2008年 03月 31日
記念誌 |


各記念誌にそれぞれ思い出がありますが、やはり一番面白いのは10周年の記念誌です。その中から一つ紹介します。
弘明副道場長が当時中学2年生でこんな事を書いていました。


しかし、父は背中にケガをして合気道が一時出来なくなりました。しかたがないので、今、道場の所で雑貨や八百屋を始めました。あまり人が住んでいなく、野中の一軒やと言うかんじだったので売れず、四ヶ月でつぶれました。
しかたがなく、父は新聞広告を見て、新立川飛行機株式会社へ、試験があるとも知らず行きました。会社へついて試験が有ると聞かされ父は、俺、べんきょうしてこなかったと言いましたが、会社の規則だからと言われ、とにかく受ける事になりました。
しかし父は、試験の前に腹がへったから昼めしを食わせてくれと言ったら、まだ入社もしてない父に、チャーハンを取ってくれたそうです。そしていよいよ試験ですが、試験用紙を持ってきたのが、大学時代の工学部の後輩でした。父はまったく問題が分からなかったので、お前後輩だろ、教えろと言い教えてもらって第一設計課に合格しました。
それから10ヵ月間、暖房機の自動制御の設計をしながらここで働きました。
背中のケガも治ったので、また合気道がやりたいと思い、雑貨や八百屋をしていた所をぶちこわし、今の道場(旧小平道場)に改造しました。
そして、今では世界に伸びる小林道場として、発展しています。
by shihan_aikido
| 2008-03-31 11:24