2007年 10月 17日
頑張れ大学合気道部員パート3 「退部しごき」 |

これが大学生になると私達の年代では一寸抵抗が有ります。入学式の式典には両親等の出席は私の時代にも有ったと思います。地方から出てきている人達特に女子学生は多少いたと思います。男親が来ていたという話は私の友達関係では皆無でした。しかし現代では大学の入学式に殆どの学生の親達が付きそう様になっているという話です。式典終了後両親と大学生が仲良く並んで下校していく姿を見るとどうしても抵抗があります。ましてや体育会の合気道の部活見学に親と同伴で来る話を聞くと世の中どうなっているのと感じます。

私の大学入学時は昭和30年(1955年)まだ東京は戦災の焼け跡がいたるところに有り復興してない時代でした。そして食べ物、生活必要品が不足していた時代です。みな働いて食べるのに一生懸命でした。そして大学生になると一人前の大人と見なされ自分で責任を持って行動しなければなりませんでした。
明治大学3年生の時、本部道場に通って来ていた明大生5名と合気道同好会を創り大学の学生課に申請書を出しました。受理され部活が始まったその時から全ての行動が体育会に入るのを目的に行動をしました。入部、稽古、退部等規則はかなり厳しいものでした。
現代の新入生は一週間とか10日とか体験稽古をしてから入部となるようです。一ヶ月以上稽古しても嫌になれば口頭で申し出るだけで部を止められます。

当時は、大学の体育会系の部に入部するのには必死の覚悟がいりました。新入生はその日から部員の一員として扱われ、稽古や練習が辛い、そして自分にはその競技が合わないなど単純な理由では止めさせてもらえません。退部を申し出よう物なら「退部しごき」が待っています。時には怪我やまれに死亡事故につながりました。学生課や体育課から「退部しごき」の禁止通達がよくきたものです。新聞などでも高校、大学運動部の「退部しごき」事件がよく報道されました。新聞の紙面もにぎわせたものです。しかし、私が設立また設立に関係した大学の合気道部はその様な「退部しごき」は一切無かったはずだと思います。
途中退部の時は部長、監督そして主将宛に本人、時には親から文章で退部理由が提出されました。それが変わったのは安保闘争が終わった頃からです。学校も混乱の反動で学生に対して甘くなりました。そしていつの間にか体育会の部でも文書で退部届けが私に来なくなりました。そしていつのまにか運動部の「退部しごき」も死語になりました。結構な事でした。
しかし今回の時津風部屋の「しごき」事件、「可愛がる」という言葉のもとに30分のぶつかり稽古です。17才しかも入門して3ヶ月、生活も身体もなれてない少年に本当にひどい仕打ちです。親方自らビール瓶で殴ったり、先輩力士が金属バットで殴るなど普通の神経では考えられない事です。
私も合気道本部道場の内弟子時代先輩からどう考えても理不尽の事をされた事があります。私が本部道場に入門したのは昭和55年(1955年)です。まだ戦後10年目です。軍隊経験が有る先輩達が多くいました。その経験が何かの時に出てきます。「先輩の言う事は、道場長の言う事だ、道場長のいうことは植芝盛平翁先生の言う事だ、翁先生の言うことは神様の言うことだ、神様の言うことを聞けないか」と変な三段論法で諭されます。かなり理不尽な仕置きや要求をされましたが肉体的、精神的にそこまで追いつめられた事は有りません。
指導者に絶対服従の武道の道場や運動部では「厳しい訓練、稽古」と「しごき」の差は紙一重です。先輩、後輩相互に情愛や信頼が無ければ「厳しさ」がすぐ「しごき」に変わります。今問題になっている相撲の世界はまだまだ古い体質が残っていたのでしょう。それが最悪の状態で出てきたのです。
この事件が起きたからと言って大学合気道部幹部諸兄は決して後輩を甘やかせる必要はありません。率先垂範自分がまず先頭に立って行えば必ず後輩はついてきます。掛け声だけで後輩を動かさず自分が先頭でやることです。後輩の稽古に絶対に手を抜かないことです。そうすれば後輩は尊敬もしますし、喜びます。楽しい部生活も送れます。
頑張れ大学合気道部幹部
by shihan_aikido
| 2007-10-17 11:44