2014年 11月 18日
忙しいです、総師範は |
合気道小林道場45周年京都大会が9月27日に行われ25ヵ国、500名の合気道家が集まり大成功裏に無事挙行されました。その後、海外から来た各国の修業生達は大挙して小平道場、所沢道場を中心に小林道場各道場に40名~60名稽古に訪れてくれました。これも指導部員は対応に追われましたが嬉しい事です。
その中、平常稽古以外に私の予定は10月11日(土)~13日(月)まで傘下の北海道札幌発寒道場10周年参加しました。10月19日(日)東京都八王子市体育大会合気道演武大会、八王子道場40周年記念祝賀会に出席しました。そしてまだまだあります。11月1日(土)私の母校、明治大学理工学部創立70周年記念式典・記念講演会を聞きました。祝賀会だけをキャンセルして、小林道場指導部に居りました諏訪雅俊師範の還暦祝賀会に参加の為、神奈川県町田市に直行して、17時に町田駅近くのホテル、ザエルシテイ町田に駆け付けました。
これ等の項は1部、発寒道場10周年、2部、八王子合気道連盟演武会、40周年祝賀会、3部、明大工学部70周年講演会、諏訪雅俊師範還暦祝賀会としてブログを書かせて頂きます。
1部.札幌発寒道場10周年記念演武会、講習会
札幌発寒道場は東京都東村山富士見町の東村山錬心館道場に通われていた坂下薫師範が発足させた道場です。坂下薫師範は北海道庁の職員で永田町の国会議員の秘書をする為に東京に昭和52年に出向されました。住まいは「志村けん」が歌った「東村山、庭先は多摩湖」の東村山音頭で全国的に有名な東村山市富士見町の公務員官舎に住まわれました。
当時の新青梅街道は暴走族が毎夜走り回る街道でした。夜中官舎に帰る途中に暴走族に襲われ持ち物を奪われました。此れを機会に官舎の近くに有った東村山錬心館道場に入門しました。
東村山錬心舘道場は昭和44年に4月に開設された小林道場本部の小平道場に開設間もなく入門された歯科医師、高橋誠一先生が昭和53年10月に自宅の庭に道場を建て小林道場に提供して下さった道場です。息子秀明氏も稽古を4才から小平道場で稽古されました。弘明道場長、増田学師範とは子供クラスでは稽古相手で又遊び仲間でした。自宅の道場で稽古され大学でも合気道をされました。日本歯科大学合気道部OBです。妹の直子さんも稽古は続けられました。歯科医院が改築の為道場が無くなりました。現在の東村山道場が2000年に開設され、錬心舘で稽古されていた方々引き続き稽古に通われています。高橋館長の娘、直子さんも現在も東村山道場に子供さん2人と一緒に稽古されています。静岡県浜松市の体育館を借り、遠州浜松合気会を結成し稽古を続けている 廣本宣久師範も東村山錬心舘道場で稽古された方です。小林道場傘下道場として合気道の発展に協力されています。
坂下師範は錬心舘に熱心に通われ親睦会長を務められ、職場の国会合気会でも稽古されました。当時国会合気会の指導を担当されていました現道主、植芝守央先生にも指導をうけられました。女優の「由美かおる」とも一緒に稽古されて、彼女の携帯番号を知ってたまに話すとのことです。昭和63年に札幌に戻れ、私が指導した埼玉大学合気道部OB、今村樹憲師範と一緒に札幌で体育館を借りて稽古を続けられました。
その後、自宅近くの発寒体育館の武道場を週2回借りて、10年前に小林道場傘下の発寒合気道場として発足させました。発足当時は5名の会員でしたが、現在は週4回に稽古稽古回数を増やし50名近くの立派な団体に成っています。 小林道場傘下のサハリン国際合気道会も指導されています。
私は発寒道場には平成18年、平成22年と夏に2回稽古指導に行きました。2回目には講習会終了後、坂下薫師範、栗原光朗師範の案内により道北、遠軽町白滝にも行ってきました。白滝は合気道創始者、植芝盛平翁先生が若き時代に北海道開拓の為に入植された場所です。ここで大東流柔術の武田惣角師範に出会われて入門されました。この修業を基に合氣道を創始された場所です。白滝合気道会の人達と交流してきました。
白滝訪問のブログ はこちらをご覧下さい。
発寒道場10周年記念演武
1少年、少女演武2、7~6級演武3、5級演武4、剣、杖演武5、4級演武
5、2~1級6、初段~3段7、5段8、北の武産道場9、少林寺拳法10、坂下薫師範の順で行われました。
各修行段階の人達の演武は週4回稽古していますので、基本技の確りした演武でした。先回私が指導して時は週2回の稽古でしたが、会員増と稽古熱心な人の要望で稽古回数が4回に増えた成果が如実に出ていました。北の武産道場は栗原光朗師範の指導の道場は師範が50年近く合気道を稽古されていて、北海道の草分け的な方です。
市営の体育館内の武道場です。一緒の道場を使用している少林寺拳法の先生とも仲良く坂下師範は交流されております。成田孝広道院長の演武も突き、蹴り関節の投げ技も迫力ありました。最後に坂下薫師範の演武は優しさの有る基本に忠実な演武で発寒道場演武会は事故、怪我人もなく無事終了しました。
午後13時~14時30分 私の講習会でした。演武会に参加された殆ど全員講習会に出席されました。私の勧めで少林寺拳法の生徒さんも達も参加を促しました。皆さん気持ちよく参加下さり少林寺とは違った捌きや関節技に興味を持ってくれて、喜んで稽古されていました。
坂下師範の指導の下に基本技は十二分に稽古されています。基本技に少し変化を加えた応用技多く稽古しました。この様な技が基本からの変化で出来るのかと興味を持ってくれ、質問を受けながらの稽古、そして杖の13の合わせをしました。皆さん1時間半の稽古時間が短く感じたと話してくれました。講習会の成果を感じました。
講習会の反省を兼ねた親睦会は10月12日の19時から札幌の繁華街「すすきの」の居酒屋で行われました。この日の札幌は「雪虫」が舞う寒さでした。約20名男女の参加者は年配者が多かったので、講習会では身体が動かない方も、酒が入れば口は軽くなり話が弾みました。私が持参した、植芝盛平翁先生の昭和30年代の写真集、私の本部修業時代の写真そして私の手造り小平道場写真を見ながら盛り上がりました。
飲めば無礼講、合気道は半年、一年の方も皆さん仕事場では指導する立場の人達が多いので発寒道場発展と私の要望の全日本演武大会の参加、小林道場行事えの参加の約束が出来ました。会員の皆さんから「総師範のフワンに成りました」との温かい言葉を頂き「すすきの」の一次会はお開きになりました。発寒道場の皆さん有難う御座いました。気の合った人達と2次会に散っていかれました。 坂下師範、及川道場長、会員の皆さん有難う御座いました。
その中、平常稽古以外に私の予定は10月11日(土)~13日(月)まで傘下の北海道札幌発寒道場10周年参加しました。10月19日(日)東京都八王子市体育大会合気道演武大会、八王子道場40周年記念祝賀会に出席しました。そしてまだまだあります。11月1日(土)私の母校、明治大学理工学部創立70周年記念式典・記念講演会を聞きました。祝賀会だけをキャンセルして、小林道場指導部に居りました諏訪雅俊師範の還暦祝賀会に参加の為、神奈川県町田市に直行して、17時に町田駅近くのホテル、ザエルシテイ町田に駆け付けました。
これ等の項は1部、発寒道場10周年、2部、八王子合気道連盟演武会、40周年祝賀会、3部、明大工学部70周年講演会、諏訪雅俊師範還暦祝賀会としてブログを書かせて頂きます。
1部.札幌発寒道場10周年記念演武会、講習会
札幌発寒道場は東京都東村山富士見町の東村山錬心館道場に通われていた坂下薫師範が発足させた道場です。坂下薫師範は北海道庁の職員で永田町の国会議員の秘書をする為に東京に昭和52年に出向されました。住まいは「志村けん」が歌った「東村山、庭先は多摩湖」の東村山音頭で全国的に有名な東村山市富士見町の公務員官舎に住まわれました。
当時の新青梅街道は暴走族が毎夜走り回る街道でした。夜中官舎に帰る途中に暴走族に襲われ持ち物を奪われました。此れを機会に官舎の近くに有った東村山錬心館道場に入門しました。
東村山錬心舘道場は昭和44年に4月に開設された小林道場本部の小平道場に開設間もなく入門された歯科医師、高橋誠一先生が昭和53年10月に自宅の庭に道場を建て小林道場に提供して下さった道場です。息子秀明氏も稽古を4才から小平道場で稽古されました。弘明道場長、増田学師範とは子供クラスでは稽古相手で又遊び仲間でした。自宅の道場で稽古され大学でも合気道をされました。日本歯科大学合気道部OBです。妹の直子さんも稽古は続けられました。歯科医院が改築の為道場が無くなりました。現在の東村山道場が2000年に開設され、錬心舘で稽古されていた方々引き続き稽古に通われています。高橋館長の娘、直子さんも現在も東村山道場に子供さん2人と一緒に稽古されています。静岡県浜松市の体育館を借り、遠州浜松合気会を結成し稽古を続けている 廣本宣久師範も東村山錬心舘道場で稽古された方です。小林道場傘下道場として合気道の発展に協力されています。
坂下師範は錬心舘に熱心に通われ親睦会長を務められ、職場の国会合気会でも稽古されました。当時国会合気会の指導を担当されていました現道主、植芝守央先生にも指導をうけられました。女優の「由美かおる」とも一緒に稽古されて、彼女の携帯番号を知ってたまに話すとのことです。昭和63年に札幌に戻れ、私が指導した埼玉大学合気道部OB、今村樹憲師範と一緒に札幌で体育館を借りて稽古を続けられました。
その後、自宅近くの発寒体育館の武道場を週2回借りて、10年前に小林道場傘下の発寒合気道場として発足させました。発足当時は5名の会員でしたが、現在は週4回に稽古稽古回数を増やし50名近くの立派な団体に成っています。 小林道場傘下のサハリン国際合気道会も指導されています。
私は発寒道場には平成18年、平成22年と夏に2回稽古指導に行きました。2回目には講習会終了後、坂下薫師範、栗原光朗師範の案内により道北、遠軽町白滝にも行ってきました。白滝は合気道創始者、植芝盛平翁先生が若き時代に北海道開拓の為に入植された場所です。ここで大東流柔術の武田惣角師範に出会われて入門されました。この修業を基に合氣道を創始された場所です。白滝合気道会の人達と交流してきました。
白滝訪問のブログ はこちらをご覧下さい。
発寒道場10周年記念演武
1少年、少女演武2、7~6級演武3、5級演武4、剣、杖演武5、4級演武
5、2~1級6、初段~3段7、5段8、北の武産道場9、少林寺拳法10、坂下薫師範の順で行われました。
各修行段階の人達の演武は週4回稽古していますので、基本技の確りした演武でした。先回私が指導して時は週2回の稽古でしたが、会員増と稽古熱心な人の要望で稽古回数が4回に増えた成果が如実に出ていました。北の武産道場は栗原光朗師範の指導の道場は師範が50年近く合気道を稽古されていて、北海道の草分け的な方です。
市営の体育館内の武道場です。一緒の道場を使用している少林寺拳法の先生とも仲良く坂下師範は交流されております。成田孝広道院長の演武も突き、蹴り関節の投げ技も迫力ありました。最後に坂下薫師範の演武は優しさの有る基本に忠実な演武で発寒道場演武会は事故、怪我人もなく無事終了しました。
午後13時~14時30分 私の講習会でした。演武会に参加された殆ど全員講習会に出席されました。私の勧めで少林寺拳法の生徒さんも達も参加を促しました。皆さん気持ちよく参加下さり少林寺とは違った捌きや関節技に興味を持ってくれて、喜んで稽古されていました。
坂下師範の指導の下に基本技は十二分に稽古されています。基本技に少し変化を加えた応用技多く稽古しました。この様な技が基本からの変化で出来るのかと興味を持ってくれ、質問を受けながらの稽古、そして杖の13の合わせをしました。皆さん1時間半の稽古時間が短く感じたと話してくれました。講習会の成果を感じました。
講習会の反省を兼ねた親睦会は10月12日の19時から札幌の繁華街「すすきの」の居酒屋で行われました。この日の札幌は「雪虫」が舞う寒さでした。約20名男女の参加者は年配者が多かったので、講習会では身体が動かない方も、酒が入れば口は軽くなり話が弾みました。私が持参した、植芝盛平翁先生の昭和30年代の写真集、私の本部修業時代の写真そして私の手造り小平道場写真を見ながら盛り上がりました。
飲めば無礼講、合気道は半年、一年の方も皆さん仕事場では指導する立場の人達が多いので発寒道場発展と私の要望の全日本演武大会の参加、小林道場行事えの参加の約束が出来ました。会員の皆さんから「総師範のフワンに成りました」との温かい言葉を頂き「すすきの」の一次会はお開きになりました。発寒道場の皆さん有難う御座いました。気の合った人達と2次会に散っていかれました。 坂下師範、及川道場長、会員の皆さん有難う御座いました。
by shihan_aikido
| 2014-11-18 23:25