2008年 11月 17日
日本館 デンバー 講習会 |
アメリカのデンバーにある日本館合気道場の講習会に10月23日(木)から一週間行ってきました。金曜日夜には「私の内弟子時代の思い出」の講演会、 土・日曜日は午前と午後に2時間の講習会を行いました。この思い出を下記の3回に分けて書きたいと思います。
1,日本館合気道について
2,講演、講習会について
3,観光について

1、日本館合気道について
日本館の本間学師範は秋田県の出身です。秋田支部道場で稽古し、その後合気道開祖植芝盛平翁先生の内弟子として茨城県の岩間道場に住み込み修行されました。三沢米軍基地で指導した関係で除隊した兵隊達に付いて30年以上前に渡米したそうです。
当初ロサンゼルスで兵隊達と中古車を買い、車が壊れて走らなくなったところに住まいを決めようと東に向かいました。ロッキー山脈を越えたデンバーで車が走らなくなり、デンバーに住み着いたそうです。合気道を稽古している道場があったので皆で稽古に行ったら、翌日からその先生が来なくなり、道場主に頼まれて合気道の指導続けたといっていました。これがあったから現在の日本館があるのだと私は思います。後で振り返ってみると人生色々な事があります。
合気道指導だけで生活ができなくて、雑草まで食べてしのいだ時期もあったそうです。車で走っている時あの黄色い花の咲いている草は湯がいて食べると美味しいですなどと教えてくれましたので本当だと思います。当時はアメリカでは難民に政府から食料を支給していました
難民達は口に合わない物、宗教上食べてはいけない物を捨てます。それを拾い集めて食べたとも話していました。物事を始める時は色々と苦労をします。それにもへこたれぬ精神力と強い意志は尊敬に値します。
何年か後に合気道指導と日本語、日本伝統文化を教える教室を開催してある程度成功しました。料理には全くの素人でしたが秋田の郷土料理を紹介しようと廃れた木造で出来た工場を買い取り、自分達で修理して料理屋と道場をつくりました。食堂の設備はお金がないので、テーブルは昔の道路の敷石、椅子は丸太を切って代用したといっています。そして本当に立派な日本の田舎風の建物と日本庭園を作り出しました。
アメリカでは日本料理といえばすき焼き、寿司、天ぷら、さしみなどが一般的です。本間師範が始めた日本料理屋は秋田県の田舎料理屋です。色々な人達からそんな料理で商売できないといわれたそうです。他にその様な料理屋がアメリカに無いので比較できず、椅子、テーブルも変わっていて評判になり、アメリカでも有名店の仲間入りをするまでになりました。1998年に日本レストランを開設し、僅か4年後の2001年には全米レストラン情報誌の日本レストラン部門で全米トップ5に入ったとの事です。本間師範の合気道の指導は勿論ですが、料理に掛ける情熱には頭がさがります。
地域ボランテアにも力を入れていて、道場会員の協力で毎月1回ホームレスに350名分の食事を無料で提供しています。また年2回市庁舎の前の花壇の植え替えや手入れをしています。何か災害など有ると日本館と書いてある車やトラックで駆けつけ炊きだしなどもするそうです。日本館の宣伝に大いに役立っているといっています。デンバー市からの感謝状も何回ももらっているそうです。
アメリカの小学生は異文化体験をする課外授業があります。日本館は日本文化紹介のコースを受け持っていて、日本館の食堂、施設見学、道場の稽古や折り紙、剣玉など見せ最後に日本食の弁当を食べる2時間コースで年間2、000人以上の見学者体験者があるそうです。
日本レストランと合気道道場が軌道に乗ってから海外の発展途上国にも積極的に行き、経済的な物資の援助や物作りの支援、そして合気道の普及にも力を入れています。モンゴル、バングラディッシュ、ネパール、ラオス等アジアを中心に中南米、南米、中近東など世界各国に人道援助で物資の寄贈や経済援助等で交流し合気道も教え広めています。広い日本庭園の奥には、モンゴルのパオがあり、モンゴルの大統領やダライ・ラマ氏も来られたそうです。
本間師範が合気道小林道場に関心を持ったのは、世界各地を人道援助と合気道交流指導で回った時の事でした。ブラジル、東チモール、韓国、イラン、ハンガリー等の合気道道場で指導した時に、合気道小林道場の傘下の各国会員達は何の拘りもなく友好的に稽古に協力してくれたそうです。この事があり本間師範は合気道小林道場の指導法、組織運営に関して関心を持たれたといっていました。
私と本間師範との再会は5年前に遡ります。合気ニュースがアメリカのラスベガスで主催した合気エキスポで30年振りに合いました。それ以後交流が始まりました。6月のイラン合気道合気会10周年講習会指導に同行してもらいイスラム教の習慣など色々とアドバイスをして頂きました。イスラム圏での生活習慣の違いに何のトラブルも無く私が過ごせたことを感謝しています。この事を経て、今回私がデンバーで指導を行ったのです。
1,日本館合気道について
2,講演、講習会について
3,観光について

1、日本館合気道について
日本館の本間学師範は秋田県の出身です。秋田支部道場で稽古し、その後合気道開祖植芝盛平翁先生の内弟子として茨城県の岩間道場に住み込み修行されました。三沢米軍基地で指導した関係で除隊した兵隊達に付いて30年以上前に渡米したそうです。
当初ロサンゼルスで兵隊達と中古車を買い、車が壊れて走らなくなったところに住まいを決めようと東に向かいました。ロッキー山脈を越えたデンバーで車が走らなくなり、デンバーに住み着いたそうです。合気道を稽古している道場があったので皆で稽古に行ったら、翌日からその先生が来なくなり、道場主に頼まれて合気道の指導続けたといっていました。これがあったから現在の日本館があるのだと私は思います。後で振り返ってみると人生色々な事があります。
合気道指導だけで生活ができなくて、雑草まで食べてしのいだ時期もあったそうです。車で走っている時あの黄色い花の咲いている草は湯がいて食べると美味しいですなどと教えてくれましたので本当だと思います。当時はアメリカでは難民に政府から食料を支給していました
難民達は口に合わない物、宗教上食べてはいけない物を捨てます。それを拾い集めて食べたとも話していました。物事を始める時は色々と苦労をします。それにもへこたれぬ精神力と強い意志は尊敬に値します。

アメリカでは日本料理といえばすき焼き、寿司、天ぷら、さしみなどが一般的です。本間師範が始めた日本料理屋は秋田県の田舎料理屋です。色々な人達からそんな料理で商売できないといわれたそうです。他にその様な料理屋がアメリカに無いので比較できず、椅子、テーブルも変わっていて評判になり、アメリカでも有名店の仲間入りをするまでになりました。1998年に日本レストランを開設し、僅か4年後の2001年には全米レストラン情報誌の日本レストラン部門で全米トップ5に入ったとの事です。本間師範の合気道の指導は勿論ですが、料理に掛ける情熱には頭がさがります。
地域ボランテアにも力を入れていて、道場会員の協力で毎月1回ホームレスに350名分の食事を無料で提供しています。また年2回市庁舎の前の花壇の植え替えや手入れをしています。何か災害など有ると日本館と書いてある車やトラックで駆けつけ炊きだしなどもするそうです。日本館の宣伝に大いに役立っているといっています。デンバー市からの感謝状も何回ももらっているそうです。

日本レストランと合気道道場が軌道に乗ってから海外の発展途上国にも積極的に行き、経済的な物資の援助や物作りの支援、そして合気道の普及にも力を入れています。モンゴル、バングラディッシュ、ネパール、ラオス等アジアを中心に中南米、南米、中近東など世界各国に人道援助で物資の寄贈や経済援助等で交流し合気道も教え広めています。広い日本庭園の奥には、モンゴルのパオがあり、モンゴルの大統領やダライ・ラマ氏も来られたそうです。
本間師範が合気道小林道場に関心を持ったのは、世界各地を人道援助と合気道交流指導で回った時の事でした。ブラジル、東チモール、韓国、イラン、ハンガリー等の合気道道場で指導した時に、合気道小林道場の傘下の各国会員達は何の拘りもなく友好的に稽古に協力してくれたそうです。この事があり本間師範は合気道小林道場の指導法、組織運営に関して関心を持たれたといっていました。
私と本間師範との再会は5年前に遡ります。合気ニュースがアメリカのラスベガスで主催した合気エキスポで30年振りに合いました。それ以後交流が始まりました。6月のイラン合気道合気会10周年講習会指導に同行してもらいイスラム教の習慣など色々とアドバイスをして頂きました。イスラム圏での生活習慣の違いに何のトラブルも無く私が過ごせたことを感謝しています。この事を経て、今回私がデンバーで指導を行ったのです。
by shihan_aikido
| 2008-11-17 20:52