2019年 11月 23日
ベルリンの壁崩壊30年 |
ドイツの首都ベルリンは1961年から1986年迄の冷戦時代に東西に分断する壁が有り、今年の11月10日にベルリンの壁崩壊30年の記念式典が行われたとTVで報道していました。 私はベルリンの壁が有った時の1977年夏に合気道指導の為にベルリンを訪問しベルリンの壁を見て、触った経験が有ります。
明治大学合気道部の後輩、浅井勝昭師範昭和38年(1936年)大学卒業と同時に、時の本部道場長植芝吉祥丸先生の要請で合気道指導の為にドイツに初めて派遣されました。
当時のドイツ武道界は柔道連盟が強力な権限を持っていて、柔道場を使用して合気道の稽古をしようとすると、合気道は柔道連盟の傘下に入らなければ稽古させないという通達が柔道連盟から出ました。浅井師範は合気道と柔道は違うものだという強力な信念から、柔道連盟の傘下を拒否しました。ドイツ全土の柔道の道場使用が出来ず稽古場確保に苦慮したそうです。
1年、2年と困窮した生活の中、稽古場確保に奔走しました。少しづつ理解者が出てきて、私が1977年夏に訪問した時にはドイツ全土に立派な合気道組織が確立されて居ました。浅井師範の努力、苦労に頭が下がりました。
私のドイツ滞在中ベルリンの道場からも是非ベルリンに指導に来て下さいと要望が有りました。私も東西分離のベルリンを見ることに興味が有りましたので、喜んで指導に行きました。稽古後観光に連れて行ってくれました。私が東ドイツに行きたいからというと駅に連れて行ってくれました。
地下鉄で山手線みたいにベルリンの地下を電車は幾つかの駅を回っています。東ベルリン地区の一つの駅だけ封鎖が解除されていました。外国人と特別なビザを持ったドイツ人だけが駅の改札を出て東ベルリンへ入ることが出来ます。私は東ベルリンに観光に行ってきました。当時の東ベルリンは戦火の後がまだまだ復興されておらず、第二次世界大戦で破壊されたままの場所が多く残されていました。東西ベルリンの経済格差が素人の私にも歴然と分かりました。
この様な事をテレビを見ていてふと思い出しました。
by shihan_aikido
| 2019-11-23 18:15