2006年 02月 13日
男のロマンは女のガマン |
1月20日は私達の結婚記念日です。今年で結婚して40年になります。道場の行事が、越年稽古、正月、合気道小林道場の役員、幹事を集めた新年会と暮れから立て続けに続きますので、1月20日は「あ・・今日は結婚記念日だった」で過ぎてしまいます
今年の1月20日は金曜日だったので、所沢道場の朝稽古に全指導員が集まっていました。私が今日は結婚記念日だと叫んでも指導員達は何の反応も示しませんでした。結構つめたいです。ファミリーレストランや宴会場からは「記念日おめでとう」の割引葉書だけはきましたが・・・。
私と家内(女神様)が知り合ったのは、中野住んでいた叔母の紹介でした。本当は妹と会う予定でしたが、姉である家内と入れ替わっていました。家内に言わせるそれが最大の失敗だったそうです。
私達に関係無く親同士が気に入り結婚話は早急に進んでいきました。女神様によると、初めて会って喫茶店に行き、会計の時に小銭を背広のポケットに入れると穴が開いていて、小銭が床に散らばってしまいました。それを慌てて拾っている姿を見て、私が面倒見なければと思ったそうです。ちなみに女神様の実家は洋服屋でした。
この時代本部道場は経済的に非常に苦しく、我々内弟子を食べさせるのがやっとで、もらえる給料は小遣い程度でした。私は好きな合気道が出来るので経済的な事はあまり気になりませんでした。昭和30年初めに住み込んだ内弟子達、野呂、田村、山田、金井、千葉、浅井各氏そして若手指導員の中心だった多田先生も国内での合気道指導に見切りをつけ、アメリカ、ヨーロッパ等の海外からの要請を受け渡航していきました。しかし招聘条件と現実との話が違い、殆どの渡航した指導員達は自力で開拓していくような状態になり、まともな生活費もなく苦労の連続だったそうです。
私もいろいろと海外から誘われました。合気道の稽古自体が好きなので断りました。父が「合気道では生活出来ない、10年間好きな事をやったのだから商売をやれ」との説得に負け、父と同じ雑貨商売をやる事に同意しました。
父は九段で雑貨商をやっていましたが、店を4階建てのビルに建て替えました。
小平に土地を買って、その時壊した古い店を移築し私に商売をやらせたかったのです。隣が魚屋でしたので雑貨と八百屋をやる事になりました。商売は一人では出来ません。それで父は私に結婚を急がせたのです。私は密かに、家内に商売をやらせ自分は好きな合気道をやれば良いと考えました。 (写真:立っているのは植芝吉祥丸2代道主)
結婚し何日かして女神様に「俺は合気道をやるからお前、商売をやれ」といいました。女神様は即座に「私は商売人の貴方と結婚しました。貴方が商売をやらなければ私もしません。」の一言です。
これで開店大売り出し前に店を閉店しました。そして家族の事は考えず好きな合気道に専念していきました。今思うと良く生活できたと思います。このことがなければ合気道小林道場は無かったのです。皆さんとの稽古もありませんでした。
結婚して40年目 女神様は「男のロマンは女のがまん」という言葉を私にぶつけて来ました。
今年の1月20日は金曜日だったので、所沢道場の朝稽古に全指導員が集まっていました。私が今日は結婚記念日だと叫んでも指導員達は何の反応も示しませんでした。結構つめたいです。ファミリーレストランや宴会場からは「記念日おめでとう」の割引葉書だけはきましたが・・・。
私と家内(女神様)が知り合ったのは、中野住んでいた叔母の紹介でした。本当は妹と会う予定でしたが、姉である家内と入れ替わっていました。家内に言わせるそれが最大の失敗だったそうです。
私達に関係無く親同士が気に入り結婚話は早急に進んでいきました。女神様によると、初めて会って喫茶店に行き、会計の時に小銭を背広のポケットに入れると穴が開いていて、小銭が床に散らばってしまいました。それを慌てて拾っている姿を見て、私が面倒見なければと思ったそうです。ちなみに女神様の実家は洋服屋でした。
この時代本部道場は経済的に非常に苦しく、我々内弟子を食べさせるのがやっとで、もらえる給料は小遣い程度でした。私は好きな合気道が出来るので経済的な事はあまり気になりませんでした。昭和30年初めに住み込んだ内弟子達、野呂、田村、山田、金井、千葉、浅井各氏そして若手指導員の中心だった多田先生も国内での合気道指導に見切りをつけ、アメリカ、ヨーロッパ等の海外からの要請を受け渡航していきました。しかし招聘条件と現実との話が違い、殆どの渡航した指導員達は自力で開拓していくような状態になり、まともな生活費もなく苦労の連続だったそうです。
私もいろいろと海外から誘われました。合気道の稽古自体が好きなので断りました。父が「合気道では生活出来ない、10年間好きな事をやったのだから商売をやれ」との説得に負け、父と同じ雑貨商売をやる事に同意しました。
父は九段で雑貨商をやっていましたが、店を4階建てのビルに建て替えました。
小平に土地を買って、その時壊した古い店を移築し私に商売をやらせたかったのです。隣が魚屋でしたので雑貨と八百屋をやる事になりました。商売は一人では出来ません。それで父は私に結婚を急がせたのです。私は密かに、家内に商売をやらせ自分は好きな合気道をやれば良いと考えました。 (写真:立っているのは植芝吉祥丸2代道主)
結婚し何日かして女神様に「俺は合気道をやるからお前、商売をやれ」といいました。女神様は即座に「私は商売人の貴方と結婚しました。貴方が商売をやらなければ私もしません。」の一言です。
これで開店大売り出し前に店を閉店しました。そして家族の事は考えず好きな合気道に専念していきました。今思うと良く生活できたと思います。このことがなければ合気道小林道場は無かったのです。皆さんとの稽古もありませんでした。
結婚して40年目 女神様は「男のロマンは女のがまん」という言葉を私にぶつけて来ました。
by shihan_aikido
| 2006-02-13 10:10