2013年 04月 05日
遠州浜松合気会総師範稽古 |
3月23日に静岡県浜松市寄居町の東福寺で法事が有り行ってきました。小林家の男兄弟3人揃う事はこの歳になると滅多に有りません。法事が終わり、近所の寄居の関所跡を観光したのち東海道本線で浜松駅に出て駅近くのビジネスホテルに泊りました。
浜松と云えば食べ物の名物は「ウナギ」です。鰻の「八百徳」本店に予約し、奮発した少し高めの「うな重」でビールを飲みながら兄弟家族で歓談しました。都心の九段上に住む長兄、うどん県の高松市に住む次兄夫妻、東京三多摩小平市に住む私夫妻と集まりです。息子、娘家族や孫達なしで話す機会は今まで皆無でした。この様な機会は滅多に無く、亡くなった父母、妹達の思い出話で時間はあっと云う間に過ぎました。翌朝、兄達は観光に行き私は小林道場傘下の「遠州浜松合気会」での稽古です。兄達は皆で観光をしたかったらしいです。女神様に怒られました。これも合気道の為です。ご免なさい。

浜松市では合気道小林道場傘下の一つ3年前に発足した「遠州浜松合気会」が活動しています。小林道場総師範の私としては「遠州浜松合気会」の皆さんと稽古する良い機会です。私から申し出で廣本宣久会長に講習会の場所の確保と人集めをお願いしました。「遠州浜松合気会」の廣本会長と昨年秋の岩井合宿に参加してくれた静岡大留学生ラマンベカビッチ氏以外どの様な方が稽古しているか小林道場では把握していませんでしたので。
廣本宣久5段は京都大学合気道部で稽古を始められましたが、主な稽古は大阪の田中万川師範の道場で稽古されました。昭和59年(1984年)に東村山市に住まわれ、勤め先は武蔵小金井市に有る郵政省付属機関の電波研究所に勤務されていました。東村山道場、小平道場が近くに有りましたが、主に東村山市富士見町に有った旧東村山、錬心館道場で勤務の傍ら長年稽古を続けられました。その後転勤など有りましたが、単身赴任でしたので帰宅時には東村山道場に稽古に通われました。
その後平成17年(2005年)静岡大学工学部教授として浜松に転勤されました。静岡市でも合気道の道場に通い稽古は続けていました。自分自身でも浜松市の体育館を借りたりして仲間を集めて稽古を始めました。本部道場と全日本合気道連盟の組織編制の意向で、級、段の申請には申請資格の有る団体に所属しなければならなくなりました。そこで一番関係の深い合気道小林道場場傘下に平成23年(2013年)入り、その時に「遠州浜松合気会」と名乗り現在に至っています。
朝10時からの稽古は浜松市立北部中学校(浜松市中区文丘町) 静岡大学浜松キャンパスのすぐ西です。廣本会長がホテルまで迎えに来て頂きました。私はホテルで道衣に着変えて行きました。駐車場に着くと合気道を稽古している元静岡大学教授で若いとき柔道で活躍し、現在では二つの高校柔道部で指導している秋山鉄夫氏を紹介されました。私も柔道をしていて秋山氏とは同じ年ですので道場までは当時の柔道の話で盛りあがりました。

稽古場所は中学の体育館の中の武道場で、入り口は雑然と体育用具が置いて有りましたが武道場自体は100畳以上有り、隣は同じ広さの剣道場で仕切が無いので広く感じられました。集まったメンバーは私、廣本会長を入れて14名内女子2名でした。
直ぐ道場に入ると「先生お久し振りです。憶えていますか?平成9年東経大合気道OBの池田です」の声が掛かってきました。16年振りですが顔は憶えていました。「少し太ったな」「小林師範が浜松に指導に見えると知り16年振りで稽古衣を着ました。今日は宜しくお願いします」
10時の定刻10分前に殆どの人が揃いましたので正面に礼をして稽古を始めました。道場に稽古に来ている人達見の道衣や袴の名前を見ると、信州大学合気道部OBが2名、16期の鈴木健一朗氏、27期の足立和俊氏がいました。私とは初めて会いますが信州大学合気道部の師範は私が指導した埼玉大学合気道部の一期生で受身から教えた石垣晴夫師範です。私にとって孫弟子に当たります又入間市、鈴木と書いた袴の女性もいました。話しを聞いてみますと埼玉県入間市合気会で小林道場指導員の山脇、大島両先生に高校時代から習い、結婚して浜松市に住んでいて小林師範が指導に見えるとしり、先週から稽古始めたとの事です。この人も孫弟子です。
遠州浜松合気会の指導補佐をされている大崎智丈2段は本部道場で長年稽古しれていたそうです。私は昭和30年入門から昭和47年(1972年)まで18年間本部道場の指導部員でしたが時代が前後していて面識、は有りませんが指導を受けていた先生方と私は仲間でしたので話が合いました。仕事の都合で稽古途中に帰られたのが残念でした。
稽古は基本の入り身、転換、回転の身体ならしから入り、相対運動の入り身、転換、回転と動きを大きく激しくいて行きました。その応用技の一教、二教、入り投げとつづきました。合気道の一般的な稽古は先生が見本を示しそれに従って稽古する方法が多いです。
今回は審査みたいに私が技名を云い、相手の受けを取りました。多分普段やらない稽古法なので、云えば直ぐできるのに、皆さんの前に出され、いきなりなのでかなり戸惑っていました。刺激に成ったとおもいます。4級、5級の方は技によっては別に指導しました。
広い道場ですので1時間稽古すると、皆さんかなり疲れが見えました。10分の休憩を取り杖の稽古に入りました。杖の合わせは普段稽古しているので皆さん難なく覚えてくました。13の杖の合わせに入ると皆さん苦戦です。でも結構興味を持ちながら稽古していました。何とか全員13の杖の合わせは出来る様になりました。特に杖、剣は基本を全員覚えてからでは、基本の繰り返しになるので、月、週により個別の稽古をした方が良いと注意していきました。学校の武道場ですので正面に何も有りません。植芝盛平翁先生の写真、掛け軸等を合気道小林道場から必要と有れば提供します。

懇親会場の場所は浜松駅構内・JR改札前の「遠州濱乃屋」という居酒屋です。私が新幹線に乗り東京に帰るのに非常に便利な場所の設定、感謝しています。稽古に出席された殆ど全員が参加してくれました。居酒屋ですが、東京では考えられない様な豪華で量も多く食べきれませんでした。私が植芝盛平翁先生の写真集、今年の雑誌「武道」の私の記事「私の指導法」、合気道小林道場の岩井合宿等の行事資料、海外稽古風景等々の話と質疑応答で盛りあがりました。途中で「遠州浜松合気会」の会員でも稽古曜日で普段顔を合わせない会員や東経大OBの池田氏の様に今日突然参加した人もいますので自己紹介が行われました。池田氏は今後も稽古を続ける事で入会の手続きをしてくれました。
今後は「遠州浜松合気会」皆さんは機会が有れば積極的に合気道小林道場の行事に参加したいと云ってくれました。稽古、懇親会の雰囲気は写真を見て下さい。16時6分の新幹線で帰宅しました。合気道小林道場の直轄、傘下の会員で旅行、出張で浜松に行くことが有れば是非稽古に参加して交流を深めて下さい。
浜松と云えば食べ物の名物は「ウナギ」です。鰻の「八百徳」本店に予約し、奮発した少し高めの「うな重」でビールを飲みながら兄弟家族で歓談しました。都心の九段上に住む長兄、うどん県の高松市に住む次兄夫妻、東京三多摩小平市に住む私夫妻と集まりです。息子、娘家族や孫達なしで話す機会は今まで皆無でした。この様な機会は滅多に無く、亡くなった父母、妹達の思い出話で時間はあっと云う間に過ぎました。翌朝、兄達は観光に行き私は小林道場傘下の「遠州浜松合気会」での稽古です。兄達は皆で観光をしたかったらしいです。女神様に怒られました。これも合気道の為です。ご免なさい。

浜松市では合気道小林道場傘下の一つ3年前に発足した「遠州浜松合気会」が活動しています。小林道場総師範の私としては「遠州浜松合気会」の皆さんと稽古する良い機会です。私から申し出で廣本宣久会長に講習会の場所の確保と人集めをお願いしました。「遠州浜松合気会」の廣本会長と昨年秋の岩井合宿に参加してくれた静岡大留学生ラマンベカビッチ氏以外どの様な方が稽古しているか小林道場では把握していませんでしたので。
廣本宣久5段は京都大学合気道部で稽古を始められましたが、主な稽古は大阪の田中万川師範の道場で稽古されました。昭和59年(1984年)に東村山市に住まわれ、勤め先は武蔵小金井市に有る郵政省付属機関の電波研究所に勤務されていました。東村山道場、小平道場が近くに有りましたが、主に東村山市富士見町に有った旧東村山、錬心館道場で勤務の傍ら長年稽古を続けられました。その後転勤など有りましたが、単身赴任でしたので帰宅時には東村山道場に稽古に通われました。
その後平成17年(2005年)静岡大学工学部教授として浜松に転勤されました。静岡市でも合気道の道場に通い稽古は続けていました。自分自身でも浜松市の体育館を借りたりして仲間を集めて稽古を始めました。本部道場と全日本合気道連盟の組織編制の意向で、級、段の申請には申請資格の有る団体に所属しなければならなくなりました。そこで一番関係の深い合気道小林道場場傘下に平成23年(2013年)入り、その時に「遠州浜松合気会」と名乗り現在に至っています。
朝10時からの稽古は浜松市立北部中学校(浜松市中区文丘町) 静岡大学浜松キャンパスのすぐ西です。廣本会長がホテルまで迎えに来て頂きました。私はホテルで道衣に着変えて行きました。駐車場に着くと合気道を稽古している元静岡大学教授で若いとき柔道で活躍し、現在では二つの高校柔道部で指導している秋山鉄夫氏を紹介されました。私も柔道をしていて秋山氏とは同じ年ですので道場までは当時の柔道の話で盛りあがりました。

稽古場所は中学の体育館の中の武道場で、入り口は雑然と体育用具が置いて有りましたが武道場自体は100畳以上有り、隣は同じ広さの剣道場で仕切が無いので広く感じられました。集まったメンバーは私、廣本会長を入れて14名内女子2名でした。
直ぐ道場に入ると「先生お久し振りです。憶えていますか?平成9年東経大合気道OBの池田です」の声が掛かってきました。16年振りですが顔は憶えていました。「少し太ったな」「小林師範が浜松に指導に見えると知り16年振りで稽古衣を着ました。今日は宜しくお願いします」
10時の定刻10分前に殆どの人が揃いましたので正面に礼をして稽古を始めました。道場に稽古に来ている人達見の道衣や袴の名前を見ると、信州大学合気道部OBが2名、16期の鈴木健一朗氏、27期の足立和俊氏がいました。私とは初めて会いますが信州大学合気道部の師範は私が指導した埼玉大学合気道部の一期生で受身から教えた石垣晴夫師範です。私にとって孫弟子に当たります又入間市、鈴木と書いた袴の女性もいました。話しを聞いてみますと埼玉県入間市合気会で小林道場指導員の山脇、大島両先生に高校時代から習い、結婚して浜松市に住んでいて小林師範が指導に見えるとしり、先週から稽古始めたとの事です。この人も孫弟子です。
遠州浜松合気会の指導補佐をされている大崎智丈2段は本部道場で長年稽古しれていたそうです。私は昭和30年入門から昭和47年(1972年)まで18年間本部道場の指導部員でしたが時代が前後していて面識、は有りませんが指導を受けていた先生方と私は仲間でしたので話が合いました。仕事の都合で稽古途中に帰られたのが残念でした。
稽古は基本の入り身、転換、回転の身体ならしから入り、相対運動の入り身、転換、回転と動きを大きく激しくいて行きました。その応用技の一教、二教、入り投げとつづきました。合気道の一般的な稽古は先生が見本を示しそれに従って稽古する方法が多いです。
今回は審査みたいに私が技名を云い、相手の受けを取りました。多分普段やらない稽古法なので、云えば直ぐできるのに、皆さんの前に出され、いきなりなのでかなり戸惑っていました。刺激に成ったとおもいます。4級、5級の方は技によっては別に指導しました。
広い道場ですので1時間稽古すると、皆さんかなり疲れが見えました。10分の休憩を取り杖の稽古に入りました。杖の合わせは普段稽古しているので皆さん難なく覚えてくました。13の杖の合わせに入ると皆さん苦戦です。でも結構興味を持ちながら稽古していました。何とか全員13の杖の合わせは出来る様になりました。特に杖、剣は基本を全員覚えてからでは、基本の繰り返しになるので、月、週により個別の稽古をした方が良いと注意していきました。学校の武道場ですので正面に何も有りません。植芝盛平翁先生の写真、掛け軸等を合気道小林道場から必要と有れば提供します。

懇親会場の場所は浜松駅構内・JR改札前の「遠州濱乃屋」という居酒屋です。私が新幹線に乗り東京に帰るのに非常に便利な場所の設定、感謝しています。稽古に出席された殆ど全員が参加してくれました。居酒屋ですが、東京では考えられない様な豪華で量も多く食べきれませんでした。私が植芝盛平翁先生の写真集、今年の雑誌「武道」の私の記事「私の指導法」、合気道小林道場の岩井合宿等の行事資料、海外稽古風景等々の話と質疑応答で盛りあがりました。途中で「遠州浜松合気会」の会員でも稽古曜日で普段顔を合わせない会員や東経大OBの池田氏の様に今日突然参加した人もいますので自己紹介が行われました。池田氏は今後も稽古を続ける事で入会の手続きをしてくれました。
今後は「遠州浜松合気会」皆さんは機会が有れば積極的に合気道小林道場の行事に参加したいと云ってくれました。稽古、懇親会の雰囲気は写真を見て下さい。16時6分の新幹線で帰宅しました。合気道小林道場の直轄、傘下の会員で旅行、出張で浜松に行くことが有れば是非稽古に参加して交流を深めて下さい。
by shihan_aikido
| 2013-04-05 17:51