2013年 11月 25日
古稀、喜寿 40年、45年振りの手紙 |
節目、節目で頂く教え子達の感謝の手紙は合気道師範に成って良かったと感激します。
先日、合気道小平小林道場が昭和44年(1969年)に4月にひらかれて、直ぐ子供クラスに入門された方が小林道場のホームページを見て懐かしさの余り私に手紙を下さいました。又9月20日で喜寿になりましたがそのお祝いの手紙も頂いております。書かれた方皆さんの了解も取っていますので紹介させて頂きます。
7年前、古稀に頂きました埼玉大学合気道部OGからの手紙は小林道場 総師範ブログ2006年11月2日 20年目の手紙 その1、 11月6日 20年目の手紙 その2 で書いてあります。是非読んで下さい。
この古稀の時に受け取りました男性の手紙は掲載しませんでした。先ず今回掲載します。
埼玉大学合気道部 一期生 佐藤嘉信氏です。彼は埼玉県立高校の数学の教師として多くの学生を指導しました。私が指導したA&P石垣道場傘下の道場で指導、稽古されています。
拝啓
秋冷の候、小林先生にはご健勝にて益々ご活躍のこととお喜び申し上げます。
さてこの度は70歳のお誕生日をお迎えのこと、大変おめでとうございます。重ねてお喜び申し上げます。
私も来年には定年となりますが、思い起こしますと早40年の歳月が行き過ぎたことになります。この間、小林先生には埼玉大学での3年間を始めとしまして、道場での合宿、海外旅行合宿と公私ともに大変お世話いただきました。そしてすばらしい楽しい思い出とともに、充実した時間と多くの人達との出会いの機会をいただきました。
台湾、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、ドイツ、スウェーデン、フィンランド、美味しい料理や美しい風景、心ゆたかな時間、今もあざやかによみがえる思い出の数々。その場面の一つ一つに小林先生の笑顔がいつもありました。これら全てが、小林先生との出会いから始まりました。日頃、改まったご挨拶を述べさせていただく機会がなかなか持てませんで、失礼しております。今まで何とか仕事をやってこられたのも、小林先生のおかげだと心より感謝しております。
これからもずっと合気道の師として、また人生の師として、大きく強く道を示していただきたく存じます。
小林先生が、いよいよお元気でご発展されますようお祈り申し上げます。
敬具
平成18年10月 吉日
佐藤 嘉信
写真右端が佐藤氏(カナダ・カルガリーにて)
あれから7年、今年9月20日で喜寿に成りました。77才です。国内外の道場からも誕生祝の手紙、メールが届いています。今回は3通の手紙を紹介させて頂きます。
合気道小平小林道場は昭和44年(1969年)4月に開設されましたが、直後の子供クラスに入門され3年間稽古された清水貫氏(お父さんは本部道場で私と一緒に稽古された方です。)からの手紙です。現在は千葉県千葉市を中心に誉田進学塾を経営されています。合気道小林道場のホームページを見て懐かしく感じ、下記の手紙とPHP出版の本人も原稿を書かれている「さあ、前に進もう!」「元気をもらった一言」「感謝の心」「わが人生の師」を頂きました。道場生で読みたい人は申し出ください。貸し出します。
小林 保雄 先生
拝啓
突然のお手紙で失礼します。昔、小学6年生の頃から中学生の途中まで、小林道場で合気道を習っていた清水貫です。おそらくはご記憶いただいていないと思いますが、たまたまインターネットで小林道場のホームページを見つけ、拝見しているうちに小林先生の柔和なお顔に懐かしさがこみあげて、お手紙を書いてしまいました。
ホームページの総師範略歴によると、小林道場開設は1969年4月とのこと。あまりはっきりした記憶ではないのですが、当時田無に在住で、父の勧めで小林道場に弟(清水玄4才下)と通い始めたのが小6の頃、1969年のことだと思いますので、開設間もない頃ではないかと思います。その後、2、3年ほどで道場は辞めてしまい、さらに数年後、千葉に転居、合気道とは疎遠になってしまいました。
父は、清水郁夫、合気道本部道場に入門し、全三菱合気道部を創設し、指導にあたりました。また京大学合気道部も創設直後から指導にあたりました。平成元年一月には七段をいただきましたが、平成八年に永眠。植芝吉祥丸先生にも葬儀にご参列いただきました。確か、お亡くなりになる少し前の時期でした。在命中に、小林道場がとてもご発展されていると聞いたこともあったと記憶しています。
当時の小林道場には、田無から毎週に日曜日に通っていたと思います。田無の向大小、田無一中の同じ学年から安田君、茂村君、少し遅れて入門した記憶がある小沢君と一緒でした。当時の道場が先生の手作りだったと、いまさらながら初めて知り、懐かしく思い出しました。道場の入り口、更衣室の雰囲気、道場の畳、雨の日の雨音、寒稽古の冷たい足の記憶、餅つき。全てが遠き、そして大切な時の思い出です。またご子息の弘明師範も当時、まだ小さい体で身軽に受身に飛び回っていた姿を記憶しています。
先日、実家のアルバムを探すと当時の写真が見つかりましたので、コピーを同封します。
皆で先生を囲んでいる写真は、昭和46年(1971年)2月14日寒稽古とあります。当時は中1の終わりです。先生の右隣が小沢君、その右のひょうきんな表情が弟の清水玄。後列右端が私、その左が茂村君、一人飛んで、左が安田君です。彼ら3人とは中学卒業以来全く連絡取らずになってしまいました。残念ながら茂村君は7、8年ほど前、安田君は3年ほど前に亡くなったそうです先生の笑顔が伝染してか、周りも楽しそうな様子が写真から伝わってきて、素敵な時をともにできたことを感謝します。
次の写真は、壁の手書きの掲示を見ると演武会だった様子。立って見ているのが弟です。その次の写真は私が安田君を抑え込んでいる写真。短刀取り横面打ち五教だったのではと思います。後ろからご覧になられている先生の表情、とても懐かしいです。最後の写真は、本部道場との合同稽古との記録が書いてありました。本部道場は小さい時に父に連れられて何度か、たいていは鏡開きでしたが、行っていたので、この時の記憶ははっきりしません。
現在は、千葉に在住し進学塾を経営しています。おかげさまで地域から評判をいただくようになり、現在は、難関中学高校大学受験専門の進学塾として、小中高校生の塾生数1350名を教え、8校舎、正社員45名にまでなりました。また読売ウィークリー誌で公立「合格力」ランキング3年連続首都圏第一位になるなど小粒ですが、合格実績が抜群の塾として、地域や業界で知られるようになっています。
気がつくと早いもので一期一会という言葉の意味が深く染み込む年齢になりました。
経営者としての勉強をしていくうちに、ようやく今頃になって色々な人としての正しい道も少しはわかるようになりました。
合気道で培った精神は、現在も活きていると確信しています。お世話になった先生に、道は違えども、少しでも、こんな教え子がいたんだと、自慢していただけるように、社会的使命を果たせるよう、より一層精進します。まだまだ胸を張って活躍をお見せできるほどには、たどり着いていません。成果をご報告できる、その日まで、どうかご自愛ください。
敬具
明治大学体育会合気道部OB 昭和45年度卒 栗原 操氏です。明大卒業後大手保険会社勤務しました。卒業後道場に住み込みながら会社に行く厳しい生活をしました。そして定年を迎え、第二の人生を歩まれています。
朝夕はさすがにしぎやすくなってまいりましたが、先生・奥様には、お変わりなく押し越しのことと存じます。すっかりご無沙汰いたしております。私の方は、8月に「・・・」勤務から、「・・・」勤務に移動に成り、相変わらず忙しく過ごしています。
先生このたび、めぜたく喜寿の賀壽をむかえられました由、誠におめでたく大慶に存じます。学生時代、お世話に成りながらこれといってお礼も申し上げず、40有余年がすぎてしまいました。私個人としては、小林道場での1年8ヵ月の「いそうろう」に加え、私どもの結婚式で媒酌人をお引き受け頂き、さらに「・・・日野営業所」では、第一回代理店会の講師を引受けて頂くなど、社会人スタートとしての大恩人でございました。それに甘えっぱなしの40年でした。奥様にも、あまえっぱなしでございました。
お礼の気持ちをすこしでも形にできればと思い、今般のプレゼントを考えました。ご笑納いただきあしたら幸甚です。直接おうかがいしおわたすべきところ、人事異動直後にて少し自由がききません。先生・奥様の海外旅行の一部となれば幸いです。
最後になりましたが、今後の益々のご健康とご健勝を記念申し上げまして、「お礼」とさせていただきます。
敬具
平成25年9月吉日
明治大学合気道部OB 栗原 操
栗原氏の写真
清水貫氏と同じ日の演武写真です。
一番最近の手紙です。明治大学体育会昭和50年度卒OB 尾上壽一氏です。当時は学校内の道場、部室での飲酒は禁止されていませんでした。稽古後や審査後の打ち上げは校内です。部員達はよく酒を飲み過ぎました。色々な問題を起こす度に私が体育課長に呼び出されました。体育課長の「又合気道部か」の言葉に平身低頭し始末書を何枚も破いて貰った事はいまだに記憶に残っています。よく監督を首に成らなかったと思います。
現在では三重県北牟婁郡紀北町長として活躍しています。
拝啓
先生におかれましてはお元気そうでなによりです。
先生の記事を見るたびに大変うれしく、懐かしく思います。
いつまでもお元気でいてください。それが私にとって本当にうれしいことです。
私が現在あるのは先生や五十嵐先輩(元小林道場指導部、五十嵐道場長、現明大合気道部監督)などの諸先輩方そして明治大学体育会合気道部のおかげだと思っています。事あるごとに合気道部の日々を重ね、生活をしているような気がします。
私が町政にかかわってから、町会議員を4期、そして、町長が2期目になります。今回の選挙において多くの表をいただき当選することができました。
先生からはありがたいお言葉と貴重なお酒をいただきまして心よりお礼を申し上げます。町政に一生懸命取り組んでまいります。
私の合気道の稽古につきましては、選挙のために4カ月ほど休みました。なかなか忙しく稽古を出来ないでいます。再会できたとしても週に一回ぐらいしかできない状況です。五十嵐先輩がご存じのようですが、東京出身の山口金弥先生(七段)(元小林道場指導部、畑山憲吾7段、研心会長の実兄)が今年の10月1日から紀北町に転居され、12月から紀北町で指導をしていただけることになりました。私も一生のんびりと合気道を続けていきたいと思っています。小林道場の45周年にはぜひ参加させていただきたいと思っています。詳しいことが決定しましたら、ぜひご連絡ください。
私の今の楽しみは長男の子ども(4歳と2歳の女の子)の顔を見ることです。本当にかわいいものですね。二男は独身(32歳)ですが合気道を始めてくれました。一緒に稽古をしだしてから親子の会話も弾むようになりました。結構熱心に稽古をしています。現在は初段です。後はお嫁さんです。
紀北町に今年度からの町営の武道場(約80畳、旧高校武道場)ができました。明治大学の合宿を期待するところです。
お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。本当にありがとうございました。
先生のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。
敬具
平成25年11月吉日
尾上 壽一
尾上氏は最近和歌山県紀北町の町長に再選されました。こちらをご覧下さい。
合気道小平小林道場を開いて45年になります。今まで「一人でも多くの人に合気道を」と努力してきました。今では小林弘明道場長以下子供クラスで稽古を始めた人達が中心となり小林道場指導部員として国内の直轄、傘下そして海外30ヵ国近くの国々を普及と指導の為飛び回るまでになりました。道場門弟同志、大学合気道部員同志で家庭を持った人も数えきれません。国際結婚した人もおります。親子、夫婦で又孫まで稽古している人も多くいます。本当に嬉しい事です。
私は生きている限り合気道普及が使命と考えています。来年は合気道小林道場開設45周年です。京都の旧武徳殿で行う予定です。国内ばかりでなく海外の道場の多くの方々の参加をお願いしています。45周年を成功させて、機会有るごとに国内、海外の道場にも赴き合気道の良さを伝えて行く覚悟です。今後もご支援ご鞭撻を宜しくお願いします。
先日、合気道小平小林道場が昭和44年(1969年)に4月にひらかれて、直ぐ子供クラスに入門された方が小林道場のホームページを見て懐かしさの余り私に手紙を下さいました。又9月20日で喜寿になりましたがそのお祝いの手紙も頂いております。書かれた方皆さんの了解も取っていますので紹介させて頂きます。
7年前、古稀に頂きました埼玉大学合気道部OGからの手紙は小林道場 総師範ブログ2006年11月2日 20年目の手紙 その1、 11月6日 20年目の手紙 その2 で書いてあります。是非読んで下さい。
この古稀の時に受け取りました男性の手紙は掲載しませんでした。先ず今回掲載します。
埼玉大学合気道部 一期生 佐藤嘉信氏です。彼は埼玉県立高校の数学の教師として多くの学生を指導しました。私が指導したA&P石垣道場傘下の道場で指導、稽古されています。
拝啓
秋冷の候、小林先生にはご健勝にて益々ご活躍のこととお喜び申し上げます。
さてこの度は70歳のお誕生日をお迎えのこと、大変おめでとうございます。重ねてお喜び申し上げます。
私も来年には定年となりますが、思い起こしますと早40年の歳月が行き過ぎたことになります。この間、小林先生には埼玉大学での3年間を始めとしまして、道場での合宿、海外旅行合宿と公私ともに大変お世話いただきました。そしてすばらしい楽しい思い出とともに、充実した時間と多くの人達との出会いの機会をいただきました。
台湾、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、ドイツ、スウェーデン、フィンランド、美味しい料理や美しい風景、心ゆたかな時間、今もあざやかによみがえる思い出の数々。その場面の一つ一つに小林先生の笑顔がいつもありました。これら全てが、小林先生との出会いから始まりました。日頃、改まったご挨拶を述べさせていただく機会がなかなか持てませんで、失礼しております。今まで何とか仕事をやってこられたのも、小林先生のおかげだと心より感謝しております。
これからもずっと合気道の師として、また人生の師として、大きく強く道を示していただきたく存じます。
小林先生が、いよいよお元気でご発展されますようお祈り申し上げます。
敬具
平成18年10月 吉日
佐藤 嘉信
写真右端が佐藤氏(カナダ・カルガリーにて)
あれから7年、今年9月20日で喜寿に成りました。77才です。国内外の道場からも誕生祝の手紙、メールが届いています。今回は3通の手紙を紹介させて頂きます。
合気道小平小林道場は昭和44年(1969年)4月に開設されましたが、直後の子供クラスに入門され3年間稽古された清水貫氏(お父さんは本部道場で私と一緒に稽古された方です。)からの手紙です。現在は千葉県千葉市を中心に誉田進学塾を経営されています。合気道小林道場のホームページを見て懐かしく感じ、下記の手紙とPHP出版の本人も原稿を書かれている「さあ、前に進もう!」「元気をもらった一言」「感謝の心」「わが人生の師」を頂きました。道場生で読みたい人は申し出ください。貸し出します。
小林 保雄 先生
拝啓
突然のお手紙で失礼します。昔、小学6年生の頃から中学生の途中まで、小林道場で合気道を習っていた清水貫です。おそらくはご記憶いただいていないと思いますが、たまたまインターネットで小林道場のホームページを見つけ、拝見しているうちに小林先生の柔和なお顔に懐かしさがこみあげて、お手紙を書いてしまいました。
ホームページの総師範略歴によると、小林道場開設は1969年4月とのこと。あまりはっきりした記憶ではないのですが、当時田無に在住で、父の勧めで小林道場に弟(清水玄4才下)と通い始めたのが小6の頃、1969年のことだと思いますので、開設間もない頃ではないかと思います。その後、2、3年ほどで道場は辞めてしまい、さらに数年後、千葉に転居、合気道とは疎遠になってしまいました。
父は、清水郁夫、合気道本部道場に入門し、全三菱合気道部を創設し、指導にあたりました。また京大学合気道部も創設直後から指導にあたりました。平成元年一月には七段をいただきましたが、平成八年に永眠。植芝吉祥丸先生にも葬儀にご参列いただきました。確か、お亡くなりになる少し前の時期でした。在命中に、小林道場がとてもご発展されていると聞いたこともあったと記憶しています。
当時の小林道場には、田無から毎週に日曜日に通っていたと思います。田無の向大小、田無一中の同じ学年から安田君、茂村君、少し遅れて入門した記憶がある小沢君と一緒でした。当時の道場が先生の手作りだったと、いまさらながら初めて知り、懐かしく思い出しました。道場の入り口、更衣室の雰囲気、道場の畳、雨の日の雨音、寒稽古の冷たい足の記憶、餅つき。全てが遠き、そして大切な時の思い出です。またご子息の弘明師範も当時、まだ小さい体で身軽に受身に飛び回っていた姿を記憶しています。
先日、実家のアルバムを探すと当時の写真が見つかりましたので、コピーを同封します。
皆で先生を囲んでいる写真は、昭和46年(1971年)2月14日寒稽古とあります。当時は中1の終わりです。先生の右隣が小沢君、その右のひょうきんな表情が弟の清水玄。後列右端が私、その左が茂村君、一人飛んで、左が安田君です。彼ら3人とは中学卒業以来全く連絡取らずになってしまいました。残念ながら茂村君は7、8年ほど前、安田君は3年ほど前に亡くなったそうです先生の笑顔が伝染してか、周りも楽しそうな様子が写真から伝わってきて、素敵な時をともにできたことを感謝します。
次の写真は、壁の手書きの掲示を見ると演武会だった様子。立って見ているのが弟です。その次の写真は私が安田君を抑え込んでいる写真。短刀取り横面打ち五教だったのではと思います。後ろからご覧になられている先生の表情、とても懐かしいです。最後の写真は、本部道場との合同稽古との記録が書いてありました。本部道場は小さい時に父に連れられて何度か、たいていは鏡開きでしたが、行っていたので、この時の記憶ははっきりしません。
現在は、千葉に在住し進学塾を経営しています。おかげさまで地域から評判をいただくようになり、現在は、難関中学高校大学受験専門の進学塾として、小中高校生の塾生数1350名を教え、8校舎、正社員45名にまでなりました。また読売ウィークリー誌で公立「合格力」ランキング3年連続首都圏第一位になるなど小粒ですが、合格実績が抜群の塾として、地域や業界で知られるようになっています。
気がつくと早いもので一期一会という言葉の意味が深く染み込む年齢になりました。
経営者としての勉強をしていくうちに、ようやく今頃になって色々な人としての正しい道も少しはわかるようになりました。
合気道で培った精神は、現在も活きていると確信しています。お世話になった先生に、道は違えども、少しでも、こんな教え子がいたんだと、自慢していただけるように、社会的使命を果たせるよう、より一層精進します。まだまだ胸を張って活躍をお見せできるほどには、たどり着いていません。成果をご報告できる、その日まで、どうかご自愛ください。
敬具
明治大学体育会合気道部OB 昭和45年度卒 栗原 操氏です。明大卒業後大手保険会社勤務しました。卒業後道場に住み込みながら会社に行く厳しい生活をしました。そして定年を迎え、第二の人生を歩まれています。
朝夕はさすがにしぎやすくなってまいりましたが、先生・奥様には、お変わりなく押し越しのことと存じます。すっかりご無沙汰いたしております。私の方は、8月に「・・・」勤務から、「・・・」勤務に移動に成り、相変わらず忙しく過ごしています。
先生このたび、めぜたく喜寿の賀壽をむかえられました由、誠におめでたく大慶に存じます。学生時代、お世話に成りながらこれといってお礼も申し上げず、40有余年がすぎてしまいました。私個人としては、小林道場での1年8ヵ月の「いそうろう」に加え、私どもの結婚式で媒酌人をお引き受け頂き、さらに「・・・日野営業所」では、第一回代理店会の講師を引受けて頂くなど、社会人スタートとしての大恩人でございました。それに甘えっぱなしの40年でした。奥様にも、あまえっぱなしでございました。
お礼の気持ちをすこしでも形にできればと思い、今般のプレゼントを考えました。ご笑納いただきあしたら幸甚です。直接おうかがいしおわたすべきところ、人事異動直後にて少し自由がききません。先生・奥様の海外旅行の一部となれば幸いです。
最後になりましたが、今後の益々のご健康とご健勝を記念申し上げまして、「お礼」とさせていただきます。
敬具
平成25年9月吉日
明治大学合気道部OB 栗原 操
栗原氏の写真
清水貫氏と同じ日の演武写真です。
一番最近の手紙です。明治大学体育会昭和50年度卒OB 尾上壽一氏です。当時は学校内の道場、部室での飲酒は禁止されていませんでした。稽古後や審査後の打ち上げは校内です。部員達はよく酒を飲み過ぎました。色々な問題を起こす度に私が体育課長に呼び出されました。体育課長の「又合気道部か」の言葉に平身低頭し始末書を何枚も破いて貰った事はいまだに記憶に残っています。よく監督を首に成らなかったと思います。
現在では三重県北牟婁郡紀北町長として活躍しています。
拝啓
先生におかれましてはお元気そうでなによりです。
先生の記事を見るたびに大変うれしく、懐かしく思います。
いつまでもお元気でいてください。それが私にとって本当にうれしいことです。
私が現在あるのは先生や五十嵐先輩(元小林道場指導部、五十嵐道場長、現明大合気道部監督)などの諸先輩方そして明治大学体育会合気道部のおかげだと思っています。事あるごとに合気道部の日々を重ね、生活をしているような気がします。
私が町政にかかわってから、町会議員を4期、そして、町長が2期目になります。今回の選挙において多くの表をいただき当選することができました。
先生からはありがたいお言葉と貴重なお酒をいただきまして心よりお礼を申し上げます。町政に一生懸命取り組んでまいります。
私の合気道の稽古につきましては、選挙のために4カ月ほど休みました。なかなか忙しく稽古を出来ないでいます。再会できたとしても週に一回ぐらいしかできない状況です。五十嵐先輩がご存じのようですが、東京出身の山口金弥先生(七段)(元小林道場指導部、畑山憲吾7段、研心会長の実兄)が今年の10月1日から紀北町に転居され、12月から紀北町で指導をしていただけることになりました。私も一生のんびりと合気道を続けていきたいと思っています。小林道場の45周年にはぜひ参加させていただきたいと思っています。詳しいことが決定しましたら、ぜひご連絡ください。
私の今の楽しみは長男の子ども(4歳と2歳の女の子)の顔を見ることです。本当にかわいいものですね。二男は独身(32歳)ですが合気道を始めてくれました。一緒に稽古をしだしてから親子の会話も弾むようになりました。結構熱心に稽古をしています。現在は初段です。後はお嫁さんです。
紀北町に今年度からの町営の武道場(約80畳、旧高校武道場)ができました。明治大学の合宿を期待するところです。
お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。本当にありがとうございました。
先生のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。
敬具
平成25年11月吉日
尾上 壽一
尾上氏は最近和歌山県紀北町の町長に再選されました。こちらをご覧下さい。
合気道小平小林道場を開いて45年になります。今まで「一人でも多くの人に合気道を」と努力してきました。今では小林弘明道場長以下子供クラスで稽古を始めた人達が中心となり小林道場指導部員として国内の直轄、傘下そして海外30ヵ国近くの国々を普及と指導の為飛び回るまでになりました。道場門弟同志、大学合気道部員同志で家庭を持った人も数えきれません。国際結婚した人もおります。親子、夫婦で又孫まで稽古している人も多くいます。本当に嬉しい事です。
私は生きている限り合気道普及が使命と考えています。来年は合気道小林道場開設45周年です。京都の旧武徳殿で行う予定です。国内ばかりでなく海外の道場の多くの方々の参加をお願いしています。45周年を成功させて、機会有るごとに国内、海外の道場にも赴き合気道の良さを伝えて行く覚悟です。今後もご支援ご鞭撻を宜しくお願いします。
by shihan_aikido
| 2013-11-25 11:21