2006年 01月 25日
餅つき、鏡開き |
日本は古来、正月に鏡餅を神前に供えて祝っていました。近世になると武士は鎧にこれを供え、「鎧餅」または「具足餅」と言い、女子は鏡台に供え「鏡餅」と言っていました。そして、正月の松飾りが取れる吉日を選んで撤去しました。武士は鏡餅を刃物で斬る事を忌み嫌い、弓の弦を絡めて左右から引き絞って切ったり、叩いて割ったりして雑煮にして食べたことがこの行事の始まりで、現代でも家庭に引き継がれています。
合気道小林道場でも道場を開いた後は、しばらくの間は暮れの餅つき、正月の鏡開きを行っていました。暮れに会員一同が集まり餅つきをし、新年稽古始めに鏡開きとして、その時ついた鏡餅でお汁粉を作り食べていました。
最近は幼稚園、学校、町内会などで餅つきを行っていますが1970年頃は餅つきを行う所は珍しかったです。子供クラスの子がたくさん友達を連れてきて、一番多い時には250名も集まり大変でした。60キロのつきたての餅をしょう油、あんこ、きな粉そして納豆餅にし、食べさせましました。食べ過ぎて翌日学校を休む子が出たほどです。
皆は餅つきというと杵と臼で餅米を入れてつく事だけ思い浮かべるでしょうが、その前の準備が大変です。一年間使ってない臼、杵、蒸籠等全ての道具を熱湯で良く消毒します。前日の朝に60キロの米研ぎです。冷たい水で60キロの米研ぎは手がかじかみ辛い仕事です。その米を水に浸し夕方、水揚げをします。釜戸つくり、細かい品の買い物等で一日仕事です。
朝9時に釜戸に火を入れます。人手は火の番、こねる人、つく人、餅をのばす人、雑用する人など最低5名の呼吸が合って無いとうまくいきません。道場ですので人手は多いのですが、経験者が少ないと大変です。各地方で色々のやりかたがあり、道場では色々な地方の人がいますので良く議論になります。のし餅一つにしても関東では四角餅ですが関西、九州では丸餅です。
餅つきは、こね八割で、臼の中の餅米を杵でこねあげてからつき始めます。
つき手とこね手が呼吸を合わせないと大変です。こねは餅米が熱いので経験が無いとなかなか出来ません。熱いのを我慢して、なるたけ水を使わずこねるのが見せ場です。水に浸すと餅がびちゃびちゃになり美味しく有りません。
特に鏡餅は水分が多いとたれて形が整いません。しかも新年の鏡開きに汁粉を作るときに青カビが生えて削るのに手間が掛かります。
餅つきは人手が集まりますが、お汁粉を作るときは家内と私、そして家内の妹達です。
子供クラスも入れると大変な人数になります。鏡餅を砕き朝から石油ストーブの上に載せて焼くのが一苦労です。私も散々手伝いました。
道場行事は忘年会、越年稽古、鏡開きそして新年会と家内は大忙しで大変です。孤軍奮闘朝から私も怒鳴られどうしです。よく働くのには感心しました。
小林道場は家内で持っているといわれるのも無理はありません。家内は小林道場にとって、女神様です。
最近年末になると私は餅つき復活を叫んでいます。女神様と指導部員達は反対して返事もしてくれません。何せ大変な手間と労力ですから。指導部員が一人で餅つきの段取りができる人はいません。餅つきは日本の伝統文化の一つです。伝えて行かなければと私は考えています。各道場の有志を募り今年の年末には餅つきを復活させましょう。道具は全部有ります。皆の熱い情熱と少しの費用だけです。ご協力を。
by shihan_aikido
| 2006-01-25 12:28