2007年 07月 14日
渡辺勝宏師範を偲ぶ会 |
6月24日(日)16時半から小平道場で渡辺勝広師範を偲ぶ会を行いました。彼が亡くなってからもう12~3年経っています。2~3年前から私は渡辺師範の為に合気道小林道場として「思い出の会」をしなければと気になり出しました。
渡辺師範が各道場で稽古している姿や、演武会で演武しているビデオを編集し、1時間ぐらいの思い出の場面集をつくりました。これを見ながら交流のあった人達と、彼の思い出を語り合いました。
40名近くの人が集まり、彼の人を引き付ける魅力の強さに今更ながら感心しました。
渡辺勝宏師範の事は 私の自伝「我が道 合気道」に少し書いてあります。
合気道小林道場が1969年4月に道場開きをし、門弟を募集しました。合気道の体験が無く入門した第1号の弟子が彼です。元気がよく、ハッタリが利き、そして仲間を妙に引っ張って行く力があります。以前は浅草の某暴力団に所属していました。自称「関東の勝」といわれていた男で、その道ではかなり活躍したそうです。なにかの事件に巻き込まれ、多摩に来たといっていました。その男が一番弟子です。入門して来る20代の若い人達はすぐ感化されます。
商店街を歩いていると「小林さん、おたくの弟子じゃないかな、昨日パトカーで連れて行かれたよ」と度々囁かれます。私は「そんなはずはないよ」と言い訳をしますが3、4日稽古に来ないので警察に泊められたのは事実です。
先生「徹夜麻雀で稽古に来られなかった」などと可愛い言い訳をします。理由を聞くと、正義の味方なので怒るに怒れません。飲み屋で嫌がる女性をかまっているチンピラを見かねて止めに入っての喧嘩です。また、タクシーに並んでいて割り込みを注意し、相手がかかってきたので小手返しを掛けたらふっ飛んでいって相手がけがをします。過剰防衛ですので何日か泊められます。
審査に合格した日に結構事件は起こります。合格祝いで飲み歩きます。小さなトラブルでも見逃さず、仲裁を買ってでるのですから事件は起きて当たり前です。全員揃いの合気道小林道場 〇〇 と名前の書いたジャージを着ていますので目立ちます。夜中パトカーからの電話で起こされ、「××はいるか 住所は、電話番号は」 女神様もなれたもの「××はいます。住所、電話は分かりません。昨日引っ越したといっていましたので」なんて平気で答えています。少々の事では驚かなくなりました。大きな事件は不思議と私が不在の時起こります。後始末は女神様がしてくれて、今では多少の事には何とも驚きません。
普段の稽古は休まず熱心で、道場の全ての行事には積極的に参加してくれました。後輩の面倒見も良く、彼の協力により道場の数は増えて行きました。10年経ち、15年経ち元気の良い仲間が全員2段、3段と昇段していき小平道場で荒稽古します。ある時期、小平道場は全員有段者ばかりとなりました。稽古を見にきた初心者が怖がり入門して来なくなったのには弱りました。
一番大きな事件は、新青梅街道を上下線とも遮断して、道場生7名と暴走族約20名との大乱闘騒ぎを起こしてくれました。今回も暴走族が悪で道場生は正義の味方です。でもあまり派手にやりすぎました。何台ものパトカー囲まれ全員警察署行きです。警察官が調書を取っているときに暴走族が渡辺氏の昔の仲間の舎弟と分かり、彼が親分と直接電話で話し合い示談にしてしまいました。
調書を取っていた警察官に「示談になったので俺たちは帰るからタクシーを呼べ」などと叫びタクシーを呼ばせたそうです。乱闘の切っ掛けをつくった○○氏は「多人数掛けの呼吸投げ、体捌きが非常に役に立った。捌いて足でも掬えば、ばたばた簡単に倒れた」などと馬鹿な事をいっていました。皆さん絶対に真似はしないで下さい。
数々の話題を提供しながら合気道小林道場の発展に尽くしてくれた渡辺師範も病には勝てませんでした。難病に認定されている筋萎縮症で体の自由を段々と奪われ麻痺してきました。最後までメンツにこだわり弱音を吐かなかったのは立派でした。
他の多くの会員からは、渡辺氏は直ぐ辞めさせるべきだ。合気道小林道場の恥だと忠告されました。私としては合気道小林道場を始めた時の一番目の弟子で、直接の行動には色々問題がありますが、話を聞けば私を納得させる理由があります。
そして私の持ってない性格、資質があり、不思議と私のいう事には絶対服従します。私としてはそういう資質を高く評価し、亡くなるまで付き合い通しました。彼もその期待に応えて本当に良く協力してくれました。
今回の「思い出話を語り合う会」でたくさんの人が集まってくれましたので、また行いたいと思います。今回参加していない方で、渡辺師範と交流のあった方はぜひ連絡を下さい。次回の時には声を掛けさせていただきます。
渡辺師範が各道場で稽古している姿や、演武会で演武しているビデオを編集し、1時間ぐらいの思い出の場面集をつくりました。これを見ながら交流のあった人達と、彼の思い出を語り合いました。
40名近くの人が集まり、彼の人を引き付ける魅力の強さに今更ながら感心しました。
渡辺勝宏師範の事は 私の自伝「我が道 合気道」に少し書いてあります。
合気道小林道場が1969年4月に道場開きをし、門弟を募集しました。合気道の体験が無く入門した第1号の弟子が彼です。元気がよく、ハッタリが利き、そして仲間を妙に引っ張って行く力があります。以前は浅草の某暴力団に所属していました。自称「関東の勝」といわれていた男で、その道ではかなり活躍したそうです。なにかの事件に巻き込まれ、多摩に来たといっていました。その男が一番弟子です。入門して来る20代の若い人達はすぐ感化されます。
商店街を歩いていると「小林さん、おたくの弟子じゃないかな、昨日パトカーで連れて行かれたよ」と度々囁かれます。私は「そんなはずはないよ」と言い訳をしますが3、4日稽古に来ないので警察に泊められたのは事実です。
先生「徹夜麻雀で稽古に来られなかった」などと可愛い言い訳をします。理由を聞くと、正義の味方なので怒るに怒れません。飲み屋で嫌がる女性をかまっているチンピラを見かねて止めに入っての喧嘩です。また、タクシーに並んでいて割り込みを注意し、相手がかかってきたので小手返しを掛けたらふっ飛んでいって相手がけがをします。過剰防衛ですので何日か泊められます。
審査に合格した日に結構事件は起こります。合格祝いで飲み歩きます。小さなトラブルでも見逃さず、仲裁を買ってでるのですから事件は起きて当たり前です。全員揃いの合気道小林道場 〇〇 と名前の書いたジャージを着ていますので目立ちます。夜中パトカーからの電話で起こされ、「××はいるか 住所は、電話番号は」 女神様もなれたもの「××はいます。住所、電話は分かりません。昨日引っ越したといっていましたので」なんて平気で答えています。少々の事では驚かなくなりました。大きな事件は不思議と私が不在の時起こります。後始末は女神様がしてくれて、今では多少の事には何とも驚きません。
普段の稽古は休まず熱心で、道場の全ての行事には積極的に参加してくれました。後輩の面倒見も良く、彼の協力により道場の数は増えて行きました。10年経ち、15年経ち元気の良い仲間が全員2段、3段と昇段していき小平道場で荒稽古します。ある時期、小平道場は全員有段者ばかりとなりました。稽古を見にきた初心者が怖がり入門して来なくなったのには弱りました。
一番大きな事件は、新青梅街道を上下線とも遮断して、道場生7名と暴走族約20名との大乱闘騒ぎを起こしてくれました。今回も暴走族が悪で道場生は正義の味方です。でもあまり派手にやりすぎました。何台ものパトカー囲まれ全員警察署行きです。警察官が調書を取っているときに暴走族が渡辺氏の昔の仲間の舎弟と分かり、彼が親分と直接電話で話し合い示談にしてしまいました。
調書を取っていた警察官に「示談になったので俺たちは帰るからタクシーを呼べ」などと叫びタクシーを呼ばせたそうです。乱闘の切っ掛けをつくった○○氏は「多人数掛けの呼吸投げ、体捌きが非常に役に立った。捌いて足でも掬えば、ばたばた簡単に倒れた」などと馬鹿な事をいっていました。皆さん絶対に真似はしないで下さい。
数々の話題を提供しながら合気道小林道場の発展に尽くしてくれた渡辺師範も病には勝てませんでした。難病に認定されている筋萎縮症で体の自由を段々と奪われ麻痺してきました。最後までメンツにこだわり弱音を吐かなかったのは立派でした。
他の多くの会員からは、渡辺氏は直ぐ辞めさせるべきだ。合気道小林道場の恥だと忠告されました。私としては合気道小林道場を始めた時の一番目の弟子で、直接の行動には色々問題がありますが、話を聞けば私を納得させる理由があります。
そして私の持ってない性格、資質があり、不思議と私のいう事には絶対服従します。私としてはそういう資質を高く評価し、亡くなるまで付き合い通しました。彼もその期待に応えて本当に良く協力してくれました。
今回の「思い出話を語り合う会」でたくさんの人が集まってくれましたので、また行いたいと思います。今回参加していない方で、渡辺師範と交流のあった方はぜひ連絡を下さい。次回の時には声を掛けさせていただきます。
by shihan_aikido
| 2007-07-14 16:48