2006年 11月 08日
埼玉大学合気道部 |
20年目の手紙で埼玉大合気道部OGの思い出を載せたところ何人かの人に埼玉大合気道部の事を聞かれましたのでお知らせします。
埼玉大学合気道部は創立から現在まで41年間私が指導を続けています。
当事埼玉大学生2年生の今村樹憲氏が新橋にあった道場で初段を取得しました。この事を契機として合気道部の結成がなされました。埼玉大学は以前北浦和駅前に校舎があり(現役3年生でこの事を知らない学生がいました。)道場は柔道部の空き時間を借りましたので昼休みの稽古でした。私は合気道本部道場指導部員として二代道主植芝吉祥丸先生の命令で埼玉大学合気道部の担当になりました。理由は、今村氏が稽古していた新橋道場の指導もしており、土曜日昼に指導時間がとれた事です。
初回の稽古は一期の石垣氏、佐藤氏2期の田口氏他7名ぐらい全員白帯で受身もできません。今村氏が指導しますので私はする事無く鏡に向かって木刀を振っていたのが稽古の始まりです。間借り道場ですので柔道部の試合が近いからとか何かの理由で道場が使えない事もよくありました。仕方なく浦和の武道館を借りて稽古していますと、警察剣道部員がきて追い出されます。我々は正式な手続きをして借りているのに・・・。仕方なく常盤町に有った埼大付属教員養成所(当事高度経済成長期、教員に成り手が無く2年間で教員免許を与え教員を養成していました。今では考えられませんが)のおんぼろ体育館を借り部員全員でアルバイトをして畳み一人3枚買い80畳を揃え稽古した事もあります。部員にお金が無く合宿も埼大校内の宿舎で行なった事もありました。
安保闘争がらみの学生運動で埼玉大もロックアウト、大いに荒れました。そのとき合気道部員は教授、学校職員にすれ違うとき自然と挨拶をしていたそうです。これが教職員に評判になりました。教務関係者に合気道を習っていた人がいた関係で北浦和駅前から現在の大久保に移転の時、全国でも珍しく、国公立大学で合気道専用道場の設立につながりました。
各代の思い出を書いたら一冊の本になるぐらいあります。あまり長くなると
読む人に嫌われます。指導41年間です。思っても見ませんでしたが一期生はもう職場で定年を迎える人も出てきました。
卒業生の中から数多く、A&P石垣道場の石垣晴夫師範、大関正美師範、仕事を持ちながら海外にも指導している札幌国際合気会の今村樹憲師範、商社にいましたが50歳を過ぎて早期退職し合気道専門道場を2ヶ所も持った田口輝義師範がいます。そのほか職場、各地の道場で中心になって活躍している方もたくさんおります。合気道界の一大勢力になっています。私の考え方、難しい理屈は言わず「一人でも多くの人に合気道を」を実践してくれています。
現役諸君も先輩を追い越す様に稽古に励んで下さい。卒業までには全員2段を習得するように。
埼玉大学合気道部は創立から現在まで41年間私が指導を続けています。
当事埼玉大学生2年生の今村樹憲氏が新橋にあった道場で初段を取得しました。この事を契機として合気道部の結成がなされました。埼玉大学は以前北浦和駅前に校舎があり(現役3年生でこの事を知らない学生がいました。)道場は柔道部の空き時間を借りましたので昼休みの稽古でした。私は合気道本部道場指導部員として二代道主植芝吉祥丸先生の命令で埼玉大学合気道部の担当になりました。理由は、今村氏が稽古していた新橋道場の指導もしており、土曜日昼に指導時間がとれた事です。
初回の稽古は一期の石垣氏、佐藤氏2期の田口氏他7名ぐらい全員白帯で受身もできません。今村氏が指導しますので私はする事無く鏡に向かって木刀を振っていたのが稽古の始まりです。間借り道場ですので柔道部の試合が近いからとか何かの理由で道場が使えない事もよくありました。仕方なく浦和の武道館を借りて稽古していますと、警察剣道部員がきて追い出されます。我々は正式な手続きをして借りているのに・・・。仕方なく常盤町に有った埼大付属教員養成所(当事高度経済成長期、教員に成り手が無く2年間で教員免許を与え教員を養成していました。今では考えられませんが)のおんぼろ体育館を借り部員全員でアルバイトをして畳み一人3枚買い80畳を揃え稽古した事もあります。部員にお金が無く合宿も埼大校内の宿舎で行なった事もありました。
安保闘争がらみの学生運動で埼玉大もロックアウト、大いに荒れました。そのとき合気道部員は教授、学校職員にすれ違うとき自然と挨拶をしていたそうです。これが教職員に評判になりました。教務関係者に合気道を習っていた人がいた関係で北浦和駅前から現在の大久保に移転の時、全国でも珍しく、国公立大学で合気道専用道場の設立につながりました。
各代の思い出を書いたら一冊の本になるぐらいあります。あまり長くなると
読む人に嫌われます。指導41年間です。思っても見ませんでしたが一期生はもう職場で定年を迎える人も出てきました。
卒業生の中から数多く、A&P石垣道場の石垣晴夫師範、大関正美師範、仕事を持ちながら海外にも指導している札幌国際合気会の今村樹憲師範、商社にいましたが50歳を過ぎて早期退職し合気道専門道場を2ヶ所も持った田口輝義師範がいます。そのほか職場、各地の道場で中心になって活躍している方もたくさんおります。合気道界の一大勢力になっています。私の考え方、難しい理屈は言わず「一人でも多くの人に合気道を」を実践してくれています。
現役諸君も先輩を追い越す様に稽古に励んで下さい。卒業までには全員2段を習得するように。
by shihan_aikido
| 2006-11-08 10:58