしに行かされるが、その際、昼食代として百円持たされる。それが終わると、また本部道場に戻り、三時からの稽古に出る。稽古の後は何時ものように掃除。そして五時からの稽古の後、再度掃除を行う。内弟子にとって道場の掃除は終わりの無い作業である。

六時半からまた稽古があるが、内弟子たちは通常この稽古には出ずに、急いで夕食を摂った後、再度外へ指導をしに行くことになる。彼らが本部に戻るのは通常十時か十一時頃になる。早ければ八時か九時頃には自由になれるが、その頃には疲労のため、どこにも出かける気にならない。十一時過ぎには床に就くことになる。
最初のうちは、畳で寝ることには苦痛を伴うので、疲れた体を二転三転させ呻きながら眠りに就く状態が続くが、二三ヵ月して慣れてくると、横になった瞬間に眠りに就くことになる。
ほとんどの内弟子は修行を継続しているが、中には順応できずに脱落していく者もいる。「時々、身も心も疲れ果て、もうやめよう、と思うこともありました。しかし、頑張って内弟子修行を続けることによって、忍耐、決断力、他の人と協調して仕事することを学ぶことができました。」
三年ほどの修行の後、内弟子達の何人かは、自分自身の道場の指導者になるか、本部道場でフルタイムの指導員として働くことになる。

内弟子の生活は大変厳しいようだが、実際には稽古の合間に多少自由な時間があり、道場の出入りは自由である。しかし、内弟子の本分は奉仕と修行であり、彼等は数年間を道場に捧げながら生きていくことになる。

内弟子になりしばらくすると、本部から多少小遣いをもらえるようになるが、それで稽古着を含めた費用を賄っていかなければならない。家族からの金銭的サポートが得られる者でさえ、お金のやりくりには大変苦労しているのが現状だ。晴れてフルタイムの指導員になると彼等の生活も幾分楽になるが、それでも月給五千円で食事付、となるだけである。
by shihan_aikido
| 2006-04-06 06:38