2012年 05月 31日
親子三代で演武 |
2012年5月26日(土)晴天 日本武道館で第50回全日本合気道演武大会が開催されました。出場者7500名です。合気道小林道場の団体演武は2部9番目でした。個人の道場で5面全面を使用しての演武は合気道小林道場以外ありません。

道場演武参加者
私は昭和30年4月に本部に入門、戦後初めて合気道が一般公開された銀座高島屋の屋上の演武会を見ています。この時は演武参加より準備や後片付けの手伝いでした。以前の演武は合気道創始者植芝盛平翁先生の一人演武でしたが、当時本部道場長の植芝吉祥丸先生が盛平翁先生を説得し現代の様な演武形式を考えだしたと直接吉祥丸先生から私は聞いています。その後、池袋の百貨店の屋上でしましたがその時は私も演武に参加させて頂きました。
その後何回かは旧本部道場で行われた植芝盛平翁先生の講習会後の演武会でした。たぶん3月末頃だったと思います。本部道場での一切の稽古を中止し翁先生だけの稽古が行われました。九州の砂泊師範、大阪の田中万川師範、和歌山の引土道雄師範など地方の先生方が見えられました。当時の演武会の雰囲気は写真でご覧下さい。

昭和33年頃から合気道人口が増え、本部道場内での演武開催も困難になりました。昭和35年第一回全日本演武大会として新宿山野ホールで行われました。第二回は朝日新聞ホールです。朝日新聞が宣伝に力をいれましたので演武会当日は見学者が多く集まり過ぎて入場出来ない人達が沢山でました。藤平光一師範部長(当時)の提案で入場していた大学合気道部員を全員退場させて一般の見学者を入れた事を私は記憶しています。第3回以降は日比谷公会堂第で行われる様になりました。
植芝盛平翁先生が昭和44年4月26日に入神されました。その追悼演武会が10月11日(土)に第7回全日本合気道演武大会として行われ、初めて日本武道館で行われました。その時は演武の畳は3面でした。翌年の第8回は再度日比谷公会堂に戻り、昭和51年の第14回全日本演武大会まで日比谷公開堂で行われています。昭和52年第15回演武大会より毎年日本武道館で開催されるようになり、現在の様に演武場所が5面になりました。演武参加人員も1000名を超えたと聞いていました。
これまでの演武会参加者には「プログラム」記念品の「手ぬぐい」そして「弁当」までがでました。合気道小林道場の会員の演武出場者は多く150名~200名以上はいました。受付にブログラムを貰いに行くと、口の悪い本部道場指導部員の中には「小林道場は弁当泥棒だ」だと何時も言われていました。全体の2割近い記念品を貰うので仕方ありません。当時小林道場は2面で演武させて頂きました。小林道場の参加者が多すぎ畳の上で演武出来ず一部の人達は板の間で演武しました。第17回全日本演武参加申請時に小林道場として5面全面を申請致しました。本部の演武会担当役員の中からも演武者が板の間で演武するのも見苦しいと言う意見も有り、小林道場の申請が問題無く通りました。それ以降小林道場は5面での全面演武が続いています。
第18回演武大会頃から参加人数も2000名を超え、演武参加者への「弁当」提供は無くなりました。事前の予告が無かったので弁当を当てにしていた人達は腹をすかしての演武でした。演武会も長く続くと演武者の中には注目されようと、派手な演武を行う人もいました。合気道とは関係ない杖や剣の演武をする人達も出てきました。合気道の基本精神を逸脱するような演武は個人の道場での演武は勝手ですが、全日本合気道演武大会という大きな大会で、武道関係者や合気道を始めて見る人へ多大な誤解を与えるのではないかと憂いていました。ここ何年かは演武担当者が事前に規制していますので地道な演武に成ってきました。個人的には良い事と思っています。
私は全日本合気道演武大会の折には、会員の皆様に受けをお願いしていました。毎年各道場から男女3名を選んでいました。指導部や道場幹事の推薦そして自己申告者の中から選び一切事前の稽古なしに当日ぶっつけ本番で演武していました。演武時間20分前に受けの人と何年振りかに会う人も数多くいます。日本武道館の広い演武場に入ると非常に緊張し上がってしまう人が結構います。演武場の畳の上で私がふと振り返ると私の後にいつまでも付いてくるので、畳の上で反対側に行くように指示したこともありますし、受けの人が緊張の余り身体が硬直して震えている事もありました。その様な時は広い会場ですので、今度は小手返し、回転投げ、など技を事前に教え怪我しない様に投げる事は何回も有りました。この50年、私は基本技以外一切演武しませんでした。特に座り技の入身投げで相手を何回も回す技は他の師範もしませんので高い評価を受けていました。

演武後正面玄関で記念撮影
今年は50回目という大きな節目の大会です。私は今回の演武を最後に全日本演武大会出場を辞退する決心をいたしました。現在は優秀な若手の指導者が全世界に育ってきています。日本武道館という最高の晴れ舞台に一人でも多くの後輩を立たせ演武させたいと考えました。今年は最後の演武として、受けを息子・弘明道場長、孫・香穂の親子三代で演武させて頂きました。お蔭様で演武も好評で終わらせて頂く事が出来ました。長い間のご支援有難うございました。合気道の益々の繁栄と皆様のご健康を心より願っています。
道場演武はこれからもありますので来年もご協力をお願いします。
演武の模様は指導員ブログでご確認下さい。

私は昭和30年4月に本部に入門、戦後初めて合気道が一般公開された銀座高島屋の屋上の演武会を見ています。この時は演武参加より準備や後片付けの手伝いでした。以前の演武は合気道創始者植芝盛平翁先生の一人演武でしたが、当時本部道場長の植芝吉祥丸先生が盛平翁先生を説得し現代の様な演武形式を考えだしたと直接吉祥丸先生から私は聞いています。その後、池袋の百貨店の屋上でしましたがその時は私も演武に参加させて頂きました。
その後何回かは旧本部道場で行われた植芝盛平翁先生の講習会後の演武会でした。たぶん3月末頃だったと思います。本部道場での一切の稽古を中止し翁先生だけの稽古が行われました。九州の砂泊師範、大阪の田中万川師範、和歌山の引土道雄師範など地方の先生方が見えられました。当時の演武会の雰囲気は写真でご覧下さい。

昭和33年頃から合気道人口が増え、本部道場内での演武開催も困難になりました。昭和35年第一回全日本演武大会として新宿山野ホールで行われました。第二回は朝日新聞ホールです。朝日新聞が宣伝に力をいれましたので演武会当日は見学者が多く集まり過ぎて入場出来ない人達が沢山でました。藤平光一師範部長(当時)の提案で入場していた大学合気道部員を全員退場させて一般の見学者を入れた事を私は記憶しています。第3回以降は日比谷公会堂第で行われる様になりました。
植芝盛平翁先生が昭和44年4月26日に入神されました。その追悼演武会が10月11日(土)に第7回全日本合気道演武大会として行われ、初めて日本武道館で行われました。その時は演武の畳は3面でした。翌年の第8回は再度日比谷公会堂に戻り、昭和51年の第14回全日本演武大会まで日比谷公開堂で行われています。昭和52年第15回演武大会より毎年日本武道館で開催されるようになり、現在の様に演武場所が5面になりました。演武参加人員も1000名を超えたと聞いていました。
これまでの演武会参加者には「プログラム」記念品の「手ぬぐい」そして「弁当」までがでました。合気道小林道場の会員の演武出場者は多く150名~200名以上はいました。受付にブログラムを貰いに行くと、口の悪い本部道場指導部員の中には「小林道場は弁当泥棒だ」だと何時も言われていました。全体の2割近い記念品を貰うので仕方ありません。当時小林道場は2面で演武させて頂きました。小林道場の参加者が多すぎ畳の上で演武出来ず一部の人達は板の間で演武しました。第17回全日本演武参加申請時に小林道場として5面全面を申請致しました。本部の演武会担当役員の中からも演武者が板の間で演武するのも見苦しいと言う意見も有り、小林道場の申請が問題無く通りました。それ以降小林道場は5面での全面演武が続いています。
第18回演武大会頃から参加人数も2000名を超え、演武参加者への「弁当」提供は無くなりました。事前の予告が無かったので弁当を当てにしていた人達は腹をすかしての演武でした。演武会も長く続くと演武者の中には注目されようと、派手な演武を行う人もいました。合気道とは関係ない杖や剣の演武をする人達も出てきました。合気道の基本精神を逸脱するような演武は個人の道場での演武は勝手ですが、全日本合気道演武大会という大きな大会で、武道関係者や合気道を始めて見る人へ多大な誤解を与えるのではないかと憂いていました。ここ何年かは演武担当者が事前に規制していますので地道な演武に成ってきました。個人的には良い事と思っています。
私は全日本合気道演武大会の折には、会員の皆様に受けをお願いしていました。毎年各道場から男女3名を選んでいました。指導部や道場幹事の推薦そして自己申告者の中から選び一切事前の稽古なしに当日ぶっつけ本番で演武していました。演武時間20分前に受けの人と何年振りかに会う人も数多くいます。日本武道館の広い演武場に入ると非常に緊張し上がってしまう人が結構います。演武場の畳の上で私がふと振り返ると私の後にいつまでも付いてくるので、畳の上で反対側に行くように指示したこともありますし、受けの人が緊張の余り身体が硬直して震えている事もありました。その様な時は広い会場ですので、今度は小手返し、回転投げ、など技を事前に教え怪我しない様に投げる事は何回も有りました。この50年、私は基本技以外一切演武しませんでした。特に座り技の入身投げで相手を何回も回す技は他の師範もしませんので高い評価を受けていました。

今年は50回目という大きな節目の大会です。私は今回の演武を最後に全日本演武大会出場を辞退する決心をいたしました。現在は優秀な若手の指導者が全世界に育ってきています。日本武道館という最高の晴れ舞台に一人でも多くの後輩を立たせ演武させたいと考えました。今年は最後の演武として、受けを息子・弘明道場長、孫・香穂の親子三代で演武させて頂きました。お蔭様で演武も好評で終わらせて頂く事が出来ました。長い間のご支援有難うございました。合気道の益々の繁栄と皆様のご健康を心より願っています。
道場演武はこれからもありますので来年もご協力をお願いします。
演武の模様は指導員ブログでご確認下さい。
by shihan_aikido
| 2012-05-31 12:01