2014年 09月 19日
8年振りの明大合気道部三重県紀北町合宿 その2 |
第一部は明大合気道部の簡単な歴史をかきました。両方読んでください。
ここから第二部です。
8月30日(土)東京駅から新幹線で名古屋駅え、JRワイドビュー南紀に乗り換え2時間で紀伊長島駅に着きました。町長の尾上壽一合気道部OBの出迎えを受け、紀北町庁舎の敷地内にある明大合気道部合宿稽古中の道場に到着したのは15時半でした。

五十嵐和男監督の指導の下、明大合気道部男子部員11名、女子部員3名そして東京から又遠路九州から駆け付けたOB、地元のきほく合気道同好会責任者である尾上紀北町長を含めて8名が汗を流していました。総勢33名で稽古、120畳の道場も狭くかんじました。名誉監督の私は長旅の疲れも有りましたので稽古を見学しまいた。
稽古の様子を地元の新聞社、南海日日新聞社、伊勢新聞社そして 新聞社の3社の記者が取材にきました。記事の内容は合気道部のOB尾上壽一町長が「町起し」として明大体育会合気道部に合宿誘致の連絡で実現しました。学生達の感想は「紀北町での合宿は、合宿中唯一の楽しみの食事が、おかずが多く美味しく、海と山に囲まれていますのでトレーニング環境も抜群」と好評と書かれています。伊勢新聞社の管 亮輔記者は私が名刺を渡すと「大学時代に小平市学園の木村質店(小平道場会員)近くに住んでいて、今も兄が居ますので小平に行った時は道場にたずねていきます。」と懐かしそうに話かけてきました。世の中は広い様で狭いものです。

紀北町舎は廃校に成った高校を2年前に改築したとの事です。内部は地元の木材をふんだんに使用ですので木の温かみが有る近代的な庁舎です。体育館、武道場も立派に改築されています。120畳と同じ広さの剣道場が有り、仕切りが有りませんので広々とした明るい道場です。大きなグランド、サッカーが出来るような芝生の広場も敷地内にあります。町長に成って2期目の尾上町長がスポーツで「町起こし」をとの取組で熱意が全面に押し出さています。
夜は部活としては、トレーニングを行うのですが、今回は私、五十嵐監督、OB諸兄と地元の合気道の会の人との食事をしながら懇親会と云う事で変更になりました。部員達は合宿打ち上げ以外は禁酒、禁煙です。OBや地元の合気道の人達は酒が入り、話がはずみました。

尾上壽一町長が合気道を再開した話は面白いです。尾鷲は日本でも1,2を争う様な雨の多い所ですので、今回の広島県の様な山崩れは起きない所だそうです。
しかし台風の通り道ですので、台風の被害は有ります。何年か前に台風の高波で尾上氏の店と家屋が浸水し大きな痛手受けました。水害ですので着る物は合気道のTシャツしかなく、それを着て或る銀行に資金の融資をお願いいきました。融資の責任者が合気道を大学が何処かで稽古していた人で盛りあがり合気道のクラブが出来たと話していました。もし、水害で銀行の人に会わなければ今回の合宿も無かったのです。人と人との繋がりは合縁奇縁です。
尾上町長の学生時代は昭和50年(1975年)前後です。学生運動が少し落ち着いてきた時代ですが大学生の奔放さは失われていません。学校の道場稽古後道場で自由に酒が飲めた時代です。後輩の校内での泥酔事件、校外では見境ない喧嘩です。又合気道部かと私は何回体育課長に呼び出されたか分かりません。
話しが盛り上がっている時に、突然イカツイOBが入って来ました。「先生暫く」との挨拶ですが、一瞬、誰か思いだしません。昭和53年(1978年)卒の深田OBです。尾上先輩の3年後輩です」挨拶され思い出しました。「三重県警に入った深田か」「そうです。学生時代は喧嘩で警視庁に捕まっても、三重県警に合格していますと云うと許してくれした。先生、卒業して以来ですから40年振りです。今、三重県のOO市OO署の警察署長をしています」との事です。

彼の話では、イカツイ顔と激しい性格なので、暴力団担当の刑事として活躍。暴力団団長からあの刑事はやり過ぎとクレームが来るほど活躍し、現在は警察署長として単身赴任しているそうです。署長は管轄外に出かける時は許可が必要なので旅行などしたこと無とぼやいていました。官舎に居るので出勤は1分だそうです。彼の迫力だと、部下が気を抜く暇がないのではと思います。来るときは休暇の部下が送ってくれたので30分できたが、22時に電車で2時間かけて帰ると出ていかれました。勿論OB会復帰の会費6000円は払ってもらいました。
9月1日、私と昭和32年(1957年)に本部道場に稽古に来ていて、私と一緒に明大合気道部結成協力してくれた佐居守OBが、紀伊勝浦町から合宿中の学生の為にマグロを一塊来てくれました。現在は心臓が悪いと云う事で娘さん2人の介添えで来てくれました。昼飯を一緒に食べましたが、酒好きで飯の代わりに酒を飲んでいます。私、五十嵐監督は彼の持って来てくれた最高のマグロで一杯やりながら昼食しました。学生達は合宿打ち上げのコンパでマグロの刺身が出されたはずです。
佐居OBは子牛の様な体格でその腕力たるや考えられない力が有りました。彼の様な腕が太く、握力有る人と毎日、毎日4年間も稽古していたので力の有る人の稽古に私は慣れて、平気に扱える様に成りました。この体験が海外指導にどれほど役に立ったか分かりません。佐居氏以上の力持ちに逢ったのは何人もいません。合氣道が海外で知られてない時代に私が一人で海外の稽古指導が
出来たのは彼のお蔭と感謝しています。
久し振りの明大合気道部の合宿での私の稽古は、部員の他地元の合気道同好会の人も参加してくれました。準備体操後太刀取りを行いました。全員が殆ど稽古したことが無かった技なので相手を変え数多く稽古しました。最後に汗かく様に捌きを付けた天地投、三教投で時間が来たので終了です。地元の人達も
明大部員も怪我人も無く無事終了しました。
最後に尾上壽一町長の執務室に私、佐居OBと娘さん2人で訪れ、私が着ていた明大合気道部のジャージを記念に贈りました。
合気道小林道場の皆さん、尾上壽一町長は京都の45周年に参加してくれます。名刺交換し紀北町を訪れてください。
ここから第二部です。
8月30日(土)東京駅から新幹線で名古屋駅え、JRワイドビュー南紀に乗り換え2時間で紀伊長島駅に着きました。町長の尾上壽一合気道部OBの出迎えを受け、紀北町庁舎の敷地内にある明大合気道部合宿稽古中の道場に到着したのは15時半でした。

五十嵐和男監督の指導の下、明大合気道部男子部員11名、女子部員3名そして東京から又遠路九州から駆け付けたOB、地元のきほく合気道同好会責任者である尾上紀北町長を含めて8名が汗を流していました。総勢33名で稽古、120畳の道場も狭くかんじました。名誉監督の私は長旅の疲れも有りましたので稽古を見学しまいた。
稽古の様子を地元の新聞社、南海日日新聞社、伊勢新聞社そして 新聞社の3社の記者が取材にきました。記事の内容は合気道部のOB尾上壽一町長が「町起し」として明大体育会合気道部に合宿誘致の連絡で実現しました。学生達の感想は「紀北町での合宿は、合宿中唯一の楽しみの食事が、おかずが多く美味しく、海と山に囲まれていますのでトレーニング環境も抜群」と好評と書かれています。伊勢新聞社の管 亮輔記者は私が名刺を渡すと「大学時代に小平市学園の木村質店(小平道場会員)近くに住んでいて、今も兄が居ますので小平に行った時は道場にたずねていきます。」と懐かしそうに話かけてきました。世の中は広い様で狭いものです。

紀北町舎は廃校に成った高校を2年前に改築したとの事です。内部は地元の木材をふんだんに使用ですので木の温かみが有る近代的な庁舎です。体育館、武道場も立派に改築されています。120畳と同じ広さの剣道場が有り、仕切りが有りませんので広々とした明るい道場です。大きなグランド、サッカーが出来るような芝生の広場も敷地内にあります。町長に成って2期目の尾上町長がスポーツで「町起こし」をとの取組で熱意が全面に押し出さています。
夜は部活としては、トレーニングを行うのですが、今回は私、五十嵐監督、OB諸兄と地元の合気道の会の人との食事をしながら懇親会と云う事で変更になりました。部員達は合宿打ち上げ以外は禁酒、禁煙です。OBや地元の合気道の人達は酒が入り、話がはずみました。

尾上壽一町長が合気道を再開した話は面白いです。尾鷲は日本でも1,2を争う様な雨の多い所ですので、今回の広島県の様な山崩れは起きない所だそうです。
しかし台風の通り道ですので、台風の被害は有ります。何年か前に台風の高波で尾上氏の店と家屋が浸水し大きな痛手受けました。水害ですので着る物は合気道のTシャツしかなく、それを着て或る銀行に資金の融資をお願いいきました。融資の責任者が合気道を大学が何処かで稽古していた人で盛りあがり合気道のクラブが出来たと話していました。もし、水害で銀行の人に会わなければ今回の合宿も無かったのです。人と人との繋がりは合縁奇縁です。
尾上町長の学生時代は昭和50年(1975年)前後です。学生運動が少し落ち着いてきた時代ですが大学生の奔放さは失われていません。学校の道場稽古後道場で自由に酒が飲めた時代です。後輩の校内での泥酔事件、校外では見境ない喧嘩です。又合気道部かと私は何回体育課長に呼び出されたか分かりません。
話しが盛り上がっている時に、突然イカツイOBが入って来ました。「先生暫く」との挨拶ですが、一瞬、誰か思いだしません。昭和53年(1978年)卒の深田OBです。尾上先輩の3年後輩です」挨拶され思い出しました。「三重県警に入った深田か」「そうです。学生時代は喧嘩で警視庁に捕まっても、三重県警に合格していますと云うと許してくれした。先生、卒業して以来ですから40年振りです。今、三重県のOO市OO署の警察署長をしています」との事です。

彼の話では、イカツイ顔と激しい性格なので、暴力団担当の刑事として活躍。暴力団団長からあの刑事はやり過ぎとクレームが来るほど活躍し、現在は警察署長として単身赴任しているそうです。署長は管轄外に出かける時は許可が必要なので旅行などしたこと無とぼやいていました。官舎に居るので出勤は1分だそうです。彼の迫力だと、部下が気を抜く暇がないのではと思います。来るときは休暇の部下が送ってくれたので30分できたが、22時に電車で2時間かけて帰ると出ていかれました。勿論OB会復帰の会費6000円は払ってもらいました。
9月1日、私と昭和32年(1957年)に本部道場に稽古に来ていて、私と一緒に明大合気道部結成協力してくれた佐居守OBが、紀伊勝浦町から合宿中の学生の為にマグロを一塊来てくれました。現在は心臓が悪いと云う事で娘さん2人の介添えで来てくれました。昼飯を一緒に食べましたが、酒好きで飯の代わりに酒を飲んでいます。私、五十嵐監督は彼の持って来てくれた最高のマグロで一杯やりながら昼食しました。学生達は合宿打ち上げのコンパでマグロの刺身が出されたはずです。
佐居OBは子牛の様な体格でその腕力たるや考えられない力が有りました。彼の様な腕が太く、握力有る人と毎日、毎日4年間も稽古していたので力の有る人の稽古に私は慣れて、平気に扱える様に成りました。この体験が海外指導にどれほど役に立ったか分かりません。佐居氏以上の力持ちに逢ったのは何人もいません。合氣道が海外で知られてない時代に私が一人で海外の稽古指導が
出来たのは彼のお蔭と感謝しています。
久し振りの明大合気道部の合宿での私の稽古は、部員の他地元の合気道同好会の人も参加してくれました。準備体操後太刀取りを行いました。全員が殆ど稽古したことが無かった技なので相手を変え数多く稽古しました。最後に汗かく様に捌きを付けた天地投、三教投で時間が来たので終了です。地元の人達も
明大部員も怪我人も無く無事終了しました。
最後に尾上壽一町長の執務室に私、佐居OBと娘さん2人で訪れ、私が着ていた明大合気道部のジャージを記念に贈りました。
合気道小林道場の皆さん、尾上壽一町長は京都の45周年に参加してくれます。名刺交換し紀北町を訪れてください。
by shihan_aikido
| 2014-09-19 18:54