2007年 05月 29日
第45回全日本合気道演武大会 |
全日本演武大会の日が私の里帰りの日になります。両親にお線香を上げ、兄としばらく話して演武会場の武道館に向かう為に九段坂を今度は逆に下ります。今年は弘明の家族も合流しました。
受付にお祝いを渡し招待席に座ったのは一時半、途切れることなく五面敷かれた畳の上では各団体の会員の演武が繰り広げられていました。7000名の演武者を切れ目無く限られた時間に、日頃の稽古の成果を演武させなくてはなりません。毎回演武に参加している団体、今回初めての団体等色々な事情の団体を間違いなく誘導するには大変な準備、打ち合わせが必要です。
3月初めには演武会の案内がきます。出席の返事をすると、その後、参加団体には何時何分に出場予定なので、出場者は東西のどの出場者口に何時何分に集合を指定されます。この苦労、準備は私も本部指導部員としてさんざん行って来ました。勿論少人数時代の体験が積み重なり、今日のような大きな規模でもできるようになったのです。
私は第1回全日本合気道演武大会と呼ばれた新宿山野ホール演武会から途切れる事無く参加続けています。二代吉祥丸道主始め多くの先輩方が鬼籍に入られましたので、第1回からの参加者は、私一人になってしまいました。
日比谷公会堂での私の演武写真が残っています。昭和40年(1965年)頃のものです。当時の演武参加者は100名位だと思います。なにせ合気道創始者植芝盛平翁先生が演武会場に早く到着すると勝手に演武場に出てしまいます。そうすると以後誰も演武出来ません。この日の為に地方から参加している人達の事を考えると、如何に翁先生を予定の時間に連れてくるかが我々内弟子達の重要な仕事になります。この時の苦労話は私の自伝「我が道 合気道」に書いてありますので読んで下さい。
当時は演武者には弁当と道主の書かれた手ぬぐいが参加者全員に配られました。武道館で行う様に成り昭和45年(1969年)から合気道小林道場の会員も参加するようになりました。年ごとに合気道小林道場の参加人数が増え続け記念品と弁当150箇などと言ってもらいに行くと「弁当泥棒」などと係員に冗談を言われました。演武場も一面から3面に、そしていつの間にか個人の団体で5面確保して演武できるのは日本全国数ある団体の中で合気道小林道場のみになりました。
毎年参加者が増えるので本部道場は経費節減のため弁当支給を廃止しました。
毎年私の受け3人を合気道小林道場の会員から指導部で選びます。演武の為の練習は一切しません。私は国内、海外を問わずどんな演武会でも練習したことはありません。
私もあまり気にしてなかったのですがいつの間にか全日本で私の受けを取るのが一つの名誉な事という雰囲気になって来ました。最近では自分から全日本での受けを取りたいと申し出が有るようになりました。
今年は所沢道場の赤坂学 二段、小平道場の中原幸子初段そして厚木合気会の西井千尋 二段が受け取りました。
来年の46回全日本演武会も元気で演武出来るように精進していきます。
皆さん稽古に頑張りましょう。
by shihan_aikido
| 2007-05-29 09:47