2013年 04月 12日
蕨無為会講習会 |
明大合気道部OBで埼玉県蕨(わらび)市を中心に主催している蕨無為会の壺内久充7段が昨年3月に続き今年も私の講習会を開催してくれました。講習会の場所は京浜東北線西川口駅から徒歩約10分の川口武道場で柔道場は200畳有り駐車場も広く、結構立派な施設です。
明大合気道部卒業以来、壺内7段は仕事の傍ら川口市、蕨市等の武道場で故西尾昭二師範門下にて修業されており現在に到っています。西尾師範は柔道、空手、居合を修業されそれぞれの武道の高段者でした。植芝盛平翁先生を尊敬されていて合気道も修業され独特の理論で合気道普及に邁進し多くの賛同者を得た方です。
西尾昭二師範は合気道を始められたのは昭和27年(1952年)で私の3年先輩です。師範は勤務先の大蔵省印刷局で早い時期に合気道のクラブを創られました。場所は西巣鴨に有りましたので、私と本部道場で一緒に稽古した事はそんなに多くは有りませんでした。その後豊島区を中心に赤羽、川口、蕨や神奈川大学も指導されていましたので横浜方面にも多くの指導されていました。西尾師範の活躍は目覚ましく国内はもとより、海外でも多くの支持者を得て合気道の指導に邁進された方です。
私が東洋大学体育会合気道創立に努力し初代師範として指導した折、初代主将になった市村俊行氏が高校生から合気道を西尾師範の門下生として稽古していました。その関係で西尾師範と私は東洋大学合気道部を一緒に指導することに成りました。お会いする機会も多くなり親しく交流させて頂きました。市村俊行氏は大学卒業後合気道指導でスウェーデン、フインランド行きました。その関係で市村師範の両国の講習会に西尾昭二師範、私が指導に行くように成りました。
蕨無為会の壺久充7段は自分の修業の為に近隣の団体に稽古に参加され自分が学ぶ姿勢を堅持されています。その関係で昨年も3月に一度壺内師範が関係している団体に声を掛けて私の講習会を行ってくれました。その時は4団体の人が25名近く集まってくれました。この時の私の指導法は合気道に対する特別な主義、主張はせず私が今まで稽古で体験してきた後技を中心に指導しました。稽古後の懇親会では私の指導法が講習会で初めて会う人達を受けに使い技を掛け、又私自身が相手の受けを取るのが他の先生方と違い新鮮だと話してくれました。
昨年の講習会が参加者に好評でしたので今年も第2回目私の講習会が開かれることに成りました。3月31日(日) 14時30分~16時30分迄川口武道場で行われました。
参加した人達下記の団体に所属している人達です。
1、千代田区合気会、2、荒川合気会、3、北区合気会、4、板橋養神館5、川口新郷合気 6、川口婦人合気会、7、蕨無為会、8、明大合気道部OB3名 合計で約40名でした。
全員の8割の方が各団体で指導を担当されている方達だと思われました。勿論各団体の代表で参加されたのでは無く、あくまで壺内師範と日頃交流の有る人達です。
合気道小林道場団体以外の講習会で何時も掛けられる言葉は「先生、準備体操をやらせて置きましょうか」と云う言葉です。私は「時間が来たら準備体操から私がします」といい定刻の14時30分正面に礼から始めました。一分ほどの壺内幹事からの私の紹介の挨拶の後私は直ぐに準備体操、基本の受け身で身体をほぐしました。
技は連続技です。二つの技を組み合わせて相手を崩し投げる技です。片両手取の二教から小手返しに変化して投げる技です。一教から入り投げ等10分毎に技をかえ行いました。
殆どの人達がこの様な二つ続けて行う技を練習したことは皆さんあまり無く、はじめはとまどっていました。しかし長年稽古されている人達なので理解も早く指導しやすかったです。
技に戸惑う人は直ぐに質問してくました。習得した人は、普段は指導者ですので分からない人に自分で教えてくれます。各団体で多少はスタイルが違いますので基本の手、足、体の捌きが合っていれば良しとしこの様な稽法が有る事を理解してもらう事に重点を置きまました。
今回初めて参加された4名の板橋養神館の人達は袴をはかず黒帯姿です。皆さん長年稽古されている様子で力強い技をされていました。私は昭和32年(1957年)に明大に合気道部を創設しましたが養神館で学んでいる同期の学生もおりましたので合気会から当時の藤平光一師範部長、養神館から松尾忠敬師範を来て頂き明大合気道部として両先生から一年間指導を受けたことが有ります。養神館の技も多少体験したことが有りました。又小林道場にも養神館で修業された有段者も入門されていますので私しては一切違和感が無く指導出来ました。 講習会途中休憩時間に持参して行きました植芝盛平翁先生の昭和30年代の写真、私の本部道場内弟子時代の写真等見て頂きました。皆さん大きな関心を示され質問も受けました。 稽古は定刻の16時30分で終了集合写真を撮り散会しました。西川口駅前の和民で懇親会を開きましたが日曜日の夕方ですので10名の参加で少し寂しかったです。
明大合気道部卒業以来、壺内7段は仕事の傍ら川口市、蕨市等の武道場で故西尾昭二師範門下にて修業されており現在に到っています。西尾師範は柔道、空手、居合を修業されそれぞれの武道の高段者でした。植芝盛平翁先生を尊敬されていて合気道も修業され独特の理論で合気道普及に邁進し多くの賛同者を得た方です。
西尾昭二師範は合気道を始められたのは昭和27年(1952年)で私の3年先輩です。師範は勤務先の大蔵省印刷局で早い時期に合気道のクラブを創られました。場所は西巣鴨に有りましたので、私と本部道場で一緒に稽古した事はそんなに多くは有りませんでした。その後豊島区を中心に赤羽、川口、蕨や神奈川大学も指導されていましたので横浜方面にも多くの指導されていました。西尾師範の活躍は目覚ましく国内はもとより、海外でも多くの支持者を得て合気道の指導に邁進された方です。
私が東洋大学体育会合気道創立に努力し初代師範として指導した折、初代主将になった市村俊行氏が高校生から合気道を西尾師範の門下生として稽古していました。その関係で西尾師範と私は東洋大学合気道部を一緒に指導することに成りました。お会いする機会も多くなり親しく交流させて頂きました。市村俊行氏は大学卒業後合気道指導でスウェーデン、フインランド行きました。その関係で市村師範の両国の講習会に西尾昭二師範、私が指導に行くように成りました。
蕨無為会の壺久充7段は自分の修業の為に近隣の団体に稽古に参加され自分が学ぶ姿勢を堅持されています。その関係で昨年も3月に一度壺内師範が関係している団体に声を掛けて私の講習会を行ってくれました。その時は4団体の人が25名近く集まってくれました。この時の私の指導法は合気道に対する特別な主義、主張はせず私が今まで稽古で体験してきた後技を中心に指導しました。稽古後の懇親会では私の指導法が講習会で初めて会う人達を受けに使い技を掛け、又私自身が相手の受けを取るのが他の先生方と違い新鮮だと話してくれました。
昨年の講習会が参加者に好評でしたので今年も第2回目私の講習会が開かれることに成りました。3月31日(日) 14時30分~16時30分迄川口武道場で行われました。
参加した人達下記の団体に所属している人達です。
1、千代田区合気会、2、荒川合気会、3、北区合気会、4、板橋養神館5、川口新郷合気 6、川口婦人合気会、7、蕨無為会、8、明大合気道部OB3名 合計で約40名でした。
全員の8割の方が各団体で指導を担当されている方達だと思われました。勿論各団体の代表で参加されたのでは無く、あくまで壺内師範と日頃交流の有る人達です。
合気道小林道場団体以外の講習会で何時も掛けられる言葉は「先生、準備体操をやらせて置きましょうか」と云う言葉です。私は「時間が来たら準備体操から私がします」といい定刻の14時30分正面に礼から始めました。一分ほどの壺内幹事からの私の紹介の挨拶の後私は直ぐに準備体操、基本の受け身で身体をほぐしました。
技は連続技です。二つの技を組み合わせて相手を崩し投げる技です。片両手取の二教から小手返しに変化して投げる技です。一教から入り投げ等10分毎に技をかえ行いました。
殆どの人達がこの様な二つ続けて行う技を練習したことは皆さんあまり無く、はじめはとまどっていました。しかし長年稽古されている人達なので理解も早く指導しやすかったです。
技に戸惑う人は直ぐに質問してくました。習得した人は、普段は指導者ですので分からない人に自分で教えてくれます。各団体で多少はスタイルが違いますので基本の手、足、体の捌きが合っていれば良しとしこの様な稽法が有る事を理解してもらう事に重点を置きまました。
今回初めて参加された4名の板橋養神館の人達は袴をはかず黒帯姿です。皆さん長年稽古されている様子で力強い技をされていました。私は昭和32年(1957年)に明大に合気道部を創設しましたが養神館で学んでいる同期の学生もおりましたので合気会から当時の藤平光一師範部長、養神館から松尾忠敬師範を来て頂き明大合気道部として両先生から一年間指導を受けたことが有ります。養神館の技も多少体験したことが有りました。又小林道場にも養神館で修業された有段者も入門されていますので私しては一切違和感が無く指導出来ました。 講習会途中休憩時間に持参して行きました植芝盛平翁先生の昭和30年代の写真、私の本部道場内弟子時代の写真等見て頂きました。皆さん大きな関心を示され質問も受けました。 稽古は定刻の16時30分で終了集合写真を撮り散会しました。西川口駅前の和民で懇親会を開きましたが日曜日の夕方ですので10名の参加で少し寂しかったです。
by shihan_aikido
| 2013-04-12 10:03