2016年 03月 14日
明大体育会合気道部 小豆島合宿 |
明大体育会合気道部の小豆島合宿に3月3日~5日午前中まで合宿に参加しました。午後の飛行機で高松に行きました。高松から小豆島草壁行のフェリー最終便です。合宿所に着いたのは22時でした。 並んで出迎えてくれましたが、学生達は前日3月2日新幹線で宿舎に着いています。まだ疲れた様子は全然有りません。23時消灯ですので、私も風呂に入り直ぐ寝ました。
学生達は早朝5時半からランニング、正座などして鍛えます。私は朝食前の運動には合宿中は勘弁してもらっています。日常、小平道場に居ますと木曜日は朝5時~5時半までに起床、家族、指導部員の朝食を作ります。勿論洗濯もします。土曜日は6時20分迄朝食を準備し6時半か~7時半まで稽古です。土曜日朝稽古は15名~20名以上稽古参加者が有りますので終了後お茶を飲みながら会員との雑談を楽しみます。そして、希望者と一緒に書道を書き勉強します。その後2階朝食です。午後からの稽古も有ります。この様な日常ですので、学生の合宿では先輩として少しのんびりさせて貰いました。
午前の稽古は畳が固いが200畳、OBを含めて15名位での稽古ですので伸び伸び稽古出来ます。特に1、2年生の希望する技を行いました。4月入学で全員が合気道初めての生徒が1年近くで身体もたくましくなり多くの技を憶えてくれています。合気道は如何に咄嗟の時に体捌きを行い相手の攻撃から身体を守るかの稽古です。その人の体格、運動能力に合った動が出来るかの稽古です。理屈よりも数多く技を繰り返し稽古する事です。
学生合気道の稽古を見ていますと、1,2年生は常に上級生と稽古するような稽古法が主流です。私は学年同志、上級生同志と変化を持たせながら指導をしました。普段の学校の稽古でもその様にすべきと話すのですが先ず治りません。3年生以上に成ると常に下級生との稽古です。技の向上には上級生は考える余地があります。幹部は部全体の運営、対外的な活動等も多く有ります。稽古の時は稽古に全力を出せば、その姿を見せることで下級生は感動し全力で稽古してくらます。
合気道小林道場の道場稽古では、技ごとに相手を変えることをしています。何年修業しても修業年数に関係なくの稽古です。これが、合気道の稽古の良さです。大学合気道部の上級生の「細かい技の説明は稽古休むに似たり」が私の自論です。数多く技の稽古をし、身体で憶えて行くことです。学生達が今回の私の稽古で少しでも自覚してくれたらと思います。
学生の部活稽古は実質3年間です。卒業就職後でも時間が有れば合気道を続けてほしいです。今後も学生合気道部員として青春まっただ中なので希望を持って突き進んで下さい。学生時代は学ぶ事沢山有るでしょうが 私は君達の若さ、将来に対する夢、希望が持てる時代が羨ましいです。地に足を付けて歩み、夢を語り合って下さい。
話しは変わりますが、私は東洋大学合気道部の創立にも関与しました。明大合気道部創立に協力してくれました明大工学部故山田一郎教授が東洋大学にも関係がありました。山田一郎教授の口添えで西尾昭二師範と私が努力し合気道部を設立し初代主将に市村俊和氏がなりました。彼は卒業後スウェーデン、フインランドに合氣道を広めました。その後帰国しましたので、その関係で私がスウェーデン、フインランドに合氣道をを指導に行く様に成ったのです。
創成期に入部し卒業まで合気道を続けました三木孝男氏が小豆島出身で卒業後小豆島に帰り役所に勤務しました。年賀状の遣り取りはしていましたが、一度も逢った事有りませんでした。今回の合宿で小豆島に行きましたので電話し合う事が出来ました。50年振りかの再会でした。
三木氏は役所を定年退所後、父の後を継ぎ、国学院で1年間年勉強し神主の資格をとり、現在は小豆島の富岡八幡神社の宮司に成っていました。映画「寅さんの男はつらいよ」の撮影で神社の階段下で渥美清の寅さんが「ばなな」の叩く売りをした撮影を撮った名所です。
彼に土曜日の午後、車で寒霞渓や小豆島の名刹を案内して頂きました。お土産まで頂き有難う御座いました。
学生達は早朝5時半からランニング、正座などして鍛えます。私は朝食前の運動には合宿中は勘弁してもらっています。日常、小平道場に居ますと木曜日は朝5時~5時半までに起床、家族、指導部員の朝食を作ります。勿論洗濯もします。土曜日は6時20分迄朝食を準備し6時半か~7時半まで稽古です。土曜日朝稽古は15名~20名以上稽古参加者が有りますので終了後お茶を飲みながら会員との雑談を楽しみます。そして、希望者と一緒に書道を書き勉強します。その後2階朝食です。午後からの稽古も有ります。この様な日常ですので、学生の合宿では先輩として少しのんびりさせて貰いました。
午前の稽古は畳が固いが200畳、OBを含めて15名位での稽古ですので伸び伸び稽古出来ます。特に1、2年生の希望する技を行いました。4月入学で全員が合気道初めての生徒が1年近くで身体もたくましくなり多くの技を憶えてくれています。合気道は如何に咄嗟の時に体捌きを行い相手の攻撃から身体を守るかの稽古です。その人の体格、運動能力に合った動が出来るかの稽古です。理屈よりも数多く技を繰り返し稽古する事です。
学生合気道の稽古を見ていますと、1,2年生は常に上級生と稽古するような稽古法が主流です。私は学年同志、上級生同志と変化を持たせながら指導をしました。普段の学校の稽古でもその様にすべきと話すのですが先ず治りません。3年生以上に成ると常に下級生との稽古です。技の向上には上級生は考える余地があります。幹部は部全体の運営、対外的な活動等も多く有ります。稽古の時は稽古に全力を出せば、その姿を見せることで下級生は感動し全力で稽古してくらます。
合気道小林道場の道場稽古では、技ごとに相手を変えることをしています。何年修業しても修業年数に関係なくの稽古です。これが、合気道の稽古の良さです。大学合気道部の上級生の「細かい技の説明は稽古休むに似たり」が私の自論です。数多く技の稽古をし、身体で憶えて行くことです。学生達が今回の私の稽古で少しでも自覚してくれたらと思います。
学生の部活稽古は実質3年間です。卒業就職後でも時間が有れば合気道を続けてほしいです。今後も学生合気道部員として青春まっただ中なので希望を持って突き進んで下さい。学生時代は学ぶ事沢山有るでしょうが 私は君達の若さ、将来に対する夢、希望が持てる時代が羨ましいです。地に足を付けて歩み、夢を語り合って下さい。
話しは変わりますが、私は東洋大学合気道部の創立にも関与しました。明大合気道部創立に協力してくれました明大工学部故山田一郎教授が東洋大学にも関係がありました。山田一郎教授の口添えで西尾昭二師範と私が努力し合気道部を設立し初代主将に市村俊和氏がなりました。彼は卒業後スウェーデン、フインランドに合氣道を広めました。その後帰国しましたので、その関係で私がスウェーデン、フインランドに合氣道をを指導に行く様に成ったのです。
創成期に入部し卒業まで合気道を続けました三木孝男氏が小豆島出身で卒業後小豆島に帰り役所に勤務しました。年賀状の遣り取りはしていましたが、一度も逢った事有りませんでした。今回の合宿で小豆島に行きましたので電話し合う事が出来ました。50年振りかの再会でした。
三木氏は役所を定年退所後、父の後を継ぎ、国学院で1年間年勉強し神主の資格をとり、現在は小豆島の富岡八幡神社の宮司に成っていました。映画「寅さんの男はつらいよ」の撮影で神社の階段下で渥美清の寅さんが「ばなな」の叩く売りをした撮影を撮った名所です。
彼に土曜日の午後、車で寒霞渓や小豆島の名刹を案内して頂きました。お土産まで頂き有難う御座いました。
by shihan_aikido
| 2016-03-14 20:25