2006年 06月 28日
台湾 龍山合気会 呉金龍先生を偲ぶ |
(写真:道場長と呉金龍先生)
合気道小林道場と龍山合気会との姉妹道場締結25周年記念祝賀会が今年の5月20日に台北市の麒麟ホテルで開催されました。私と荒井俊幸群馬県合気道連盟会長、五十嵐和男師範、増田学師範以下20名の合気道小林道場の各道場から集まった有志で祝賀会に参加するため台北に行きました。
私達の宿泊した麒麟ホテルの宴会場で姉妹道場締結25周年記念祝賀会が開催され呉金龍先生以下龍山合気会の会員100名が出席され盛大に開催されました。呉先生も車椅子でしたが元気で祝辞を述べられ歌や踊りで楽しい3時間を過ごされました。
翌日は同じ場所で合気道小林道場の会員が呉先生をご招待し答礼の会がもたれました。呉先生も多少疲れ気味でしたが、出席して下さいました。合気道小林道場の会員と昔話に興じて機嫌良く帰宅されました。日曜日の台北市合気道演武大会前に私、五十嵐師範等幹事でご挨拶に自宅に伺いました。来年の事も話し合い再会を楽しみにお別れし我々は演武大会に向かいました。演武会は盛大で演武参加者600名でした。
月曜の朝ホテルに呉金龍先生危篤の電話が突然ありました。呉先生の自宅に私が駆けつけた時にはもう亡くなられておりました。私もあまりの突然の事で声もでませんでした。病名は多分動脈瘤破裂ではないかと思われます。
奥様の話によりますと以前からお腹にしこりが有り、医者に行くようにと何回も注意したそうです。しかし姉妹道場締結25周年記念祝賀会の準備で忙しく終了後医者に行く予定になっていたとの事です。
合気道小林道場と龍山合気会姉妹道場締結25周年記念祝賀会の為自分の命をも賭けて下さった情熱にただ、ただ頭がさがります。合気道を世に広める為に人生の後半の全てを注がれた呉金龍先生に心より感謝します。惜しい方を亡くしました。
私が初めて台北に来た時、台湾の合気道はまだ発展途上でした。道場はなく、材木置き場で稽古していたのを記憶しています。その時から、呉金龍先生は植芝盛平翁先生が創始した日本の和の武道合気道に惚れ込み、普及発展と指導に熱心に取り組んでおられました。台湾は日本に近い国なので数多くの日本人師範が指導に行かれて居ました。私と呉先生は心の通じ合う物を感じ、毎年交流してお互いに技の向上、会員間の親睦、交流を図てきました。 (写真:材木置き場での稽古)
1981年には姉妹道場を締結し一段と関係が深くなりました。2人で台湾の合気道の普及を誓い合いました。呉先生は、日本の統治時代に教育を受けましたので日本語は私達と同じように話します。言いだしたら後に引かず身体は小さいですが頑固一徹、古武士の風格を感じさせます。合気道に掛ける情熱は誰にもひけをとりません。私財を投じ、合気道の普及に全力を傾けられました。
韓国の合気道発展にも心掛けて下さり合気道小林道場20周年の時、現大韓合気道連盟のユン師範を紹介して頂きました。合気道小林道場と龍山合気会とで韓国の合気道発展に協力し合いました。
呉金龍先生のお骨折り、力添えが無かったら合気道小林道場、台湾そして韓国の合気道は今日ここまで発展しなかったと思います。呉先生の生き様を見聞きし、私も本当に多くの事を学ばせていただきました。(写真:左から二人目:呉金龍先生、右から四人目:李登輝前台湾総統、その左隣:道場長)
残された我々が呉先生の意志を引き継ぎ各国での合気道発展に一層の努力をしていく所存です。
呉金龍先生安らかにお眠り下さい。
by shihan_aikido
| 2006-06-28 22:52