令和二年 八段昇段者 |
新年に成り合気道小林道場にとって素晴らしいニュースが入って来ました。合気道本部道場1月12日の鏡開きで、今年の推薦昇段者が発表されました。そこに合気会の最高段位八段昇段者が6名おりました。なんと、6名の内半分の3名が合気道小林道場指導部員として活躍し、その後独立して各道場を持った方です。合気道研心会・畑山憲吾師範、合気道堀越道場・堀越春芳師範、A&P石垣道場・石垣晴夫師範です。指導した私としても本当に名誉な事と喜んでいます。
1、畑山憲吾師範は秋田県出身、秋田で合気道の稽古を始めました。大学卒業後上京し東芝府中工場に勤務されました。その後も稽古を続ける為に合気道小平道場に入門しました。しばらくして所沢道場に住み込み内弟子をしながら東芝勤務をつづけていました。何年かして、合気道専門家道に進みたいと希望され私に申し出が有りました。当時の合気道小林道場では、まだ内弟子として扶養する事が困難でしたので、明治大学合気道部の後輩でドイツ合気会、浅井勝昭師範の元に派遣しました。
その後、合気道小林道場は東京の郊外、三多摩、埼玉、神奈川そして千葉と大きく発展し、専門指導員不足に成りました。畑山師範にドイツに残るか、帰国するか本人の希望を確認しました。日本に帰国すると希望されましたので又小林道場指導部員として受け入れました。帰国後、小平道場会員の貴代さんと結婚され所沢、狭山、そして本川越を中心とした西武線沿線の道場を指導をして貰いました。そのご、狭山に自宅兼道場を開らかれ小林道場から独立しました。息子さん弘氏も合気道専門家として活躍大きな組織を持たれています。
2、堀越春義師範は法政大学で合気道部に所属、故有川本部師範の指導を受けました。身体も大きく、背も高いので豪快な技をします。大学卒業後会社勤め中、所沢道場に入門し稽古を再開されました。その後、小林道場指導部員を希望されました。海外指導経験として、台湾、台北市龍山道場の指導に三カ月行かれました。帰国後、小林道場埼玉県春日部地区の指導担当者として、合気道普及に努力されました。その後、独立され、現在は春日部道場、せんげん台道場、加須、宮代、羽生、岩槻等々で指導され、海外にも多くの国に指導に行かれています。彼も息子さんが副道場長として活躍されています。
3、石垣晴夫師範は埼玉大学合気道部の一期生です。合気道部を設立した今村樹憲氏と同級生で友人でした。今村氏は本部道場指導部時代に私が指導していた新橋道場で初段を取得しました。それを機会に大学に合気道部設立の希望を私と一緒に当時の植芝吉祥丸先生に相談しました。吉祥丸先生は「小林、お前が土曜日昼休みに指導し、総武線沿線なのでその後新橋を指導しろ」との一言で埼玉大学合気道部が発足しました。石垣氏は卒業後、長野県松本に移住。仕事の傍ら合気道の普及に乗り出しました。信州大学合気道部を結成しました。4,5年後、私が埼玉県浦和方面での合気道普及を提案しました。北浦和に帰ってきて、A&P石垣道場開き埼玉県浦和市を中心に道場を広げています。埼玉県合気道連盟理事、長野県合気道連盟主席師範、ヨークカルチャーセンター合気道教室師範、イラン合気道師範、台湾共進会技術顧問の役職に就いています。
以上の様に私の指導方針「一人でも多くの人に合気道を」で地道に稽古を続けて素晴らしい指導者が育っています。今年は私の干支、ねずみ年です。私にとって7回目干支です。満84歳に成りますが、皆さんと一緒に合気道の本質「投げ、投げられて稽古」を貫いて行きます。今年の海外指導も、スウェーデン、台湾が決まっています。
私に会うと、海外の道場又組織の指導者の皆さんが是非、観光がてら来て下さいと云ってくれます。有難い事です。一緒に修行、精進して行きましょう。