
今回のメインイベントである、イラン合気道合気会の十周年記念演武会は2日目の午後2時から行われました。演武会は主催者や招待者の挨拶、記念品交換、功労者の表彰等と万国共通です。参加者は男性のみで約250名です。地方の道場で女性が稽古しているかは確認できませんでした。2階は観客席になっていて男女の席が別れていました。

イランでは日本でいう県が30近く有るそうですが、18の地区の道場からの参加がありイラン合気道合気会は全国的な大きな組織を持っている事を感じさせました。アリ師範は、自分の道場、警察、軍隊そして大統領親衛隊にも指導していて、彼の組織の大きさを伺いしれました。

何処の国にも合気道に燃える人はいます。違う武道の指導者でしたが、合気道を学びたくて月に何回かバスで8時間掛けてアリ道場まで稽古に来ていました。バスが朝早くテヘランに着くので、真冬でも3時間も道場の前で道場が開くのを待っていたそうです。本人が全然話さず2年近くアリ師範もそんなに遠くから通ってきているとは知らなかったといっていました。いまでは立派な合気道の指導者に育っています。この様な熱心で純粋な人達が居る組織は発展します。
イランでは合気道発展の原動力になっているのが軍隊だそうです。アリ師範が軍隊を指導していますので訓練した人達が除隊し故郷に帰り稽古を始めてくれる人がいますので広がって来たのです。

日本では合気道が全国的に広がったのはイランの軍隊とは違い大学生が合気道を広めたのです。昭和32年(1958年)頃から二代道主植芝吉祥丸先生が本部道場に稽古に通っている大学生達に合気道部を大学に創るよう積極的に話しかけ、行動に移す手助けをしてくれました。私もその一人で明治大学に合気道部を創りましたし、色々な大学に合気道部を創る手伝いもさせられました。そして各大学の卒業生が故郷に帰り合気道の稽古を続けたから日本全国に合気道の現在の発展につながったのです。合気道の発展も国情の違いが如実に出ています。

演武会では基本技を中心にしっかりした演武をしていますが、矢張りテヘランから遠い道場から来ている人達は高段者の指導を受ける機会が少ないので、映画、DVDで見る派手な演武になりがちです。映画俳優のスティーブン・セガールの一場面を見るような演武もありました。でも観客には結構受けていました。
アリ師範は女性観覧席の母親や家族に手を振ってから演武に入りました。男女分け隔ての厳しいイランですがこういう風景を見ると何処の国でも家族愛は変わらないと感じました。アメリカ、デンバーの日本館館長・本間学師範は迫力ある杖の一人演武で場内を沸かしました。

荒井師範は同行のイラン人青嵐氏を受けに余裕のある、流れるような体捌きです。この様な演武を見るのははじめてなので皆固唾をのんで見ていて盛大な拍手を送っていました。私は座り技、立ち技と総て基本技の組み合わせです。受け身は演武会で始めて私の受けを取る有段者2人です。私の演武はその場で希望する誰でも使います。演武の練習などしたことがありません。イランの有段者にとって日本から来た師範の受けを取る緊張で身体が震えていました。座り技で回してみると良くついて来るので稽古量の豊富さを感じさせます。立ち技の受け身の人も遠くに投げたり、近くに抑えたりしながら緊張感を解き受け身を取れるように持って行きました。4,5分の演武で私の演武も終わりイラン合気道合気会の10周年記念演武会が無事終了しました。
全員並んでの記念写真撮影が行われました。イラン人は写真を撮るのが大好きで一寸気を許すと10人、20人と写真機やデジカメを構えています。身動きが取れなくなり、次の予定の行動に支障をきたしますので振り切る様にその場を去らねばなりません。