2016年 12月 07日
アメリカ講習会1 シカゴ編 |
此の度、AAA(Aikido Association of America)豊田竜王道場長の招待により11月1日~15日迄アメリカのシカゴ、サンディエゴに行ってきました。そしてシカゴカブスの108年ぶりの優勝、サンディエゴではトランプ大統領候補の当選の二つの歴史的瞬間に立ち会えた事は良い思い出になりました。
先ずは11月3日の「シカゴ日米協会の為の講演会」です。合気道を稽古している人達の他に日本の文化、習慣に興味を持っているアメリカ人達が対象です。合気道の稽古指導でも技の説明をもしないで指導する師範として有名な私です。何を話すか悩みました。ベストセラー作家、百田尚樹著「雑談力」に書いたあった話は面白さの7割以上は内容ではなく「話し方」です、を信じて何か良い方法はないか考えました。突然閃きました。傘寿山中湖合宿で参加者皆さんが贈ってくれた黄色いちゃんちゃんこと帽子です。
この服装を役立と考えました。70~80人の男女が椅子に座っていました。合気道を稽古している人、アメリカ人で日本文化に興味ある人、日系人等々です。15年振りのシカゴです。以前稽古で指導した人達、「先生、私は35年振りです、コロラド合宿の時、弘明道場長がまだ留学生時代で一緒にお会いしました」という日本人もいました。年配の袴を着けた人達は先生久しぶりと声を掛けてきます。その中で所沢道場の山中可弥さんが「総師範の追っかけでシカゴにきました」と座っているのには驚きました。
笠原指導部員の通訳で始まりました。場所がAAAの本部道場でしたので演武はしませんでしたが持参の写真を見せながらの講演をしました。
下記のような話をしました。興味ある人は読んでください。
「シカゴ日米協会の為の講演会」原稿はこちら
約1時間話した時点で、稽古衣すがたの黒人の青年が手を挙げて質問してきました。それを機会に質疑応答になりました。植芝盛平翁先生、私が修業時代の稽古の様子とか、私が何故合気道を始めたかなどです。合気道小林道場の関係者は皆さん良く知っている事ですので此処には書きません。講演会も自画自賛ですが成功裏に終わったと思います。直ぐに稽古着に着替えて1時間の稽古です。後首締め技を行いました。普段あまりこの技は稽古して無いようでした。皆さん戸惑いながらも興味深く稽古してくれました。稽古後は道場でのビールを飲みながらビザパーテイでした。
15年振りのAAAシカゴ訪問なので豊田道場長も私を厚くもてなしてくれました。
1日 夕食は高層ビルの95階のレストランでの海鮮料理、
2日 シカゴピザ店でシカゴカブスの優勝戦を地元の熱狂的なファンと共にシカゴビールを飲み大騒ぎをしながら、シカゴ独特の厚いピザを食べました。
3日 シカゴ日米協会のための講演、稽古後、道場でパーテイ
4日 午前、シカゴで一番高いビルのWillis Tower観光 午後、イリノイ大学シカゴ校 体育館での3時間講習会
22時 夕食 Josés Seafood,Prime Steak &Stone Crab
5日 イリノイシカゴ大学 午前3時間、午後3時間講習会 夕食後 稽古参加者とのパーテイ
6日 イリノイシカゴ大学 午前3時間 講習会 夕食 シカゴステーキ
講習会は毎回100名前後の人達が参加してくれました。勿論AAAの各地の指導者も参加してくれました。2回目からはAAAの指導者の希望により、有段者は変化応用技を行い、級は笠原指導員が指導しました。稽古時間が3時間と長いので体術のみの稽古では動きが散漫になります。休憩を入れながら杖を行いました。変化応用技には驚きと興味を示してくれました。
7日 夕方 日本シカゴ総領事館 岩藤俊幸領事主催の私の為の夕食会
日本シカゴ領事館の岩藤俊幸総領事が私の為に食事会を開いて下さったか疑問に思っていました。シカゴ郊外高級住宅街に有る領事館にて、専属の日本料理人が懐石料理をご馳走になりながら話を伺って不思議と合気道小林道場と岩藤総領事との縁が分かりました。
私との関係はフインランド合気会40周年の演武会、祝賀会に大使として赴任、演武会、祝賀会で私と同席していました。結構お酒が好きな方で、宴会の中頃突然、私と岩藤大使にスピーチの指名が有りました。酔っていたので往生したと話していました。今回の「日米シカゴ協会」の会合で合気道師範小林保雄のシカゴ訪問を知りました。この事で私の事を記憶されていて下さいました。11月7日にシカゴ郊外の高級住宅街の中にある豪華な総領事公邸に個人的に招いて下さり、専属料理人が創る懐石料理フルコースを頂きました。岩藤総領事、公邸内部、懐石料理等は写真で見てください。
岩藤総領事と弘明道場長の関係は食事中の会話から偶然分かりました。
話は遡りますが、先ずは中国の天安門事件が1989年6月4日に起こりました。民主化を求めて天安広場に集また学生、市民に軍が発砲し流血事件が起こりました。そしてべルリンの壁が1989年11月9日に崩壊です。世界中が大混乱した大事件です。その時に岩藤氏は日本国際機構(JICA)に勤務していました。天安門事件でJICAは中国えの経済援助を中止し、そしてその援助金で東欧に日本語教師、柔道、合気道の5名調査員を派遣する事を決めました。
しかし、混乱している東欧に行く希望者が無くて困っていたのです。たまたま弘明道場長がJICAの事務所に訪ねて行くと「是非行ってくれ」と航空券、パスポート、多額の現金を渡されました。この派遣に関する仕事をしていたのが岩藤氏でした。説得に負けて弘明道場長は会社を辞めて2月に厳寒のポーランドに旅立っていきました。私が夏に北欧に指導に行きましたのでポーランドのワルシャワまで足を延ばしました。空港には運転手付きの白のベンツで弘明道場長は空港に迎えに来ました。羽振りがよかったのはこの様な裏話があったのです。
そしてこの時、空港に3名のハンガリー人の青年が「合気道小林先生」という看板を持って立っていました。私が話しかけると「合気道を教えて下さい。先生に会いたくてブタペストから列車で8時間かけて来て先生を待っていました」と答えました。私が「教えるのは構わないが指導料は出せるのか?」聞きました。彼らは「お金は有りません。本当の合気道を習いたいのです」と真剣な顔をして答えました。
私は彼らの真摯な態度と合気道に対する情熱を感じ航空券代、指導料なしで指導員を派遣し続けました。現在はハンガリー全土に合気道の道場が出来ています。空港に立っていた青年たちはハンガリー合気道小林道場協会を設立し感謝の意思を示しています。年2,3回派遣する合気道小林道場の指導部員の講習会には300名以上が集まります。そして昨年、20周年を迎えました。その祝典でハンガリー国防大臣から私は合気道を広めた功績により「ハンガリー国家功労章」を頂く名誉を受けました。
以上の様に一つの事から次、次と派生して合気道が広まると共に、合気道小林道場のモットー「一人でも多くの人に合気道を」が実践されています。
サンディエゴ講習会につづく
先ずは11月3日の「シカゴ日米協会の為の講演会」です。合気道を稽古している人達の他に日本の文化、習慣に興味を持っているアメリカ人達が対象です。合気道の稽古指導でも技の説明をもしないで指導する師範として有名な私です。何を話すか悩みました。ベストセラー作家、百田尚樹著「雑談力」に書いたあった話は面白さの7割以上は内容ではなく「話し方」です、を信じて何か良い方法はないか考えました。突然閃きました。傘寿山中湖合宿で参加者皆さんが贈ってくれた黄色いちゃんちゃんこと帽子です。
この服装を役立と考えました。70~80人の男女が椅子に座っていました。合気道を稽古している人、アメリカ人で日本文化に興味ある人、日系人等々です。15年振りのシカゴです。以前稽古で指導した人達、「先生、私は35年振りです、コロラド合宿の時、弘明道場長がまだ留学生時代で一緒にお会いしました」という日本人もいました。年配の袴を着けた人達は先生久しぶりと声を掛けてきます。その中で所沢道場の山中可弥さんが「総師範の追っかけでシカゴにきました」と座っているのには驚きました。
笠原指導部員の通訳で始まりました。場所がAAAの本部道場でしたので演武はしませんでしたが持参の写真を見せながらの講演をしました。
下記のような話をしました。興味ある人は読んでください。
「シカゴ日米協会の為の講演会」原稿はこちら
約1時間話した時点で、稽古衣すがたの黒人の青年が手を挙げて質問してきました。それを機会に質疑応答になりました。植芝盛平翁先生、私が修業時代の稽古の様子とか、私が何故合気道を始めたかなどです。合気道小林道場の関係者は皆さん良く知っている事ですので此処には書きません。講演会も自画自賛ですが成功裏に終わったと思います。直ぐに稽古着に着替えて1時間の稽古です。後首締め技を行いました。普段あまりこの技は稽古して無いようでした。皆さん戸惑いながらも興味深く稽古してくれました。稽古後は道場でのビールを飲みながらビザパーテイでした。
15年振りのAAAシカゴ訪問なので豊田道場長も私を厚くもてなしてくれました。
1日 夕食は高層ビルの95階のレストランでの海鮮料理、
2日 シカゴピザ店でシカゴカブスの優勝戦を地元の熱狂的なファンと共にシカゴビールを飲み大騒ぎをしながら、シカゴ独特の厚いピザを食べました。
3日 シカゴ日米協会のための講演、稽古後、道場でパーテイ
4日 午前、シカゴで一番高いビルのWillis Tower観光 午後、イリノイ大学シカゴ校 体育館での3時間講習会
22時 夕食 Josés Seafood,Prime Steak &Stone Crab
5日 イリノイシカゴ大学 午前3時間、午後3時間講習会 夕食後 稽古参加者とのパーテイ
6日 イリノイシカゴ大学 午前3時間 講習会 夕食 シカゴステーキ
講習会は毎回100名前後の人達が参加してくれました。勿論AAAの各地の指導者も参加してくれました。2回目からはAAAの指導者の希望により、有段者は変化応用技を行い、級は笠原指導員が指導しました。稽古時間が3時間と長いので体術のみの稽古では動きが散漫になります。休憩を入れながら杖を行いました。変化応用技には驚きと興味を示してくれました。
7日 夕方 日本シカゴ総領事館 岩藤俊幸領事主催の私の為の夕食会
日本シカゴ領事館の岩藤俊幸総領事が私の為に食事会を開いて下さったか疑問に思っていました。シカゴ郊外高級住宅街に有る領事館にて、専属の日本料理人が懐石料理をご馳走になりながら話を伺って不思議と合気道小林道場と岩藤総領事との縁が分かりました。
私との関係はフインランド合気会40周年の演武会、祝賀会に大使として赴任、演武会、祝賀会で私と同席していました。結構お酒が好きな方で、宴会の中頃突然、私と岩藤大使にスピーチの指名が有りました。酔っていたので往生したと話していました。今回の「日米シカゴ協会」の会合で合気道師範小林保雄のシカゴ訪問を知りました。この事で私の事を記憶されていて下さいました。11月7日にシカゴ郊外の高級住宅街の中にある豪華な総領事公邸に個人的に招いて下さり、専属料理人が創る懐石料理フルコースを頂きました。岩藤総領事、公邸内部、懐石料理等は写真で見てください。
岩藤総領事と弘明道場長の関係は食事中の会話から偶然分かりました。
話は遡りますが、先ずは中国の天安門事件が1989年6月4日に起こりました。民主化を求めて天安広場に集また学生、市民に軍が発砲し流血事件が起こりました。そしてべルリンの壁が1989年11月9日に崩壊です。世界中が大混乱した大事件です。その時に岩藤氏は日本国際機構(JICA)に勤務していました。天安門事件でJICAは中国えの経済援助を中止し、そしてその援助金で東欧に日本語教師、柔道、合気道の5名調査員を派遣する事を決めました。
しかし、混乱している東欧に行く希望者が無くて困っていたのです。たまたま弘明道場長がJICAの事務所に訪ねて行くと「是非行ってくれ」と航空券、パスポート、多額の現金を渡されました。この派遣に関する仕事をしていたのが岩藤氏でした。説得に負けて弘明道場長は会社を辞めて2月に厳寒のポーランドに旅立っていきました。私が夏に北欧に指導に行きましたのでポーランドのワルシャワまで足を延ばしました。空港には運転手付きの白のベンツで弘明道場長は空港に迎えに来ました。羽振りがよかったのはこの様な裏話があったのです。
そしてこの時、空港に3名のハンガリー人の青年が「合気道小林先生」という看板を持って立っていました。私が話しかけると「合気道を教えて下さい。先生に会いたくてブタペストから列車で8時間かけて来て先生を待っていました」と答えました。私が「教えるのは構わないが指導料は出せるのか?」聞きました。彼らは「お金は有りません。本当の合気道を習いたいのです」と真剣な顔をして答えました。
私は彼らの真摯な態度と合気道に対する情熱を感じ航空券代、指導料なしで指導員を派遣し続けました。現在はハンガリー全土に合気道の道場が出来ています。空港に立っていた青年たちはハンガリー合気道小林道場協会を設立し感謝の意思を示しています。年2,3回派遣する合気道小林道場の指導部員の講習会には300名以上が集まります。そして昨年、20周年を迎えました。その祝典でハンガリー国防大臣から私は合気道を広めた功績により「ハンガリー国家功労章」を頂く名誉を受けました。
以上の様に一つの事から次、次と派生して合気道が広まると共に、合気道小林道場のモットー「一人でも多くの人に合気道を」が実践されています。
サンディエゴ講習会につづく
by shihan_aikido
| 2016-12-07 21:48