2016年 04月 14日
ストックホルム 弥栄(いやさか)道場講習会 |
ブルッセルで突然のテロで海外での私と弘明道場長の親子での初めての講習会が残念ながら中止です。私は成田の前泊のホテルで、弘明道場長はハンガリー、ブタベスト空港に行く途中で知らされました。 弘明道場長がブルッセル行きを中止し、帰国するまでの劇的な様子が小林道場活動報告に書いてあります。是非一読して下さい。

スウェーデン、ストックホルムの弥栄(いやさか)道場の講習会は平常通り行われますので、3月30日ストックホルム夜22時に到着しました。空港から中心街のホテルまで30分です。ウルバン師範の出向かいをうけましたが23時でした。そのまま寝ただけです。朝起きると外は薄暗くみぞれでした。桜花咲く東京から外は5度のストックホルムの真冬に来てしまいました。この喪失感は一人寂しくホテルで過ごした人でなくては分かりません。
4月1日、午前11時から稽古です。10時半ホテルから5分の道場の有る建物の入り口の暗証番号を押すがドアが開きません。去年と番号が違っていました。少し待っていると稽古人が来てくれました。道場内に入ると小林道場の内弟子経験も有り、数々の話題を残してくれたポーランド人、ボイテック氏が「ハイ、せんせい、げんきですか」と声を掛けてくれ、直ぐお茶を出してくれました。「花岡さんは元気ですか?よくおこられました、はやくチンしろ、チンしろ」と云っていました。少したってチンとは電子レンジの事を云っているのに気付きました。

イギリス、ウエールズのアニタさん、ノルウエーのモリコ氏、コペンハーゲンのモナさん、等々ヨーロッパ各国の小林道場傘下の会員、ロシアからもきていて講習会は盛りあがりました。スウェーデン生まれの日本人秀樹くん(17才)兄弟、もう一人の友達3人の仲間は秀樹が初段を受験するので毎回稽古の時は道場にきていて、私の稽古衣、袴の管理をしてくれ助かりました。夜の稽古が終わるとボイテックが「先生、ビール」と差し出してくれます。酒飲むときの気が利くのには感心します。ビールを持ちながら稽古後道場内のサウナに入ります。一緒に入った秀樹に大学は日本の大学に来ないかと聞きましたら、スウェーデンで弁護士に成りたいとハッキリした将来像を描いていました。サウナは女性会員も一緒ですが男女ともバスタオルは巻いています。安心して下さい。
土曜日の午後の審査は初段4名、3段2名(女子1名)で小林道場での審査と同じ様式です。一回2組の審査で時間は全部で1時間の演武でした。3段受験のモナさんは稽古始めたのが40年も前です。何年か日本の本部道場、小平道場にも稽古に来ていました。今はデンマーク、コペンハーゲンに住み、岩間系の道場で稽古しています。弥栄(いやさか)道場での弘明道場長、私の講習会には必ず来てくれています。
審査結果は普段の練習の成果で全員合格でした。この時に私と同年代の見学者が一人いました。モナさんのお父さんでした。彼は以前警察官で柔術の指導者でした。彼が合気道に関心を持ち、初めてスウェーデンに合氣道を普及した市村俊之師範を呼んだ事を話してくれました。市村師範は東洋大学合気部OBです。私は東洋大学合気道部の創立に関与し、合気道部結成後師範として長年指導しました。初代主将の市村俊之師範が卒業後何故スウェーデンに来たか彼の話で初めて知り驚きました。

1977年、夏に初めて合気道をドイツに普及した明大合気道部の後輩、浅井勝昭師範の招きで、私はジュッセルドルフでの講習会を開催しました。この事を知った市村師範が是非来てくださいとの招きでジュッセルドルフの講習会後スウェーデン、ストックホルムの講習会開催に繋がりました。その後、私が指導に行くと共に小林道場の指導員を定期的に派遣するようになりました。
現在ではストックホルムの弥栄(いやさか)道場はヨーロッパ各国に有る合気道小林道場の要の道場の役割を果しています。8月には2週間の住み込み内弟子稽古週間を設け若手の指導者養成にも力を入れてくれています。小林道場の会員の皆さん是非弥栄(いやさか)道場に行って下さい。来年夏の講習会は私が行きます。今からお金と時間をつくり是非一緒に行きましょう。

スウェーデン、ストックホルムの弥栄(いやさか)道場の講習会は平常通り行われますので、3月30日ストックホルム夜22時に到着しました。空港から中心街のホテルまで30分です。ウルバン師範の出向かいをうけましたが23時でした。そのまま寝ただけです。朝起きると外は薄暗くみぞれでした。桜花咲く東京から外は5度のストックホルムの真冬に来てしまいました。この喪失感は一人寂しくホテルで過ごした人でなくては分かりません。
4月1日、午前11時から稽古です。10時半ホテルから5分の道場の有る建物の入り口の暗証番号を押すがドアが開きません。去年と番号が違っていました。少し待っていると稽古人が来てくれました。道場内に入ると小林道場の内弟子経験も有り、数々の話題を残してくれたポーランド人、ボイテック氏が「ハイ、せんせい、げんきですか」と声を掛けてくれ、直ぐお茶を出してくれました。「花岡さんは元気ですか?よくおこられました、はやくチンしろ、チンしろ」と云っていました。少したってチンとは電子レンジの事を云っているのに気付きました。

イギリス、ウエールズのアニタさん、ノルウエーのモリコ氏、コペンハーゲンのモナさん、等々ヨーロッパ各国の小林道場傘下の会員、ロシアからもきていて講習会は盛りあがりました。スウェーデン生まれの日本人秀樹くん(17才)兄弟、もう一人の友達3人の仲間は秀樹が初段を受験するので毎回稽古の時は道場にきていて、私の稽古衣、袴の管理をしてくれ助かりました。夜の稽古が終わるとボイテックが「先生、ビール」と差し出してくれます。酒飲むときの気が利くのには感心します。ビールを持ちながら稽古後道場内のサウナに入ります。一緒に入った秀樹に大学は日本の大学に来ないかと聞きましたら、スウェーデンで弁護士に成りたいとハッキリした将来像を描いていました。サウナは女性会員も一緒ですが男女ともバスタオルは巻いています。安心して下さい。
土曜日の午後の審査は初段4名、3段2名(女子1名)で小林道場での審査と同じ様式です。一回2組の審査で時間は全部で1時間の演武でした。3段受験のモナさんは稽古始めたのが40年も前です。何年か日本の本部道場、小平道場にも稽古に来ていました。今はデンマーク、コペンハーゲンに住み、岩間系の道場で稽古しています。弥栄(いやさか)道場での弘明道場長、私の講習会には必ず来てくれています。
審査結果は普段の練習の成果で全員合格でした。この時に私と同年代の見学者が一人いました。モナさんのお父さんでした。彼は以前警察官で柔術の指導者でした。彼が合気道に関心を持ち、初めてスウェーデンに合氣道を普及した市村俊之師範を呼んだ事を話してくれました。市村師範は東洋大学合気部OBです。私は東洋大学合気道部の創立に関与し、合気道部結成後師範として長年指導しました。初代主将の市村俊之師範が卒業後何故スウェーデンに来たか彼の話で初めて知り驚きました。

1977年、夏に初めて合気道をドイツに普及した明大合気道部の後輩、浅井勝昭師範の招きで、私はジュッセルドルフでの講習会を開催しました。この事を知った市村師範が是非来てくださいとの招きでジュッセルドルフの講習会後スウェーデン、ストックホルムの講習会開催に繋がりました。その後、私が指導に行くと共に小林道場の指導員を定期的に派遣するようになりました。
現在ではストックホルムの弥栄(いやさか)道場はヨーロッパ各国に有る合気道小林道場の要の道場の役割を果しています。8月には2週間の住み込み内弟子稽古週間を設け若手の指導者養成にも力を入れてくれています。小林道場の会員の皆さん是非弥栄(いやさか)道場に行って下さい。来年夏の講習会は私が行きます。今からお金と時間をつくり是非一緒に行きましょう。
by shihan_aikido
| 2016-04-14 15:37