2011年 12月 05日
弥栄道場30周年記念講習会 |
その中心街近くに弥栄道場はあります。オールドタウンに歩いて15分、道場は地下室ですが出て丘に登れば対岸にはノーベル賞授賞式の場所として有名な三つの王冠が輝いているストックホルム市庁舎です。道場の広さ150畳、何本かの柱は有りますが稽古の時には不思議とそんなに気になりません。男女の更衣室、トイレ2つ、シャワー、サウナ、キッチン、冷蔵庫、洗濯機もあります。今回の講習会は13か国150名以上の人達が集まりました。その内の30名近くの男女が道場に寝袋持参で寝泊まりしながら講習会に参加していました。
1978年スウェーデン、ストックホルムから金髪で背が高くスリムな18歳から23歳の青年3名が合気道小林道場の内弟子として住み込みました。33年前は東京でも外国人がまだ珍しい時代です。ウルバン、ウルフそして故レンナルトです。稽古と厳しい内弟子生活を満喫しながら帰国しました。その後2回も内弟子生活をし、合気道の技ばかりでなく小林道場の一人でも多くの人に合気道をという経営方針も学びました。
3名は帰国後ストックホルムで柔道場の一部を借り合気道の稽古を始めました。道場の名は弥栄(いやさか)道場と名付けました。弥栄の意味は神道の言葉で「一層栄える」という意味です。レンナルトは若くして亡くなりましたが、ウルバン、ウルフ両氏は自分の仕事を持ちながら余暇のすべてを自身の合気道の修業そして仲間を増やす努力を続けました。小林道場も年一度は私自身が指導に赴くと共に指導部員を派遣し指導と交流をつづけてきました。
ウルバン、ウルフ両師範の指導能力と人柄で弥栄道場は名前の如く発展を遂げてきました。会員同士が助け合い稽古時間を増やし、毎日朝、昼、夜稽古、子供クラス、ストックホルム市の依頼で身障者、小学校の生徒の指導まで広がり現在では500名の稽古人がいます。スウェーデンでも合気道では一番大きな道場になりました。
小林道場はヨーロッパではスウェーデンの他フインランド、ノルウェー、アイスランド、イギリス、ハンガリー、ブルガリア、ポーランド、セルビア、マケドニア、ロシアそしてギリシャに指導員を派遣しています。しかし年何回も指導に行けませんのでウルバン師範が色々な国に指導に行っています。弥栄道場は小林道場ヨーロッパの交流中心道場になっています。
弥栄道場30周年講習会には講習会講師として私と五十嵐道場・五十嵐和男師範がいきました。又同行者として上板橋道場の東城信春参段と休暇で旅行に来ていた小平道場の山本英久弐段が飛び入りで参加しました。私と毎年ヨーロッパ各地で指導している五十嵐師範がメインで指導するので、13か国150名が集まってくれました。
講習会は木、金、土、日です。各国の道場責任者や道場生が「先生しばらく」と挨拶してくれます。所沢道場に3ヵ月住み込んで7月に帰国した話題のボイテック氏も来てくれました。生まれて2~3ヵ月の子供をチャイルド、バックに入れて道場の片隅に置き稽古していた若い母親が2人いたのには驚きました。私達の指導を受けようとそのくらい熱心に稽古に打ち込んでいます。最近の若い日本人が忘れている物事にたいする情熱というものを感じました。
祝賀会も道場で行われましたが、我々の発想とは違い食事は各自勝手に食べて、20時に道場に普段着で道場に集合との事です。20時に道場に行くともうほとんどの人が集まっていて、道場はライブ会場に変身していました。挨拶もなく始まったのは会員2人のマジックショウです。彼らは毎年日本来てマジッショウをしているプロフェッショナルです。英語で皆を笑わせながら約20分以上のショウでした。
次はウルバン師範他2人のおやじバンドです。ここで私は強引に割り込みプレゼントの正面の掛け軸と「むすび基金よる弥栄道場一人の修行者の小林道場への派遣、滞在費の費用の負担」を発表し全員の拍手を受けました。その後は道場はロック会場に変わり耳をつんざく音楽が鳴り響きました。2,3曲の演奏の後小平道場に滞在したことの有るエミリーが私とのダンスを求めてきました。先頭を切って私と2人で踊りました。彼女は今回お母さんと一緒に初段審査を受けましたが彼女は合格、お母さんは不合格でした。彼女はよほど初段合格嬉しかったのでしょう。
私は22時でホテルに帰りましたが、会場は24時過ぎまで大いに盛り上がったそうです。弥栄道場30周年記念誌、祝賀パーテーにしても日本的記念誌、祝賀会の発想と全然違ったものでした。この様な発想を平然と受け入れる柔軟な考えがなければ合気道小林道場の指導部も海外の道場と付き合っていけません。色々考えさせられた弥栄道場30周年講習会でした。
by shihan_aikido
| 2011-12-05 11:39