2011年 11月 14日
合気道山徳道場 道場開き |
去る10月30日に群馬県高崎市にある荒井師範の合気道山徳道場道場開きに参加してきました。小林道場からは私、副道場長、山脇指導部員と息子さんの宇界君が参加しました。新道場は「(財)洞窟観音山徳公園」の創設者で、呉服商であった山田徳蔵氏が晩年を過ごした屋敷を改造したものです。建物自体が文化財で10年の歳月をかけて全国から良材を集めて上棟したと記録が有るそうです。又道場前の庭は北関東随一を誇る本格的な日本庭園で特に秋の紅葉は高崎市の名所になっています。
道場の広さは40畳、右正面の床の間には合気道創始者植芝盛平翁先生の直筆の書、その横は文化財の障子、欄間は透かし彫りの彫刻が有り、戸を開くと周りには濡れ縁です。道場内から一段低い庭園を見晴らながらの稽古を思うとこんな贅沢な道場はここでしか体験できないと事を実感します。
道場開きの儀式は定刻12時より開始され、山徳道場山田秀夫道場長の開会の辞、荒井俊幸師範の挨拶、そして合氣道神武錬成塾、白川勝敏師範が神官姿で神事奉納をされました。私も白川師範が神官姿で腹の底から声を出し祝詞を挙げられる姿を見て感激しました。今まで長い付き合いでしたが、この様な機会がなく初めて見ました。奉納演武として植芝守央道主が植芝充央道場長、本部指導部員を相手に演武をされ一部の儀式は終了しました。
その後2部の食事会まで自由時間が有りましたので日本庭園や山をくり抜いた中に観音像36体が他の彫刻群と共に安置され深山霊谷の趣をかもし出している洞窟観音を荒井師範の案内で散策しました。ここは一見の価値が有りますので今度は道場の会員と一度、稽古を兼ねて連れて来たいと思っています。直会(ナオライと読み、祝賀会の事)は道主植芝守央先生の祝辞で始まり、高崎市長、柔道連盟理事長、等、等で私もお祝いの言葉を述べさせて頂きました。
荒井俊幸師範とは昭和30年(1955年)はじめ 本部道場に入門し植芝盛平翁先生、二代道主植芝吉祥丸先生の指導のもとで一緒に稽古した仲間です。戦後の合気道創成期で皆若くて元気で結構激しい稽古をしました。私は明治大学に、荒井さんは東京芸大に合気道部を結成しました。当時は合気道が急速に広がって行く時代でした。指導不足を補う為、大学生の我々が指導者代理として色々な道場に派遣され今考えると貴重な体験をしました。
荒井師範は大学卒業後音楽会社にデレクターとして勤務、歌手の五木ひろしさんが駆け出しの時代には荒井先生の靴をそろえたと聞いています。歌手を売り出す為の接待や裏社会に嫌気がさし、先に小平に道場を開設していた私の所を尋ねてきました。群馬県高崎で合気道の道場を開くから協力を要請されました。お互いに協力し合いその後私は三多摩、埼玉、神奈川等で、荒井師範は高崎を中心に群馬県各地に合気道を広げて行きました。
合気道小林道場30周年記念行事は荒井師範の協力で群馬県伊香保町で行いました。海外からも大勢が参加し、総勢500名が集まりました。荒井師範のお蔭と感謝しています。又海外指導も一緒に行き20か国以上は行ったとおもいます。私の合気道仲間としては、一番親しい師範です。
今年の2月28日に山徳道場が火事で全焼したという連絡がはいりました。直ぐ駆け付けてお見舞いしたいと思いましたが、3月11日に東北大震災、津波、福島原発事故等で世の中騒然としてしまい時が過ぎて行きました。誠に申し訳なく思っておりました。しかし嬬恋道場10周年記念合宿にお弟子さんと参加指導して頂き、その時に新道場の開設予定を聞き安心しました。
先に書きました様に山徳道場は洞窟観音と日本庭園「徳明園」という観光名所の中に有ります。来年には春の新緑の頃か秋の紅葉の頃合気道小林道場の会員有志を募り新道場の「山徳道場」を借用し荒井師範の指導のもと一汗ながし、稽古後庭園を見ながら一献傾けたいと思います。その節には是非多数参加お願いします。
道場の広さは40畳、右正面の床の間には合気道創始者植芝盛平翁先生の直筆の書、その横は文化財の障子、欄間は透かし彫りの彫刻が有り、戸を開くと周りには濡れ縁です。道場内から一段低い庭園を見晴らながらの稽古を思うとこんな贅沢な道場はここでしか体験できないと事を実感します。
道場開きの儀式は定刻12時より開始され、山徳道場山田秀夫道場長の開会の辞、荒井俊幸師範の挨拶、そして合氣道神武錬成塾、白川勝敏師範が神官姿で神事奉納をされました。私も白川師範が神官姿で腹の底から声を出し祝詞を挙げられる姿を見て感激しました。今まで長い付き合いでしたが、この様な機会がなく初めて見ました。奉納演武として植芝守央道主が植芝充央道場長、本部指導部員を相手に演武をされ一部の儀式は終了しました。
その後2部の食事会まで自由時間が有りましたので日本庭園や山をくり抜いた中に観音像36体が他の彫刻群と共に安置され深山霊谷の趣をかもし出している洞窟観音を荒井師範の案内で散策しました。ここは一見の価値が有りますので今度は道場の会員と一度、稽古を兼ねて連れて来たいと思っています。直会(ナオライと読み、祝賀会の事)は道主植芝守央先生の祝辞で始まり、高崎市長、柔道連盟理事長、等、等で私もお祝いの言葉を述べさせて頂きました。
荒井俊幸師範とは昭和30年(1955年)はじめ 本部道場に入門し植芝盛平翁先生、二代道主植芝吉祥丸先生の指導のもとで一緒に稽古した仲間です。戦後の合気道創成期で皆若くて元気で結構激しい稽古をしました。私は明治大学に、荒井さんは東京芸大に合気道部を結成しました。当時は合気道が急速に広がって行く時代でした。指導不足を補う為、大学生の我々が指導者代理として色々な道場に派遣され今考えると貴重な体験をしました。
荒井師範は大学卒業後音楽会社にデレクターとして勤務、歌手の五木ひろしさんが駆け出しの時代には荒井先生の靴をそろえたと聞いています。歌手を売り出す為の接待や裏社会に嫌気がさし、先に小平に道場を開設していた私の所を尋ねてきました。群馬県高崎で合気道の道場を開くから協力を要請されました。お互いに協力し合いその後私は三多摩、埼玉、神奈川等で、荒井師範は高崎を中心に群馬県各地に合気道を広げて行きました。
合気道小林道場30周年記念行事は荒井師範の協力で群馬県伊香保町で行いました。海外からも大勢が参加し、総勢500名が集まりました。荒井師範のお蔭と感謝しています。又海外指導も一緒に行き20か国以上は行ったとおもいます。私の合気道仲間としては、一番親しい師範です。
今年の2月28日に山徳道場が火事で全焼したという連絡がはいりました。直ぐ駆け付けてお見舞いしたいと思いましたが、3月11日に東北大震災、津波、福島原発事故等で世の中騒然としてしまい時が過ぎて行きました。誠に申し訳なく思っておりました。しかし嬬恋道場10周年記念合宿にお弟子さんと参加指導して頂き、その時に新道場の開設予定を聞き安心しました。
先に書きました様に山徳道場は洞窟観音と日本庭園「徳明園」という観光名所の中に有ります。来年には春の新緑の頃か秋の紅葉の頃合気道小林道場の会員有志を募り新道場の「山徳道場」を借用し荒井師範の指導のもと一汗ながし、稽古後庭園を見ながら一献傾けたいと思います。その節には是非多数参加お願いします。
by shihan_aikido
| 2011-11-14 11:14