2008年 01月 10日
小平道場の畳 |
明けましておめでとう御座います。
今年も稽古を重ね一歩一歩前進していきましょう
今年、私は6回目の年男です。年末にはノルウエーの北部、北極圏のトロムソまでオーロラを見にいきました。偶然、新年に向かってのカウントダウンの時に満天に輝くオーロラを見ることが出来ました。今年は合気道小林道場創立40年の記念の年です。元気で見てきたオーロラの様に輝きたおと思います。
40年記念行事として下記のような行事を計画しておりますので多数ご参加下さい。
9月23日(祭日):道主講習会と祝賀会
9月24日(水)~26日(金):合気道創始者植芝盛平翁先生墓参り観光記念ツアー(和歌山県)
10月3日(土)~4日(日):40年記念合宿(千葉県岩井海岸)
合気道小林道場40年を迎えるに当たり、小平道場以外の人達、特に外国人に、「畳が堅い」と、評判の悪かった本畳を、ビニールの青畳に変更しました。たがが「畳」といいますが、私にとっては深い、深いそして忘れ得ない思い出があります。
1969年4月に自宅小平に手作りで道場を建てましたが、資金はゼロでした。その為、新宿の合気道本部道場で建て替えのために不要になった畳、戸などをもらい受け、それを活用しました。長年使い古した畳でしたので、直ぐあちこちがすり切れぼろぼろになりました。その他に工事現場から、いらない古畳をもらって来たりしましたが、矢張り家庭用の畳ですので直ぐ駄目になります。道場にとって畳が全てです。稽古に支障がで始めました。何か良い方法は無いか考えましたが、結局自分で直せば良いということになりました。非常に簡単な結論です。
たまたま家内の父の実家が日光東照宮の畳を一手に引き受けている若林畳屋でした。すぐに畳表、畳針そして畳糸を送るよう電話しました。しかし、返事は「素人が畳表を縫えるわけが無い」と全然話に乗ってくれません。私は「出来る、出来ないかはやって見なければ分からないから」と何回も、何回も電話し続けました。向こうも根負けし、畳表などの道具が届きました。早速表替えを行いましたが、もちろん素人ですので、うまくいくはずは有りません。
破れているよりは遙かにましですが時間も掛かり、一日やっと一枚。稽古以外の時間は畳の修理に追われていました。3枚、5枚と修理する内に自分なりの要領と工夫が出来る様になりました。当時住み込んでいた五十嵐、畑山師範も動員し、小学生だった弘明も手伝ってくれました。
この苦労が何年か続いた後ふと畳がすり切れた部分を布で縫ったら簡単だと気づきました。縫って見ると多少見た目は悪いが時間が非常に節約できました。もっと早く気づけばと思いましたが、悩んで、悩んで、悩んだ末の「ひらめき」です。俗にいう「コロンブスの卵」でした。気づいてしまえば何のことは無いのです。しかし世の中はこの悩みが「人間を成長させてくれる」と私は確信しています。
しばらくすると布を縫った部分以外が擦り切れてきます。又そこに布を縫いつけます。何年か経つと布の部分が多くなり、道場全体に布の面積が広がりだしました。そしてある日突然これだけ布の面積が多ければ畳全体をシートで覆えば良いと又ひらめきました。それは手作りの道場を、現在の小平道場に建て替え新築した時に実行されました。
小平道場の本畳の上に敷いた白いシートの上での稽古はこうして始まったのです。この20年間で何回もシートが擦り切れ交換しました。最初は白いシートも皆さんの汗が染みついて、段々灰色に変色しています。20年も経つと烈しい稽古のためシートの下に有る本畳までが擦り切れてきました。
一抹の寂しさはありましたが、畳本体も傷んだ為、合気道小林道場創立40年を記念して越年稽古よりビニールの青畳に変える事を決意しました。合気道小林道場も今年で40年、畳一つでもこれだけの思い出と歴史があります。
皆さん大いに思い出をつくりましょう。
今年も稽古を重ね一歩一歩前進していきましょう
今年、私は6回目の年男です。年末にはノルウエーの北部、北極圏のトロムソまでオーロラを見にいきました。偶然、新年に向かってのカウントダウンの時に満天に輝くオーロラを見ることが出来ました。今年は合気道小林道場創立40年の記念の年です。元気で見てきたオーロラの様に輝きたおと思います。
40年記念行事として下記のような行事を計画しておりますので多数ご参加下さい。
9月23日(祭日):道主講習会と祝賀会
9月24日(水)~26日(金):合気道創始者植芝盛平翁先生墓参り観光記念ツアー(和歌山県)
10月3日(土)~4日(日):40年記念合宿(千葉県岩井海岸)

1969年4月に自宅小平に手作りで道場を建てましたが、資金はゼロでした。その為、新宿の合気道本部道場で建て替えのために不要になった畳、戸などをもらい受け、それを活用しました。長年使い古した畳でしたので、直ぐあちこちがすり切れぼろぼろになりました。その他に工事現場から、いらない古畳をもらって来たりしましたが、矢張り家庭用の畳ですので直ぐ駄目になります。道場にとって畳が全てです。稽古に支障がで始めました。何か良い方法は無いか考えましたが、結局自分で直せば良いということになりました。非常に簡単な結論です。
たまたま家内の父の実家が日光東照宮の畳を一手に引き受けている若林畳屋でした。すぐに畳表、畳針そして畳糸を送るよう電話しました。しかし、返事は「素人が畳表を縫えるわけが無い」と全然話に乗ってくれません。私は「出来る、出来ないかはやって見なければ分からないから」と何回も、何回も電話し続けました。向こうも根負けし、畳表などの道具が届きました。早速表替えを行いましたが、もちろん素人ですので、うまくいくはずは有りません。

この苦労が何年か続いた後ふと畳がすり切れた部分を布で縫ったら簡単だと気づきました。縫って見ると多少見た目は悪いが時間が非常に節約できました。もっと早く気づけばと思いましたが、悩んで、悩んで、悩んだ末の「ひらめき」です。俗にいう「コロンブスの卵」でした。気づいてしまえば何のことは無いのです。しかし世の中はこの悩みが「人間を成長させてくれる」と私は確信しています。


一抹の寂しさはありましたが、畳本体も傷んだ為、合気道小林道場創立40年を記念して越年稽古よりビニールの青畳に変える事を決意しました。合気道小林道場も今年で40年、畳一つでもこれだけの思い出と歴史があります。
皆さん大いに思い出をつくりましょう。
by shihan_aikido
| 2008-01-10 14:47