2013年 07月 01日
新内弟子 トルコ人 レジェップ |
現在、トルコ国は日本とオリンピック誘致で争っています。猪瀬都知事のトルコ批判が一時問題に成りました。現在ではトルコは都心再開発と現在よりも厳しいイスラム化政策の政府方針と学生を中心とした若者が反発しイスタンブールを中心に全土でデモが広がっています。これは私が合気道小林道場を昭和44年(1969年)創設しましたが、学生運動で日本中が混乱した時と似ています。

この様な時にトルコ人、レジェップが合気道小林道場の内弟子として4月11日より所沢道場に住み込みました。明治大学国際日本学部4年間学び、今年2013年3月23日に卒業しました。明大体育会合道部の部員で正式の名前はビュックギュウゼル レジェップです。日本と同じで順番で姓と名だそうです。正式なトルコ語の発音を何回聞いても私達は発音できません。名前のレジェップとだけ呼ぶことにしています。
1983年7月26日トルコのアンカラで生まれ今年30才です。お父さんがおもちゃ屋をしています。トルコの大学で2年、ニュージーランド1年英語勉強の為留学、トルコ帰国後2年間又勉強し大学を卒業ました。トルコで合気道を知っていました。日本では大学入学したら合気道を稽古しようと思っていたそうです。2007年9月に日本に来て日本語学校で2年間勉強し、幾つかの大学を受験しました。幾つかの大学受験の面接の時、日本語学校の先生の云うマニュアル通りの返事をしましたが全部不合格でした。

明治大学受験の面接では好きなことを話そうと思いトルコの映画の話をしました。面接の教授がトルコ映画の事を知っており興味を持っていた方でしたので、面接では大いにトルコ映画の話しで盛りあがり無事に明治大学に合格したそうです。これから就活を目指している学生達に参考に成ります。マニュアル通りでは駄目です、一工夫を。
2009年4月明治大学国際学部に入学と同時に体育会合気道部に入部、憧れの合気道の稽古を始めました。同年大学の夏合宿後、9月小平道場に稽古に来て、大学の稽古とは又一味違う稽古に感銘を受けました。時間が有る限り大学の稽古以外にも小林道場の小平道場、所沢道場、府中道場等各道場等で稽古をしました。金曜日の所沢道場は小林道場の指導部員が全員集まり稽古と事務打ち合わせを行います。又各国からの短期内弟子達が作る朝食も楽しみに成り必ず金曜日の朝稽古にも参加にする様になりました。合気道大好きなレジェップは部活と小林道場の稽古にのめり込んで行きました。丁度アフリカのチュニジア小林道場から2人の内弟子が三か月住み込んで居ました。トルコはイスラムなのにレジェップは酒を飲むと怒られたりしていました。

大学一年の時に日本人も参加した日本語スピーチコンテストで優勝、学部長賞をうけました。大学からの奨学金を授与されました。2年の時に成績優秀の為、教授の推薦で大学の奨学金より有利な豊田通商から奨学金を卒業まで貰う事が出来ました。経済的不安が無くなり勉学、合気道に専念出来るように成りました。写真が趣味で学生にしては贅沢なカメラを持っています。新宿のホームレスと仲良くなり夜中に写真を撮らせて貰い発表会などしました。
国際学部で体育会会員として活躍しているのは合気道部のレセップだけでしたので明治大学国際学部の海外PRの為、明治大学から合気道についてのインタビューを受けています。その模様はこちらで見て下さい。私も彼の行動力には感心させられました。
東北大震災後、部を休部して「きずなインタナショナル明治」を明大国際学部の各国から来た留学生と起ち上げ石巻でボランテア活動をして石巻の復興を微力ながら応援しました。1年後に部活に戻り明治大学合気道部の一年遅れの幹部として副主将兼統制役として元気で活発な部員を育成するために自ら先頭に成り稽古に励みました。

2012年4月から部活に戻ったレジェップは学年が3年生ですが、部内の待遇は2年生扱いです。私もこの様な部の規定が出来たのは知りませんでした。60年近い長い合気道部の歴史でも例が無かったと思います。2年生が4月の新入生勧誘期間に入部してきた例は有りますが。この様な時には前期は新入生扱いです。夏合宿終了後急に2年生扱いにした記憶は有ります。急に今までの同僚を急に先輩と呼ばなくてはならず一年生の戸惑やボヤキを聞かされた事は記憶していました。
以下はレジェップの悩み話です。
レジェップに云わせると合気道部に入って、彼を悩ませたのはトルコには無い上下関係の厳しさです。そして言葉です。「こんにちは」は部活の挨拶は短縮して「ちは」しか云いません。「御馳走様でした」は「ごっさんでした」こんな言葉電子辞書に載っていません。
色々な言葉を年下ですが先輩に聞くと「お前にそこから教えるのか」と嫌な顔をされたそうです。一年生の時は家に帰って日本語も部活の為に一生懸命したので日本語も上手になりました。
他に悩ませたのが飲み会です。飲み会での料理の頼み方、お酒の飲み方、食べ物の食べ方、マッチで先輩の煙草に火を付ける練習もしました。練習と現実とは違います。「自分のセンスで頼んで良い」といわれ、宴会にピザと肉とポテトとビールを頼みました。料理が来たらいきなり先輩に「何を考えている、此れでいいと思うか」と怒られたりしました。日本人向きの宴会料理の発想が全然浮かばなかったのです。一番驚いたのは女子先輩に理由なく怒られた事です。「外国人に怒った事が無いので、怒って見たかった」と云われた時です。この事を機会に意味不明の先輩の云う事を適当に聞き流す必要を悟ったそうです。これで部活が楽に成ったとしみじみ云っていました。

レシェップはトルコの大学に学び、英語を学ぶ為にニュージーランドに留学しました。そして日本にきて2年間、日本語学校に行き日本語を勉強してから明治大学に入学してきました。年齢は25、6才です。20才前後の合気道部先輩に生活習慣の違いで意味も分からず怒られるのに良く耐え忍んで部を続けたと感心します。本当に合気道が好きで我慢強いお人よしです。
或る新聞を読んでいたら大相撲で初のアフリカ生まれの関取が7月に誕生しました。新十両「大砂嵐」です。エジプト出身、イスラム教、入門から2年目。不自由な日本語以上に、生活習慣の違いを痛感しています。「エジプトには先輩、後輩の関係はない。みな対等。日本はこれがとても大切。そしてスイマセン、スイマセンばかり」「毎日ガマン、ガマン」「でもやめる気は有りません」とレシェッと同じことを云っていました。
合気道小林道場の厳しい内弟子生活を楽しんでいます。3か月過ぎたら合気道小林道場の直轄、傘下の道場を皆さんと仲良くなるために時間を取って回させます。合気道小林道場の皆さん 内弟子「レシェップ」を気にかけて厳しく躾けると共に応援してやってください。 「頑張れ、レシェップ」

この様な時にトルコ人、レジェップが合気道小林道場の内弟子として4月11日より所沢道場に住み込みました。明治大学国際日本学部4年間学び、今年2013年3月23日に卒業しました。明大体育会合道部の部員で正式の名前はビュックギュウゼル レジェップです。日本と同じで順番で姓と名だそうです。正式なトルコ語の発音を何回聞いても私達は発音できません。名前のレジェップとだけ呼ぶことにしています。
1983年7月26日トルコのアンカラで生まれ今年30才です。お父さんがおもちゃ屋をしています。トルコの大学で2年、ニュージーランド1年英語勉強の為留学、トルコ帰国後2年間又勉強し大学を卒業ました。トルコで合気道を知っていました。日本では大学入学したら合気道を稽古しようと思っていたそうです。2007年9月に日本に来て日本語学校で2年間勉強し、幾つかの大学を受験しました。幾つかの大学受験の面接の時、日本語学校の先生の云うマニュアル通りの返事をしましたが全部不合格でした。

明治大学受験の面接では好きなことを話そうと思いトルコの映画の話をしました。面接の教授がトルコ映画の事を知っており興味を持っていた方でしたので、面接では大いにトルコ映画の話しで盛りあがり無事に明治大学に合格したそうです。これから就活を目指している学生達に参考に成ります。マニュアル通りでは駄目です、一工夫を。
2009年4月明治大学国際学部に入学と同時に体育会合気道部に入部、憧れの合気道の稽古を始めました。同年大学の夏合宿後、9月小平道場に稽古に来て、大学の稽古とは又一味違う稽古に感銘を受けました。時間が有る限り大学の稽古以外にも小林道場の小平道場、所沢道場、府中道場等各道場等で稽古をしました。金曜日の所沢道場は小林道場の指導部員が全員集まり稽古と事務打ち合わせを行います。又各国からの短期内弟子達が作る朝食も楽しみに成り必ず金曜日の朝稽古にも参加にする様になりました。合気道大好きなレジェップは部活と小林道場の稽古にのめり込んで行きました。丁度アフリカのチュニジア小林道場から2人の内弟子が三か月住み込んで居ました。トルコはイスラムなのにレジェップは酒を飲むと怒られたりしていました。

大学一年の時に日本人も参加した日本語スピーチコンテストで優勝、学部長賞をうけました。大学からの奨学金を授与されました。2年の時に成績優秀の為、教授の推薦で大学の奨学金より有利な豊田通商から奨学金を卒業まで貰う事が出来ました。経済的不安が無くなり勉学、合気道に専念出来るように成りました。写真が趣味で学生にしては贅沢なカメラを持っています。新宿のホームレスと仲良くなり夜中に写真を撮らせて貰い発表会などしました。
国際学部で体育会会員として活躍しているのは合気道部のレセップだけでしたので明治大学国際学部の海外PRの為、明治大学から合気道についてのインタビューを受けています。その模様はこちらで見て下さい。私も彼の行動力には感心させられました。
東北大震災後、部を休部して「きずなインタナショナル明治」を明大国際学部の各国から来た留学生と起ち上げ石巻でボランテア活動をして石巻の復興を微力ながら応援しました。1年後に部活に戻り明治大学合気道部の一年遅れの幹部として副主将兼統制役として元気で活発な部員を育成するために自ら先頭に成り稽古に励みました。

2012年4月から部活に戻ったレジェップは学年が3年生ですが、部内の待遇は2年生扱いです。私もこの様な部の規定が出来たのは知りませんでした。60年近い長い合気道部の歴史でも例が無かったと思います。2年生が4月の新入生勧誘期間に入部してきた例は有りますが。この様な時には前期は新入生扱いです。夏合宿終了後急に2年生扱いにした記憶は有ります。急に今までの同僚を急に先輩と呼ばなくてはならず一年生の戸惑やボヤキを聞かされた事は記憶していました。
以下はレジェップの悩み話です。
レジェップに云わせると合気道部に入って、彼を悩ませたのはトルコには無い上下関係の厳しさです。そして言葉です。「こんにちは」は部活の挨拶は短縮して「ちは」しか云いません。「御馳走様でした」は「ごっさんでした」こんな言葉電子辞書に載っていません。
色々な言葉を年下ですが先輩に聞くと「お前にそこから教えるのか」と嫌な顔をされたそうです。一年生の時は家に帰って日本語も部活の為に一生懸命したので日本語も上手になりました。
他に悩ませたのが飲み会です。飲み会での料理の頼み方、お酒の飲み方、食べ物の食べ方、マッチで先輩の煙草に火を付ける練習もしました。練習と現実とは違います。「自分のセンスで頼んで良い」といわれ、宴会にピザと肉とポテトとビールを頼みました。料理が来たらいきなり先輩に「何を考えている、此れでいいと思うか」と怒られたりしました。日本人向きの宴会料理の発想が全然浮かばなかったのです。一番驚いたのは女子先輩に理由なく怒られた事です。「外国人に怒った事が無いので、怒って見たかった」と云われた時です。この事を機会に意味不明の先輩の云う事を適当に聞き流す必要を悟ったそうです。これで部活が楽に成ったとしみじみ云っていました。

レシェップはトルコの大学に学び、英語を学ぶ為にニュージーランドに留学しました。そして日本にきて2年間、日本語学校に行き日本語を勉強してから明治大学に入学してきました。年齢は25、6才です。20才前後の合気道部先輩に生活習慣の違いで意味も分からず怒られるのに良く耐え忍んで部を続けたと感心します。本当に合気道が好きで我慢強いお人よしです。
或る新聞を読んでいたら大相撲で初のアフリカ生まれの関取が7月に誕生しました。新十両「大砂嵐」です。エジプト出身、イスラム教、入門から2年目。不自由な日本語以上に、生活習慣の違いを痛感しています。「エジプトには先輩、後輩の関係はない。みな対等。日本はこれがとても大切。そしてスイマセン、スイマセンばかり」「毎日ガマン、ガマン」「でもやめる気は有りません」とレシェッと同じことを云っていました。
合気道小林道場の厳しい内弟子生活を楽しんでいます。3か月過ぎたら合気道小林道場の直轄、傘下の道場を皆さんと仲良くなるために時間を取って回させます。合気道小林道場の皆さん 内弟子「レシェップ」を気にかけて厳しく躾けると共に応援してやってください。 「頑張れ、レシェップ」
by shihan_aikido
| 2013-07-01 16:05