合気道審査制度 |
私は合気道が世間に一般公開される前に入門修行しましたので、合気道において審査受験経験が有りません。受験者の気持ち理解できず申し訳ございません。審査制度の思い出を書いてみました。
合気道の昇級、昇段は現在では推薦、審査の2種類が有ります。例外は有りますが推薦は4段以上が主です。今は世界中の各国合気道家は稽古始めると各国組織、所属団体そして各道場での別は有りますが審査を受けなければ昇級、昇段は出来ません。その審査に向かって稽古を熱心にしている人達が多いいです。
私は1955年4月末に本部道場に入門しました。稽古時間も朝、夜の稽古時間しか無く毎回10名前後の稽古人数でした。61年も前なので、級が有ったが記憶は定かではありませんが、段は新年の「鏡開き」の日に道場の壁に初段、2段・・・と張り出され昇段を知りました。審査制度は有りませんでした。私は 現在の8段位になるまで審査の経験は一切ありません。
私は内弟子として植芝盛平翁先生のお世話をさせて頂いていました。なかなか褒めては下さらないのですが、翁先生の機嫌がよい時、気に入ったお世話をすると「お前に6段を与える、7段を与える」と口癖の様に云われます。翁先生のお供で地方の道場に行きます。その時に翁先生をお世話した役員や弟子に「貴方は6段だ、7段だ、8段・9段」時には「10段だ」と何気なく言われます。殆どの方は又翁先生の冗談が始まったと受け流します。たまにそれを真に受ける方がいます。上京した折、当時の植芝吉祥丸道場長に昇段申請をします。当然、植芝吉祥丸道場長はお断りになられます。拒否された方は翁先生に訴えます。旧本部道場事務所で翁先生が植芝吉祥丸道場長に「儂が許したのに何故昇段させない」と親子喧嘩を見た事が何度も有ります。我々内弟子達は遠まきで見ているだけでした。
審査制度が始まったのは1957年頃だと思います。稽古場や大学合気道部も増えてきましたので、突然道場の壁に「昇級審査の技と稽古日数、期間」が張り出されました。本部道場の昇級申請者は内弟子相手に審査技を行うのです。一度に何人も相手をしますので疲れてきます。内弟子達は気に入らない相手だと技を掛けにくくしたり、何気なく相手と一緒に倒したりしました。その後、年配の受験者は審査日が近くなると我々内弟子達を食事に誘って御馳走してくれる様になりました。当時、もの不足の時代です。内弟子達は食物に不自由していました。我々内弟子達は審査日が近つくのが楽しみになりました。そんな楽しみも、受験者が急激に増えた為に現在の様な受験者同志の組み合わせに成りました。
多田宏師範は別格として昭和30年代初めに入門し植芝吉祥丸道場長の元で合気道発展に協力した内弟子達はニュヨーク在住の山田嘉満光師範、高崎の荒井俊幸師範そして私、小林保雄に成りました。荒井師範と私は今年傘壽を迎えました。山田師範は来年に傘壽を迎えられます。今後もお互い健康、怪我に注意して元気で稽古に励んで行きます。宜しくお願い致します。

写真:本部道場の壁に張り出された審査合格者の名前

写真:壁の拡大した所