2016年 05月 26日
ハワイ ロバート・久保師範の訃報 |
ハワイは日系人の多い所です。日本が太平洋戦争に負けて、日系の2世、3世が自信を無くしているのを見て、一部の一世が合気道に注目、当時の本部道場師範部長、藤平光一師範をハワイに招聘しました。昭和28年(1953年)のことです。藤平師範はハワイで合気道を知らない多くの人に教える為に、私達が現在行っている合気体操、一教運動、二教運動、小手返し運動、入り身、転換そして回転運動等を考案普及に当たりました。

昭和30年頃、藤平師範がアメリカ本土の柔道大会に招かれて演武した時、司会者が八百長と考えたのか、柔道大会の1位~5位までの選手を藤平師範に一斉に掛からせました。藤平師範が全員を投げたのでアメリカで合気道の名前が一躍有名になりました。
私が入門した昭和30年(1955年)4月です。戦後10年罹災した人が一部に住んでいました。本部道場は木造で板塀は壊れて、畳は破けていました。その修復の為にハワイの会員は多額の寄付で修復してくれました。私達内弟子が道着をタワシで洗うのを見て、洗濯機を買って贈ってくれ涙が出る程嬉しかったのを憶えています。

私が初めてハワイで久保師範にお会いしたのは1975年夏の事でした。合気道小林道場の内弟子第一号鹿内一民師範をブラジル、リオデジャネイロに合気道指導の為、永住派遣するのに同行しました。その帰路私はニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロスそしてハワイ各地の道場を巡回指導して回りその時に久保師範と出会いました。
「是非ハワイに小林道場の会員を連れて稽古に来て下さい」との言葉に甘えて第一回ハワイ合宿を昭和58年(1983年)3月男女15名参加で開催されました。憧れのハワイです。ワイキキビーチの強い日差しで背中を受けた為、日焼けして稽古の時の受け身で強烈に背中が痛かった事を憶えています。オハフ島だけでも何か所も合気道の稽古場が有りました。土曜日の稽古は会員が分かれて色々の道場に別れて稽古に行きました。

私はワイキキ近くのYMCAの道場での稽古指導、会員は何か所かの道場に別れて稽古です。稽古終了後YMCAでの私達はコーラ一本飲んでホテルに帰りました。ワイキキから遠くなるほど稽古後食事会が有ったり、ビールが出たり皆さん楽しんできました。一番遠くの久保先生の道場、Kaiua Club通称「田舎道場」では会員家族の手造りの料理で歓迎され、お土産迄頂き23時頃帰って来ました。その事が有り久保先生の田舎道場と小林道場は親しく交流する様になりました。
久保師範は私より一歳年上です。誕生日月も私が9月20日、久保先生が一年先の9月22日です。兄弟の様な付き合いが長年続きました。私の還暦の赤チャンチャンコは久保師範が1年前に着た御下がりです。田舎道場50周年には私達は参加しました。小林道場50周年京都大会には久保師範は来てくださいました。

久保師範は2015年本部道場鏡開きで8段に昇段されました。此の年の小林道場新年会に元気で出席下さいました。帰国後体調を崩されました。そして2016年4月18日に鬼籍に入られました。葬儀は5月9日という知らせが届きました。私達夫妻は兄弟の様に親しくして下さった久保師範の葬儀の為にハワイまで行くことを決心しました。
ハワイの 葬儀会場で5月9日18時から執り行われると知らされました。ホテルには15時半に迎えに行きますと伝えられました。ホテルから葬儀会場まで15分です。会場には受付ができていて、受付から入口まで久保師範の幼い頃、高校生頃、軍隊時代、合気道稽古の写真から子供達家族の写真がパネルに貼られ飾られていました。

葬儀は仏式で行われ夫人のエバさんは白い洋服を着ておられました。16時になると正面の祭壇に向かい右側に久保師範の親族、通路を挟んで左側にエバ夫人の親族と私達夫妻が並びました。そして、葬儀に来られた方々が久保先生の親族、エバ夫人の親族に対して話し変え握手をしたり、ハグしたりします。それが18時の葬儀が始まるまで続きました。私達も親族席ですので立ったまま握手、ハグされます。合気道関係者も私達に挨拶に来られます。日本の葬儀と違いに戸惑うばかりです。
18時になると司会のトム師範(今年7段に昇段されて小林道場の新年会に来られました)がお坊さんの入場知らされ入場、読経が始まり、終わるとお坊さんが英語での10分位話されました。そして親族の焼香、参列者代表が焼香され、それに合わせて全員で一斉に礼をして焼香は終了です。司会のトム師範が1時間に渡り久保師範の幼少から経歴そしてハワイでは初めて合気道8段位を取得されたと紹介しました。植芝守央道主、スウェーデン、ウルバン師範等の弔辞を朗読しました。

儀式終了後ブッフェスタイルの食事がでました。日本の様にビール、酒類は一切出ません。ハワイに移住した府中道場のクリストハー4段(尺八奏者)が参列してく色々教えてくれましたので助かりました。合気道会員が私にビール飲みに行こうと声を掛けてくれました。葬儀会場を後にしてヨットハーバーの傍バーに行きました。そこにはアメリカ本土から来られた久保先生の弟子達や田舎道場の会員が20名位来ていてお酒を飲みながら久保師範の思いで話をしまた。21時半にホテルに帰り荷物を整理しました。
5月7日夜成田から出発9日の葬儀に出て10日9時の飛行機で11日昼成田帰国の強硬スケジュールでした。
ロバート、久保師範のご冥福をお祈り申し上げます。













昭和30年頃、藤平師範がアメリカ本土の柔道大会に招かれて演武した時、司会者が八百長と考えたのか、柔道大会の1位~5位までの選手を藤平師範に一斉に掛からせました。藤平師範が全員を投げたのでアメリカで合気道の名前が一躍有名になりました。
私が入門した昭和30年(1955年)4月です。戦後10年罹災した人が一部に住んでいました。本部道場は木造で板塀は壊れて、畳は破けていました。その修復の為にハワイの会員は多額の寄付で修復してくれました。私達内弟子が道着をタワシで洗うのを見て、洗濯機を買って贈ってくれ涙が出る程嬉しかったのを憶えています。

私が初めてハワイで久保師範にお会いしたのは1975年夏の事でした。合気道小林道場の内弟子第一号鹿内一民師範をブラジル、リオデジャネイロに合気道指導の為、永住派遣するのに同行しました。その帰路私はニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロスそしてハワイ各地の道場を巡回指導して回りその時に久保師範と出会いました。
「是非ハワイに小林道場の会員を連れて稽古に来て下さい」との言葉に甘えて第一回ハワイ合宿を昭和58年(1983年)3月男女15名参加で開催されました。憧れのハワイです。ワイキキビーチの強い日差しで背中を受けた為、日焼けして稽古の時の受け身で強烈に背中が痛かった事を憶えています。オハフ島だけでも何か所も合気道の稽古場が有りました。土曜日の稽古は会員が分かれて色々の道場に別れて稽古に行きました。

私はワイキキ近くのYMCAの道場での稽古指導、会員は何か所かの道場に別れて稽古です。稽古終了後YMCAでの私達はコーラ一本飲んでホテルに帰りました。ワイキキから遠くなるほど稽古後食事会が有ったり、ビールが出たり皆さん楽しんできました。一番遠くの久保先生の道場、Kaiua Club通称「田舎道場」では会員家族の手造りの料理で歓迎され、お土産迄頂き23時頃帰って来ました。その事が有り久保先生の田舎道場と小林道場は親しく交流する様になりました。
久保師範は私より一歳年上です。誕生日月も私が9月20日、久保先生が一年先の9月22日です。兄弟の様な付き合いが長年続きました。私の還暦の赤チャンチャンコは久保師範が1年前に着た御下がりです。田舎道場50周年には私達は参加しました。小林道場50周年京都大会には久保師範は来てくださいました。

久保師範は2015年本部道場鏡開きで8段に昇段されました。此の年の小林道場新年会に元気で出席下さいました。帰国後体調を崩されました。そして2016年4月18日に鬼籍に入られました。葬儀は5月9日という知らせが届きました。私達夫妻は兄弟の様に親しくして下さった久保師範の葬儀の為にハワイまで行くことを決心しました。
ハワイの 葬儀会場で5月9日18時から執り行われると知らされました。ホテルには15時半に迎えに行きますと伝えられました。ホテルから葬儀会場まで15分です。会場には受付ができていて、受付から入口まで久保師範の幼い頃、高校生頃、軍隊時代、合気道稽古の写真から子供達家族の写真がパネルに貼られ飾られていました。

葬儀は仏式で行われ夫人のエバさんは白い洋服を着ておられました。16時になると正面の祭壇に向かい右側に久保師範の親族、通路を挟んで左側にエバ夫人の親族と私達夫妻が並びました。そして、葬儀に来られた方々が久保先生の親族、エバ夫人の親族に対して話し変え握手をしたり、ハグしたりします。それが18時の葬儀が始まるまで続きました。私達も親族席ですので立ったまま握手、ハグされます。合気道関係者も私達に挨拶に来られます。日本の葬儀と違いに戸惑うばかりです。
18時になると司会のトム師範(今年7段に昇段されて小林道場の新年会に来られました)がお坊さんの入場知らされ入場、読経が始まり、終わるとお坊さんが英語での10分位話されました。そして親族の焼香、参列者代表が焼香され、それに合わせて全員で一斉に礼をして焼香は終了です。司会のトム師範が1時間に渡り久保師範の幼少から経歴そしてハワイでは初めて合気道8段位を取得されたと紹介しました。植芝守央道主、スウェーデン、ウルバン師範等の弔辞を朗読しました。

儀式終了後ブッフェスタイルの食事がでました。日本の様にビール、酒類は一切出ません。ハワイに移住した府中道場のクリストハー4段(尺八奏者)が参列してく色々教えてくれましたので助かりました。合気道会員が私にビール飲みに行こうと声を掛けてくれました。葬儀会場を後にしてヨットハーバーの傍バーに行きました。そこにはアメリカ本土から来られた久保先生の弟子達や田舎道場の会員が20名位来ていてお酒を飲みながら久保師範の思いで話をしまた。21時半にホテルに帰り荷物を整理しました。
5月7日夜成田から出発9日の葬儀に出て10日9時の飛行機で11日昼成田帰国の強硬スケジュールでした。
ロバート、久保師範のご冥福をお祈り申し上げます。












by shihan_aikido
| 2016-05-26 15:56