明治大学体育会合気道部創立60周年祝賀会 |
2016年6月25日(土)明治大学リバテータワー23階パーティー会場で体育会合気道部創立60周年祝賀会が開催されました。 出席者は明治大学関係者、明治大学学長、体育会会長 土屋恵一郎先生、理事長、柳谷 孝先生以下60名、合気道関係者は合気道道主植芝守先生以下20名 体育会合気道部OB,OG現役180名で盛大に祝賀会が行われました。合計280名です。

昭和30年(1955年)明大入学と同時に深くは考えずに合気道本部道場に4月末から入門稽古はじめました。一緒に入門した友達は3日で辞めました。戦前は軍関係とか、武道の有段者で保証人がないと稽古出来ませんでした。私が入門したのは合気道が一般公開される前でした。1955年9月に日本橋高島屋の屋上で初めて合気道が一般公開されました。
稽古に通う内に3年生の時に植芝吉祥丸道場長から明大に合気道部を創る様に云われました。本部で明大生を探すと、初めて講道館の加納治五郎師範から合気道を習得する様に派遣され、戦後1953年にフランスに合氣道を広めた望月稔師範の甥深津昌雄1年生、合気道創始者植芝盛平翁先生の故郷に近い紀州勝浦で稽古していた佐居守2年生、他3名です。都合がいい事に3年前まで明大工学部教授をされて居た山田市郎教授が稽古に来ておられ、体育課に一に行って下さりました。その時に養神館で稽古していた宮尾賢照3年と知り合いました。山田市郎教授のお蔭で体育課が直ぐに合気道同好会を許可してくれました。以上の人の出会いを見てみると、不思議と明大合気道部ができる人材が集まりって来ています。
学内道場は使用できず、飯田橋の駅から5分30畳の柔道場を借りての出発です。そして、各々が自分の役割を自覚し一致団結して合気道部を盛り立ててきました。100名以上の新入部員の時代を有りました。新入生で浅井勝昭2段が入部した時から明大合気道部は大学合気道部の中心的な合気道部になり彼は卒業後ドイツに合氣道を始めて広めて呉れました。明大合気道部は順調に活動し、OB,OGを増やしていきました。故郷に帰り、又転勤で移動した場所で合気道を続けたり、自分で稽古場を確保し合気道の発展に協力しました。

学生運動を機会に校内で稽古出来ない学生達を見て、私が学生達の為に合気道道場を都下小平市の自宅に開設、学生達を集めて稽古始めました。家内保子の懇親的な世話で学生達は学生運動で中断する事無く稽古出来した。学生達の食事、酒代を得るために門弟を募集しました。内弟子として小林道場に住み込んだOBの現五十嵐和男監督、ブラジルで指導している鹿内一民師範の協力で小林道場は関東一円、合気道の普及に大きく前進しました。
各代の合気道部OB,OGの一部の人達は合気道を続け各地で指導の中心に成る人も多く出ております。ドイツ、ブラジルで合氣道を困難な中普及する姿をみて、私は積極的に海外での合気道普及に努力してきました。そして3年に1度、合気道部員を海外各国の合気道連盟、道場との合同稽古合宿を企画確率し現在も続けています。
現在では私は合気道部を指導する機会は殆ど有りませんが、学生たちが小林道場にきて大学合気道の稽古で得られない何かを掴んでほしいと思います。2012年度、合気道部OBのトルコ人、レセップ氏は卒業後3年間の小林道場内弟子生活を卒業、現在は東京都国立市の小、中学校の英語教師に勤めながら4段習得を目指しています。習得後はトルコに帰り「小林道場の一人でも多くの人に合気道を」に共感、合気道発展に努力すると云っています。本当に頼もしく思います。
明大体育会合気道部が60周年を起点として、今後もますます発展する事を熱望します。
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