2021年 06月 09日
第58回全日本合気道演武大会 |
5月15日(土)に第58回全日本合気道演武大会が群馬県高崎市の高崎アリーナで開催されました。
今年は東京オリンピックの準備の為、例年使われていた日本武道館が使用出来ませんでした。しかも新型コロナの感染対策の為に、指名された演武者だけの演武で規模を縮小して無観客で行われました。
当日、12時開始の為に9時に小平道場を私、弘明道場長家族が出発し高碕に向かいました。
緊急事態宣言下でしたが、結構高速道路は車が走っていました。
11時には高崎アリーナに到着し、会場入館時には、受付で感染症対策の検温、入館証の提示、事前に渡されていた
一週間分の健康観察表の提出や更衣、館内での三密防止、間隔を開けての座席着席等々の注意を受けて入場出来ました。
出場演武者は各団体の師範、指導員の67名の個人演武のみで受け身を合わせても総勢わずか193名でした。
会場準備や案内、プログラム進行係等、演武会関係者そして大会招待者等で約150名位でした。
その為2階座席は無観客で会場全体静まり返っています。普段の演武会から考えると奇異な光景でした。
2階の指定された食事座席で見学しながら持参の握り飯を食べていますと、雑誌「合気道探求」の記者の方が来てインタビューしたいといいます。私としては特別な場所に連れていかれての話すのが面倒なので「今ここでやりましょう」というと一寸戸惑っていましたが、カメラマンも呼び寄せ演武を見ながらインタビューが始まりました。
私は記者に対して「先程、廊下で守央道主とお会いした時に私の演武会の出場が初回から今回迄の連続出場をご存知の様で声を掛けられました。」と云うと記者も驚いていました。
演武大会の始まりは昭和30年代から5月に植芝盛平翁先生が行っていた、一週間の本部道場講習会でした。その時には地方の師範が翁先生の講習を受ける為に参加してきました。最後の日に成果発表として演武会が開催されています。
段々と参加人数が増え本部道場では手狭になってきました。そこで昭和35年(1960年)5月の最終日に新宿の山野ホールを借りて演武会を行いました。その時に地方の師範も何人か参加しましたのでそれを第一回全日本合気道演武大会と銘打ちました。その後は日比谷公会堂で毎年行う様に成りました。確か第6回演武大会まで日比谷公会堂でおこなわれました。
合気道小林道場は1969年4月7日に小平道場が開設されましたが、残念な事に4月26日に創始者植芝盛平翁が入神されました。この年は植芝盛平翁追悼演武会として10月に演武会が行われ小林道場も道場演武として初めて全日本の演武会に参加ました。その後、小林道場からの参加者は増え続け、1面のみではあふれる様になり、2面、3面と使用する畳が増えていき、個人道場では小林道場だけが5面全部を使用するまでなりました。
しかし、今年は個人のみの演武ですので、小林道場は総師範の私だけの演武です。受け身は弘明道場長そして小林香穂参段です。演武はユーチューブに出ていますのでご覧ください。
ユーチューブを見た会員から連絡が有りました。コロナで休会していましが、総師範の元気な演武の姿をみて、稽古再開しますとメールが入りました。合気道小林道場は「一人でも多くの人に合気道を」基本方針に活動しています。このメール受けただけでも演武をした価値が有ったと思います。皆さんコロナに負けず元気に稽古で汗を流しましょう。そして合気道の仲間を増やして行きましょう。
by shihan_aikido
| 2021-06-09 11:50