2019年 09月 06日
高野山とホテル浦島宿泊旅行 その1 |
「秘境3絶景と熊野三山 観光列車「天空」と案内人とめぐる高野山3日」というJTBのツアーを見つけて行ってきました。ホテル浦島と高野山宿坊内に宿泊に惹かれたのです。
昨年(2018年)9月に明治大学合気道部を私と一緒に創設した佐居守氏が亡なったと家族から連絡が有りました。彼の遺言で葬式、香典、墓無用との事で焼香にも行けませんでした。考えて見れば彼が居なければ合気道の稽古はしていましたが、明治大学体育会合気道部を結成しなかったかも知れません。そして、現在世界40ヵ国と交流の有る合気道小林道場の存在も無かったと思います。
私は昭和30年(1955年)4月に明治大学に入学と同時に合気道本部道場に入門し、合気道の稽古を始めました。1年後、本部道場にプロレスラーの様な体格をしていて、物凄い力の強い明大生1年生、佐居守君が入門してきました。同窓という事で直ぐ友達になりました。彼の実家は和歌山紀州勝浦出身で、家はマグロ船の網元です。和歌山新宮に合気道の道場が有り、そこで高校時代から稽古していたのです。(時代が少しずれますが、バーバラ師範が来日し始めて合気道を住み込み修行で稽古していた道場です。)
私は毎日の様に、本部道場に稽古に行っていましたので、自由稽古の時に佐居君と稽古しました。諸手取呼吸法の時など強い力で握られると、握られた私の指が自然に「ちぢむ」くらいの力です。一寸と頑張られると技は掛かりません。
しかし、毎日、毎日稽古していると、慣れてきて相手の弱点が分かるようになってきました。力の強い相手に対する対処法が身に付いてきたのです。また当時から私はタフで疲労回復が人より早かったのです。受け身を素早く取り、相手に息つく暇なく受け身を取らせるのです。相手のスタミナがきれ、息が上がって来ます。「小林、お前と稽古すると疲れる」と言わすのが快感でした。 このスタミナの素は毎日の皇居の回りを走ったからです。
私の実家は九段の坂を登り切った角から2軒目です。今では皇居の回りを走る人達は沢山いますが、昭和30年頃は誰も居ません。早朝、自宅から皇居一周4キロを走り、本部道場の朝6時半からの稽古に行きました。当時は東京中に都電が走っていて、自宅前から12番に乗ると「新宿歌舞伎町」が終点です。そこで、11番に乗り換え「抜け弁天前」で降りると本部道場は直ぐです。この朝稽古に通っていたのが私の人生を変えてしまったのです。
次回に続く.......
by shihan_aikido
| 2019-09-06 09:59